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塩が甘い。能登での出会いから震災を経て10年越しにもう一度

「この塩、めちゃめちゃおいしいから! 食べてみて」

そう言って夕飯に並べたのは、塩おにぎり。
ただの調味料じゃない。私にとっては、大切な思い出そのものだった。

私がこの塩と初めて出会ったのは、大学の卒業旅行で石川県の能登半島を訪れたとき。
旅の一環で立ち寄った「奥能登塩田村」は、正直いえば、ガイドブックでは見つけられないような地味な観光地だった。バスツアーに組み込まれていなければ、おそらく一生、行くことはなかったと思う。

そこは、日本で唯一残る「揚浜式塩田」。
行ったのは3月で、作業をしているところは見られなかったけど、資料館でその作業がいかに大変なものかをみることができた。

資料館に映し出されていたのは、砂をしきつめた塩田に、桶いっぱいの海水をざばっとまく姿だった。水しぶきが陽に照らされ、きらきらと舞い上がっている。

「これを乾かすのを何度も繰り返して、最後は窯で炊き上げるんです」
映像の声を聞きながら、気の遠くなるような手仕事に思わず息をのんだ。
そして、その一つひとつに、伝統を受け継ぐ誇りが込められているのを感じた。

売店に寄ると、観光客たちが腕いっぱいに塩を抱えてレジへ並んでいる。
私は心のなかで首をかしげた。そんなに塩ばかり買ってどうするんだろう、と。

でも、「味、みてって」と手にのせられたひとつまみの塩で、私の世界は変わった。
じゃり、とした少し大きめの粒。雪のように真っ白な色。舌にのせた瞬間、「しょっぱい」より先に「甘い!」がきた。

これ、今まで食べていた塩と違う……!

この塩は、能登の自然と人の手がつくり出す、まさに「土地の味」だった。

気がつけば、私はそのままレジへ向かっていた。腕にいっぱい塩の袋を抱えて。


それから10年後の、2024年1月1日。
テレビから流れてきたアナウンサーの声。

「石川県・能登地方で震度7の強い揺れが──」

その一言で、あの塩田の記憶がふいに蘇った。

大丈夫だろうか。あの塩田も、あの資料館も。
ニュースが伝えるのは住宅や道路の被害ばかりで、塩田のことはどこにも出てこない。

気になったけど、日々の慌ただしさのなかで、あの塩のことは記憶の引き出しの奥にしまいこんだ。しまったのは自分なのに、胸の奥に小さなしこりのような罪悪感だけが残っていた。


転機が訪れたのは、あの旅に一緒に行った友人と久しぶりに会ったとき。

「そういえば、あの塩、今も通販で買ってるよ」
その言葉に、雷に打たれたような気がした。

そうだ。東京にいても、今の私にできることはある。

すぐにネットで調べてみると、奥能登塩田村の公式サイトには地震のことは載っていない。
ようやく見つけた地元メディアのインタビュー記事には、塩田は無事だったとあった。
だが豪雨や断水に苦しみ、ようやく塩づくりを再開できそうだということ、そして私が感動した資料館はいまだ営業できていないことも語られていた。

「私が塩ひとつ買ったところで、何も変わらないかもしれない」

そんな言い訳が、一瞬、喉元まで出かかった。
でも、変わらないかもしれないからこそ、やってみようと思った。

10年ぶりに、私はあの塩を手にとった。

届いた箱をあけ、10年前と変わらないパッケージを見た瞬間、心が躍った。
しめっぽい海風、青い海、太陽に染まる塩田の光景。そして、初めてこの塩に出会ったあのときの感動が、ふわりと立ちのぼってきた。

袋をあけ、手のひらに広がる雪のような白。 指先でつまみ、舌にのせた瞬間、あの日と同じ甘さが広がった。

ひとつまみの塩には、旅の記憶がつまっていた。

そして今、その味を家族と分かち合いながら食卓を囲むひとときが、何よりも愛おしかった。


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