自由を肯定してくれる、現代アート
現代アートって、どうやって楽しんだらいいのだろう?
以前、アートに関する記事を書いた。美術は自分からは遠いような気がして、なかなか近づけない存在だった。けれど、「自分事」にしてみることで、一機に身近な存在になるなぁと、感じた出来事があったのだ。
そこからさらに一歩深めて、「現代アートをどうやって楽しもう?」を考えてみた。
現代アートの楽しみ方とは
アートと対面するとつい”にらめっこ”をしてしまうのだ。
例えば廃材を使った作品とか、無作為に光る文字が刻まれた作品とか、カラフルな色を使った絵とか…。正直チンプンカンプンだ。
これは何かを訴えているんだよね…。
独特なセンスだよね…。
絵は何を意味しているのかな…。
うーん、うーん…。
‥‥。
結局鑑賞を「諦める」というカタチで、いつも幕は下りる。「何にもわからなかったな~」という感想で、いつも不完全燃焼だった。
「わからなくていい」という発想
最近、高校生とお話する機会が多い。その出会いの中で、たまたま美術系の高校生とお話する機会に恵まれた。
さっそく、「現代アートがわからない問題」をぶつけてみることにした。
「現代アートって、どう楽しんだらいいのかなぁってわからへんのよね。どうやって見たらいいの?」
現代アートの図録をパラパラとめくりながら、生徒さんに尋ねてみた。
すると、隣で一緒に図録を眺めていた生徒さんが口を開いた。
「先生。現代アートってね、考えなくていいんんだよ。だって、わかんないもん。」
え?
びっくりして、彼女の顔を凝視した。
「『無題』っていう作品、めちゃくちゃ多いでしょ?あれって、私も何を表現しているのかわからない。作者も答えを提示しているわけではない。『(解釈は)ご自由にどうぞ』って作者は言っているんだけど、いくら考えたって、わからないものはわからないの。
だから、わからなくていいの。感じるだけでいいの。自分がそれを見て、どう感じたか。それだけ。現代アートは『わからなくていいんだ!』って思えるから、めちゃくちゃ楽なんだよね〜。」
西洋画と違ってね。と彼女は付け加えた。
‥‥、なるほど。
何かがパカーンと外れた瞬間だった。
そうか。もしかしたら、
私はいつも「意味のあるもの」を探していたのかもしれない。
これはどういう意味なんだろう?って。
とにかく解釈をしようとしていて、それに対して論じようとする癖があって。
「なんでもいいじゃん。自由だよ。」
そうやって口では言いつつも、「この裏にはどんな意味があるんだろう」と考える癖があった。

確かに、出来事や相手の言葉の裏にあるものに想いを馳せることは大事。それがあるからこそ、思いやる気持ちを持てるのだと思う。
けれど、どんな場面にも必要なのかというと、そうでもないのかもしれない。
意味を見つけなくていい。
そのような新しい視点に、心がふっと緩む気がした。
意味を見つけないことで開ける世界
意味を見つけないこと。
それは彼女と話をする以前にも感じたことだった。
日々あくせくと動いていた時、どうしても生産性をあげようとしていたし、意味の無いことはしたくないと思っていた。
時間を無駄にしたくないって思ってた。
けれど、すっかり忘れていたのだ。
意味が見つかる時って、自分の想像の範疇を越えている時だ。

「あの時があって今がある。」
そうやって、過去の出来事に伏線を感じることができるのは、もがいているところから抜けた後。
当時は無意味だと感じていた出来事に対して、「あれは意味のあることだったんだなぁ」と振り返ることが往々にしてある。
そう。その時に初めて「意味」を見つけられるのだ。意味が見つけられるのは、点と点が、線になった瞬間だけだ。
だから、初めから「意味ありき」で何かをする必要もない。完璧さを求めなくていい。
アートのように、単純に「表現したい」という自由さで、想いをカタチにしてもいいわけだ。
アートは、〇〇のきっかけをつくるものでしかない
私に「現代アートは、わからなくていい」と教えてくれた生徒さんがいた。そのことを、今度は学校の先生に伝えてみた。
「よく勉強していますね」。ふふふと笑いながら、先生はこんなことを話してくださった。
「アートは答えを見つけるものではないんです。アートは、『対話のきっかけ』でしかないんです。
確かに、アートに関わる人々の関わり方は様々です。アート作品に自分の思想を寄せていくのか、アート作品を探究していくのか、全く違う視点から作品を考えてみるのか。
それは現代アートも西洋絵画も同じ。対話のきっかけでしかないんです。答えがないものの例えとして、『政治』『医療』そして『アート』だとも言われます。答えを探すのではなくて、私はどう感じたかがとても大切なんです。」
「なるほど。確かにそうですよね。アートの作者自身は『わかってほしい』とは思ってなくて、ただ表現しているだけ。だからアートは、作品から何を感じたのか、どうして好きなのかとか、そういう自分の感性の部分を紐解くきっかけでしかないですよね。」
そんなことを先生と話しながら、今まさに、アートが対話を生んでいるじゃないかと思った。
それに、こうして私が文章を書き続けることも、「表現」しているだけであるし、それが対話のきっかけになることもたくさんある。
「あの記事読んだよ」
「ここのフレーズがめちゃくちゃ響いたよ」と
感想をもらえることで、対話はさらに進む。
表現に目的はあるかもしれないけれど、
意味はない。
だって、好きだから。
行動の理由はシンプル。
ただ、好き。それだけでもいいのだ。
▷▷著者
「ひとりごとからはじまること〜言いたいことが言えない20代へ語れることがあるとしたら〜」
いいなと思ったら応援しよう!
いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます!
書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。