幸せって、探すものなのでしょうか。
私は、noteにある余白が好きです。
その余白には、自分が感じたことや、言葉にならなかった思いを、自分なりに描くことができます。
先日、とても心に響く記事を読みました。
読み終えたあと、その記事の余白に、私なら何を書くのだろうと考えました。
そこには、自分の性格をわかっていながら取った行動への後悔が書かれていました。
わかっていたからこそ、後悔は大きくなる。
私にも、そんな経験があります。
言わなくてもよかった言葉。
もう少し優しくできたはずの場面。
人間って、本当に不器用な生き物だなと思います。
けれど、私の心に一番残ったのは、その後に現れた「幸せ」という言葉でした。
そして、その幸せの答えを『青い鳥』に求めたこと。
私は、その余白に少しだけ立ち止まりました。
幸せって、なんだろう。
幸せの形は、人それぞれです。
誰かにとっては当たり前の日常が、誰かにとっては、ずっと欲しかった幸せかもしれません。
「そんなことで幸せなの?」
と思うこともあれば、
「それは幸せだよね。」
と心から共感することもあります。
その記事を読んで、私は改めて『青い鳥』について調べてみました。
幸せは、遠くまで探しに行くものではない。
案外すぐそばにあるのに、その存在に気づいていないことがある。
そんなメッセージが込められた物語だと知りました。
その時、私の中に浮かんだ言葉は一つでした。
「確かに。」
私は53年、生きてきました。
振り返ると、ずっと何かを探して生きてきた気がします。
幸せな結婚。
幸せな家庭。
仕事。
お金。
安心できる暮らし。
失ったものを埋めるように、「次こそは」と前を向いて歩いてきました。
でも、その途中には娘の笑顔がありました。
孫が生まれ、成長を見守る喜びがありました。
母とぶつかりながらも、今こうして同じ時間を過ごしています。
そしてnoteでは、顔も知らなかった人たちと、言葉を通してつながることができました。
あの頃の私は、毎日を生きることに必死で、それを幸せだと思う余裕などありませんでした。
でも今振り返ると、
私は幸せを探していたつもりで、幸せの中を歩いていたのかもしれません。
そして、その記事にはチューリップの『青春の影』が添えられていました。
自分の夢を追いかけてきた人が、やがて大切な人の幸せを、自分の生きるしるしとして願うようになる歌です。
その歌を聴きながら、私は気づきました。
『青い鳥』が教えてくれたのは、すでにそばにある幸せでした。
けれど『青春の影』が私に考えさせたのは、これから誰かと一緒に育てていきたい幸せでした。
私はこれまで、たくさんの幸せをもらってきました。
娘が生まれたこと。
孫が生まれたこと。
当たり前のように過ぎていく日常の中で、笑えたこと。
決して、幸せがなかったわけではありません。
むしろ私は、幸せの中を歩いてきたのだと思います。
私はこれまで、一人でも生きていけると思ってきました。
そう思うことで、自分を守ってきたのかもしれません。
でも、そろそろ「一人で生きる人」というレッテルを、手放してもいいのかもしれません。
私にも触れてみたい幸せがありました。
これから先、一緒に時間を重ねていきたいと思える人がいること。
嬉しいことがあった時に、一番に伝えたいと思えること。
悲しい時には、そばにいてほしいと思えること。
そして私も、その人の幸せを願えること。
若い頃のような大きな夢ではなくてもいい。
ただ、一緒に同じ時間を重ねていけたらいい。
私は、その幸せに少しでも触れてみたいのです。
幸せは、探して見つけるものなのでしょうか。
それとも、すぐそばにあることに気づくものなのでしょうか。
私は今でも、もっと幸せになりたいと思っています。
もっと安心したい。
もっと笑っていたい。
もっと大切な人と、長く一緒にいたい。
きっとこれからも、幸せを探し続けるのでしょう。
でも、もし今日が人生最後の日だったとしたら。
私が探し続けてきた青い鳥は、
案外ずっと、私の肩に止まっていたのかもしれません。
そして今の私は、その青い鳥を大切にしながら、
これから誰かと育てていく幸せにも、そっと手を伸ばしているのだと思います。
そして、このようなことを考えるきっかけをくれた素敵な言葉と、その言葉を届けてくれたあの方に、心から感謝しています。
