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「なりたい姿」をさがして


わたし、何が好きなんだっけ。

失業手当の受給が決まった日の帰り道、ふと思った。

わたしの好きなもの。
わたしの好きなこと。

答えることはできるけれど、なぜがしっくりこない。

それよりも、仕事だ。

失業保険の給付が終わるまでに、なんとか新しい仕事を探さなければならない。

資格があるので、周りには「手に職があるからどこでも働けるじゃない」と言われる。

確かにそうかもしれない。
けれど‥‥。

精神的に衰弱していたことに加えて、専門性や今までの経験をふまえると、今は新しい分野にチャレンジしようという気になれない。

それに手に職があるとはいえ、現場によって求められるスキルや専門性は違う。
受け入れる側とて、何でもいいわけではない。


まったく。どうしようか‥。


昔はこんなんじゃなかった。
もっと、活気に満ちていた。

月1回は山へ遊びに出かけたし、気になるイベントやセミナーには積極的に参加した。本もたくさん読んでいた。
それ故の軽い疲労感はあったが、毎日充実していた。

そう。あんなに楽しかったのに。
今はその気力さえ、全く湧いてこない。

外に出たくないし、
仕事もしたくないし、
人にも会いたくなかった。
本を開いても、すぐに疲れて閉じてしまう。

やりたいことが、全然思い当たらない。

わたしは、何がしたかったんだっけ?


なりたい姿が全く見えてこない。


やる気が起きないので収入は減り、生活は日に日に困窮していった。こんなことになるなら、仕事辞めなければよかったのかも。失敗だった。

ついに貯金が底つきて、役所に社会保険の支払いについて相談したいと電話した。すると、「今の家賃や大体の生活費を教えてください」と言われた。

言われた通りに家賃と生活費の概算を伝えたところ、「結構切り詰めてますね‥」と、電話口の女性を唸らせてしまった。


しかし、だ。こんな状況であるにも関わらず、不思議なことに私は燃えていた。
「不安でモヤモヤした気持ち」がある一方で、「行動したい気持ち」が見え隠れしている。

「まだまだできるハズだ」
「こんなもんじゃない」

心の底で、想いがメラメラと燃えている。

「無気力感」「行動したい衝動」という二つの相反する感情が、綱引きをするようにピーンっと引っ張っり合いっこしていた。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるとも言える。
このままでは、状況がよくならない。

「あーぁ。」家に着いた途端に、部屋の中でごろんと寝転がった。どうすればいいのか、わからん。

窓からの日差しがダイレクトに顔につき刺さってきた。さっきまで穏やかな光だと思っていたのに。角度が変わるだけで痛々しい。

直射日光が当たらないように、背を向ける。


この世界から、
何もかもシャットアウトしたい。




様々な欲求が胸の奥で絡まり合うなか、無意識にスマホを手に取った。LINE、メールをチェックする。

またメルマガが届いていた。
最近、1日に5件以上のメルマガがくる。

ショップのお知らせ、起業家さんからの定期配信、講座のプロモーション配信。どれもこれも、ギラギラとしていた。まるで獲物を捉えようとするかのように、こちらへズンズン向かってくる。

