【後編】呪いから愛を探して【作られたヤングケアラー】
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【後編】呪いから愛を探して【作られたヤングケアラー】
呪いに気づいて
私の心に、多くの事実と感情が渦巻いた。
「祖母は私を愛してくれた」
「私の祖父母は、自分たちの我が子である
私の母たちを大事にできなかった」
「私に母は救えない」
「でも、約束したから
いくら無理でも、できる限り
母を受けとめなきゃ」
「苦しい・・・ばあちゃん・・・
私に背負わせないでよ・・・」
「イヤだ。せめて
母にとって悪い子で良いから
祖母にとって良い孫でいたい」
息が詰まるほどの膨大な情報に
私は、目も耳も塞いだ。
もう、なにも聞きたくない。
もう、なにも欲しくない。
今、失われていっている視力が
このまま失われてしまえば良い。
そしたら、本当になにも見なくて済むのに。
全てに蓋をしたと同時に、私は
大切なものも失ったことに気づかなかった。
重なる癒やしのなかで
時代が変わったのか、
私のいた世界が狭すぎたのか。
落ちていく視力とともに
立てていたアンテナも
下ろしてしまっていたようだ。
ついに『支援者の』私が
癒やされる時が訪れたのだ。
アドバイスはない。
ただ、聞き合うだけ。
『その人の話』として。
たまにそのイベントの主催者が
お話しになることを
みんなと一緒に客観的に考えるだけ。
本当に、ただそれだけなのに
自分の中の事実と感情の間に
少し距離ができて、苦しくなくなる。
感情を、暴発を避けながら
落ち着いて客観的に捉えられる。
参加すればするほど
人と関われば関わるほど
実際の状況が
とてつもなく悪化していても
心のもちようが大きく変わって
無理なく向き合えるようになってきた。
さらに、思いもよらない変化が起きた。
愛探しの末
突然、ふわりと頭に出てきたのは
たくさんの愛された証明。
讃美歌を歌って聞かせてくれる祖母。
求めたときに抱きしめてくれる母。
私の話で笑い転げてくれる叔母。
私を抱え、ぐるぐる回って
一緒に遊んでくれる伯父。
認知症になって、私が分からなくなっても
たった1人の孫を探しに行ったり
病院実習の準備をしている私を見て
「がんばりな」と言ってくれたり
理解のない担任に苦しむ私に
「ゆめさんの担任は×××××か」と
※めっちゃ差別用語なので伏せ字
私の味方でいてくれたり
ずっと私を愛し続けてくれた祖母の姿。
たくさん思い出したけど
一番強く、出てきてくれたのは
「ばあちゃん、長生きしてや。
はよ大人になって
ばあちゃん孝行すんねん」と言った私に
祖母が返してくれた言葉。
気持ちだけ、いただきますわ。
ゆめさんが元気でおってくれるだけで
楽しんで、笑って、生きとってなだけで
じゅうぶんです。
愛が毒や呪いと化すとき
私は間違いなく愛された。
でも、それが
人と共に過ごす中で
受け入れられなかったり
あまりに周囲と乖離していたりすれば
その愛を、受ける人が
理解できる形となっていなければ
理解できたとしても
苦痛を伴うものだったならば
それは毒や呪いになってしまう。
私はすごくない
私は「こうあれ」という呪いによって
『私』が砕け、欠片が全て発散してしまった。
飛び散った『私』をかき集めてきて
その中から『楽しかった』『おもしろかった』
『うれしかった』『安心できた』を拾い上げた。
『私』の欠片をかき集めてきてくれたのは
就労支援事業所で
私を担当してくださったお星さん。
ぐちゃぐちゃの欠片の中からポジティブを
私が自分で拾えるように助けてくれたのは
憧れの推し🍒と大勢の同志たち。
元ヤングケアラー、現若者ケアラー、
教育ボランティア、ヤングケアラー支援、
不登校支援、障害福祉関係のサポート、
オンラインコミュニティの運営。
やらざるを得なかったこと、
やりたいと思って始めたこと、
これだけ色々とやっていると
「すごい」と言われることも多く
認めていただけてありがたいし嬉しいが
そんな私でも、生き返るために
たくさんの人の手を借りたのだ。
受けた毒は、自覚しにくい。
自覚したときには、もっと
自分が傷ついて疲れていることも多い。
ただでさえ、消耗している状態から
呪いを解くのにも時間がかかる。
だから
人の手を借りよう。
涙を流しても大丈夫。
ありがとう。私に愛をくれた人たち。
この人生を悔いてないのは
あなたたちのおかげです。
ありがとう。私を解放してくれた人たち。
私、今の私が好きよ。
心から楽しんで、関わった人全員に
「愛してる」と言えるように生きます。
まだまだこれから
私はまだ成長中で、自分を取り戻している途中。
そして、変化の途中。とっても孤独。
自分のことは自分にしか分からないから。
でも、きっと今は大丈夫。
応援してくれる人がいるから。
最高の同志がいるから。
