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善意で動いているのに、なぜ現場は止まるのか──配慮が増えた職場で起きていること

障害のある社員がいる職場では、配慮が必要になる場面があります。
多くの現場は、真剣にそれを考えながら仕事を進めています。

それでも、同じ会社の同じ制度のもとでも、
「自然に回る現場」と「判断が止まりやすい現場」が
生まれることがあります。

現場を観察していると、
そこには能力差とは少し違う変化が見えてきます。

配慮を大切にするほど、なぜ現場は動きにくくなるのか。
制度・現場・組織の関係から、その理由を考えてみます。


前回の観察に戻る

前回の記事では、現場を見ていて感じた、
ひとつの不思議なことについて書きました。

同じ会社の中で、
同じ制度のもとで、
同じように配慮を考えているはずなのに、
現場によって雰囲気や進み方が違うことがある、ということです。

ある現場では、
障害のある社員がいても、仕事は比較的自然に回っています。
もちろん調整が必要になる場面はありますし、迷うこともあります。
それでも、現場の動きが止まることはあまりありません。

一方で、別の現場では、
同じ会社の中で同じ制度のもとにありながら、
なぜか判断が止まりやすくなることがあります。

誰かの確認を待ち、
慎重に言葉を選び、
少しずつ動きが遅くなっていく。

制度が違うわけではありません。
配慮の内容が大きく違うわけでもありません。
それでも、
うまく回る現場と、
なぜか止まりやすい現場がある。

前回の記事では、
その違いを観察してみると、どうもそれは能力差ではなさそうだ、
というところまで書きました。

では、なぜ現場は止まるのでしょうか。

配慮が必要なのは事実

ここで、ひとつ大事なことがあります。
配慮が必要になる場面がある、というのは事実です。

障害のある社員が働く現場では、
仕事の進め方や伝え方を少し調整する必要が出てくることもあります。
体調や特性を踏まえて、働き方を整えることもあります。
そうした調整が必要になる以上、
現場に迷いや負担が生まれることがあるのも自然なことです。

特に、現場の管理職にとっては簡単な話ではありません。
業務を回す責任がある。
本人への配慮も考えなければならない。
さらに、チーム全体の納得感もつくらなければならない。
業務の進行、本人の働きやすさ、チームのバランス。
そのすべてを見ながら判断していくことになります。

だからこそ、
「難しい」と感じる場面があるのは無理もないことです。
現場が大変だと感じること自体は、決して間違いではありません。
むしろ、それは現場が真剣に向き合っている証でもあると思います。

ただ、現場を見ていると、
もうひとつ気になることがあります。

それでも現場で起きていること

ただ、現場を見ていると、
もうひとつの変化が起きていることに気づきます。

配慮を大切にしようとするほど、
現場の判断が少しずつ慎重になっていくことがあるのです。
「この対応で本当にいいのだろうか」
「間違った配慮にならないだろうか」
そんな言葉が、現場の会話の中に増えていきます。

すると、自然と次のような動きが起きてきます。
まず、現場で判断することが少し怖くなる。
その結果、「一度上司に確認してから」という言葉が増えます。
さらに、「人事にも相談しておいたほうがいいかもしれない」と、
確認の範囲が広がっていきます。

もちろん、これは決して悪いことではありません。
むしろ、丁寧に対応しようとしているからこそ生まれてくる行動です。
ただ、その積み重ねの中で、
現場の動きには少しずつ変化が起きてきます。

判断までの時間が長くなる。
相談すること自体が少し減ってくる。
そして、現場の空気が少し重くなる。

誰かが怠けているわけでも、無関心なわけでもありません。
むしろ「間違えたくない」という真面目さが強くなった結果、
現場の判断が少しずつ止まりやすくなっていくことがあります。

正しさが増えるほど、現場は動けなくなる

ここで、少し不思議なことが起きます。
配慮を大切にしようとするほど、
現場の中で「正しさ」を意識する場面が増えていきます。

どんな対応が正しいのか。
どこまで配慮すべきなのか。
この判断は問題にならないだろうか。

配慮が増えると、
それに伴って「正しい対応」を考える機会も増えていきます。
すると、次のような流れが生まれることがあります。

配慮が増える。

正しさを意識する場面が増える。

間違えないことが大事になる。

判断が少し怖くなる。

もちろん、配慮そのものが問題なわけではありません。
むしろ、それは職場にとって大切な取り組みです。
ただ、その中で「正しく対応しなければならない」
という意識が強くなるほど、
現場では少しずつ判断が慎重になっていきます。

現場が止まるとき、そこにあるのは無関心ではありません。
むしろ「間違えたくない」という真面目さです。

丁寧に考えようとするほど、
正しい対応を選ぼうとするほど、
結果として判断が難しくなってしまう。
そんな場面が、現場では静かに起きているように感じることがあります。

見えてきた小さな示唆

ここまで現場を見てきて、ひとつ感じることがあります。
どうも問題は、
配慮そのものではなさそうなのです。
配慮があること自体は、職場にとって大切なことです。
実際、多くの現場では、丁寧に考えながら対応しようとしています。
ただ、その中で、もうひとつの変化が起きているようにも見えます。

配慮が増える。
その結果、「正しさ」を意識する場面が増える。
そして、現場での判断が少しずつ難しくなっていく。

同じ制度の中でも、
うまく回る現場と、止まりやすい現場がある。
その違いを見ていると、
どうも問題は「障害」そのものだけでは説明できないように感じます。

もしかすると、
見えている問題とは別のところに、
現場の動きを左右している何かがあるのかもしれません。

では、何が現場を止めているのか

ここまで書いてきたことは、
配慮が不要だと言いたいわけではありません。
配慮は大切ですし、
現場で調整が必要になる場面があるのも事実です。

ただ、現場の様子を見ていると、
もうひとつ気になる問いが浮かんできます。
配慮を大事にするのか。

それとも、現場のマネジメントを優先するのか。
現場では、こうした議論がよく起きます。
しかし、この問いの立て方そのものが、
実は現場を止めてしまう原因になっていることがあります。

 「配慮かマネジメントか」
という議論が、なぜ現場を疲れさせてしまうのか。

この点については、もう少し考えてみたいと思います。


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