こんなにたくさん、いつの間に登録したんだろ。
どれもこれも、要らないなぁ……。

確かにメールの中には、時々読むと「おぉっ」と唸る内容がある。だから「もしも」のことを考えて、「とりあえず」解約せずに購読を続けているものがいくつもあった。


今届いたメルマガを、もう一度眺めた。

これ、本当に読みたいのかな。


毎日一方的に流れてくる情報に、気持ちよさは感じられない。

さっきこのメール、
わたし、「要らない」って感じてたよな。

メルマガの配信自体は否定しない。この配信が、他の人にとっては必要な情報かもしれないし。実際に、少し前のわたしにとっては重要な情報源だった。

けれど今は・・、違う。


前向きな「やりたいこと」は、わからない。
でも、「要らない」という気持ちは明確だ。



メルマガ、解約してみようかな。


今送られてきたメルマガの一番下へスクロールし、「配信停止」をタップした。


簡単やん。

ここから、メールやLINEに届くメルマガを数日かけて解除、解除、解除。パスワードがわからないものがいくつもあったけれど、わざわざ再登録して解除した。

過去に愛読していた配信は解除するかどうかためらったが、"いままでありがとう"の気持ちを込めて解約した。




ある朝、メルマガの通知が一通も来なかった。

毎日来ていた起業家さんたちからのメール・LINE通知も、ショップからのお知らせも、来ない。

それでも、今日1日が変わらず始まっている。

ようやく、わたしの世界が戻ってきた。


ほとんどのメルマガを解約した後から、ジムに通い出した。

「今年のやりたいことリスト」に体を鍛えることがあったことを思い出し、今年こそやってみようという気持ちになったからだ。

もともと運動音痴なので、わたしはトレーニングと無縁だと思っていた。けれどジムに通ってみて、気づいたことがある。それは、今まで動かさなかった筋肉が動く瞬間や、汗をかいてスッキリした気分になることが心地いということ。

心地よいので、ジムへリズム良く通う習慣がうまれた。


運動は得意ではないけれど、実は「体を動かすことが好きなのだ」と発見した。

その後、少しずつ体調が回復していくことを肌で感じた。日中に体を動かし、よく眠ることに重心を置く生活に変えたおかげで、自然とエネルギーが巡り出したのだ。


山遊びを再開したり、本を月7冊ほど読む体力が戻ってきて、もともと好きだったことに喜んで取り組めるようになった。


また、お金の管理は苦手だと思い込んでいた。けれど、案外やってみると楽しいものだと気づいた。お金の流れを細かに記録すると、支払う不安がなくなるんだなぁと。
それもまた発見だった。


そして、あんなにためらっていた仕事も再開し、いよいよ暮らしのリズムが整い始めた。さらに1年後には、海外で仕事をするはこびとなった。




「もう、要らない」。

一本のメールに対して、たったひとつの小さな決断をした後から、ずっと「やってみたいな」と思っていたことがするすると実現していく。自分でも驚いたが、ひとつだけ確信したことがある。


それは、過剰に情報をとることをやめて、"わたしの中からあふれる情報"をキャッチすることが、始まりの一歩になることだ。

わたしの中からあふれる情報は、「言葉」で表現できるかもしれないし、まだ言葉になる前の「想い」かもしれない。想いが反映された、「体の反応」かもしれない。


いずれにしても、こんなもんじゃないとメラメラする気持ちがあることを受け入れた。それが自己回復の原動力となり、状況が好転したのだと思う。


心が疲れているときに他人の言葉を浴びすぎると、わたしたちの本音は磨りガラスで隠されてしまう。SNSを見すぎたり、セミナーに参加しすぎたり、過剰に人に会いすぎてしまうことで、他人が発する言葉のシャワーを浴びすぎてしまうのだ。


そして、その環境に呑まれていけばいくほど、「〜しなきゃ」とタスクが増えていく。そのほとんどは、わたしの中からあふれた想いではないから、そのタスクは本当にわたしがやらなければならないことなのかは疑問が残る。だから「いったい自分は、何を感じていたんだっけ?」と、肝心なことがわからなくなってしまうのだ。


わたしは、わたしの人生を、他人の言葉で埋め尽くしたくはない。


わたしの人生を生きるとは、わたしの中から溢れてきた言葉を使って生きる、ということだ。



「なにをどう感じているか」を自覚して、受け入れて生きるだけ・・なのだから、

どんなキャリアを積み重ねようが、
過去にどんな出来事があろうが、
どうでもいい。


いまどんな状況であろうと、自分の内から溢れた言葉を使って生きていれば、どこかで「なりたい姿」にたどり着く。

狭くなっていた視界がぱぁっと開けて、
心の赴くままに堂々と、生きていける。


たとえ苦しくても、信じた道を歩き続けている限り、その体験が失敗ではなく、ひとつの通過点だったのだと実感できる。


失業手当の受給が決まった日の帰り道に浮かんできた「わたしは、何がしたかったんだっけ?」っていう、あの疑問。
今なら、この質問に答えることができる。



"失敗を、失敗で終わらせたくない。"



それこそが、「好きなことがわからなくなった」と嘆いていたわたしの「なりたい姿」だったのだ。








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侑子 ︴わたしの山と旅時間✎𓂃 いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます! 書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。

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