落ち込みやすい人、立ち直りやすい人
こんにちは、こんばんは yumenohi です
前回は「あきらめグセ」の正体を暴きました。
今回は「じゃあ、どうする?」のお話です。
前回紹介したセリグマンの「学習性無力感」。
「どうせ無理」という感覚は、生まれつきではなく、
後天的に学習したものだ……という内容でしたね。
その続きです。 セリグマンはその後、どうしたと思います?
なんと彼は「無力感」の研究から一転、「希望の育て方」の研究を始めたんです。 落ち込みやすい人と、折れにくい人の違い。 それを20年かけて調べ続けました。
「理由の説明」が、人生を変える
心理学エピソード セリグマンの「説明スタイル」理論
セリグマンが発見したのは、失敗したときの「説明の仕方」の違いでした。
落ち込みやすい人 「自分がダメだから(永遠に)(何をやっても)うまくいかない」
立ち直りやすい人 「今回は(たまたま)(この部分が)うまくいかなかった」
同じ失敗でも、
意味の受け取り方がまったく違うそうなんです。
これ、スピリチュアルで言う
「目覚めの第3ステージ:探求と問い」とそっくりです。
「なぜダメなんだ」と責める目ではなく、
「好奇心の目」で見始める。 それが変化の入り口です。
2000年前に、哲学者は言った
「人を悩ませるのは出来事ではなく、出来事についての考え方だ。」 —— エピクテトス(古代ローマの哲学者)
この名言の出典は、エピクテトスの語録を弟子のアルリアノスが簡潔にまとめた手引書、『提要(エンケイリディオン)』(Enchiridion)の第5章です。
正確には、以下のような文脈で記されています。
「人間を不安にするものは、事柄そのものではなく、事柄に関する考え方(判断)である。」 『提要』第5章より
この言葉の背景
エピクテトスは「自分の力でどうにかできること(自分の意志や考え方)」と、「自分ではどうにもできないこと(他人の評価、病気、天災、システムの仕様など)」を厳格に分けることを説きました。
彼に言わせれば、出来事そのものは「中立」であり、それに「良い」とか「悪い(困った)」という色を付けているのは、他ならぬ自分自身の判断(ドグマ)である、ということになります。
奴隷として生まれ、足が不自由だった彼が残した言葉です。
どんな境遇でも、解釈を変える自由だけは誰にも奪えない。 そう生き抜いた人の言葉には、強い説得力がありますよね。
希望を育てる「3つの小さな習慣」
「今回は」をつける 「また失敗した」ではなく「今回はうまくいかなかった」。 たったこれだけで、脳の受け取り方が変わります。
よかったことを1つ書く 寝る前に、今日できたことを1つだけメモ。 「ゴミ出しした」でも立派な実績です。
「なぜ?」より「どうすれば?」 「なぜ自分はこうなんだ」は過去を掘る問い。 「どうすれば次はうまくいく?」は未来を開く問いです。
最後に
スピリチュアルでいう「調和の中で生きる」最終ステージ。 それは完璧な人間になることではありません。 「転んでも、また立ち上がる方法を知っている」人のことです。
希望は性格じゃない。スキルだ。 —— マーティン・セリグマン
生まれつき前向きな人なんていない。 希望は、練習で育てられます。
続きは、次回学びたいと思います。
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「あきらめ」は才能ではなく、ただの誤学習。
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