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本当はずっとバイオリンを辞めたかった話

ジャズを演奏するときに一番大事だと思うのは、お互いの音をしっかり聴き合うこと、相手を尊重して、音で対話をする。

誰かより上手いとか下手とかいう「競争心」なんて、本当はいらないはず。
みんながそれぞれの音を持ち寄って、その瞬間だけの音楽をつくる。
それが私がなによりも大好きなジャズの世界。

だけど、私の中にはずっと、静かにドロドロと燃えるような「競争心」が潜んでいました。

「あの人のプレースタイル、なんか嫌いだな」

「でも自分なんてまだまだ経験不足だし、あの人より劣ってる……」

「誰々は、誰々よりも上手い」

心の中で誰かと誰かを比べて、自分をどこかに格付けしようとしてしまう。そんな自分に気づくたびに、心底うんざりしていました。なんて醜いんだろうと。

人に相談すると、「そんなに人と比べなくていいんだよ」
「ゆみちゃんの音楽を見つけたらいいんだよ」と。

頭ではわかっている、けど一度体に染み付いてしまった毒のような「比較する癖」は、そう簡単に消えませんでした。

そんな汚い気持ちの原因についてふと思ったのは、つい最近、ヴィオラでジャズをやったときのことでした。

私が小学4年生で入ったジュニアオーケストラは、嫉妬とランク付けが露骨に見える場所でした。

オケの弦楽器は「プルト」と呼ばれる席の数え方があります。
1つのプルトに2人のプレイヤーがいて、一つの譜面台を見、
客席から見て手前を「表」、奥を「裏」と呼びます。
そしてその席順には、子どもでも分かる残酷な意味がありました。

前に行けば行くほど上手い。後ろに行くほど上手くない。

「表」の方が「裏」よりも上手くて、ファーストバイオリンの方がセカンドバイオリンよりも上手い。

私はずっと、セカンドバイオリンの暗い場所にいました。
座高も低く客席からは見えない、写真にも映らない。

あるとき、テストで少し褒められて席が上がったこともありましたが、
翌週には何事もなかったかのように元の位置に戻されていて、
よく見たら、私の前に座っていたのは「先生の個人レッスンを受けている子たち」でした。

同じプルトになった子に、私が譜めくりできないくらい遠くに譜面台を持っていかれたこともありました。
先生が私の方に少し寄せてくれることもあったけど、五分後には戻される。

協調性も社交性もなく浮いていた私には、オケの中に居場所がありませんでした。休み時間は一人でいるのが惨めで、宿題を開いて「勉強してるフリ」をしてやり過ごしていました。

本当はずっと辞めたかった。でも「逃げた」って思われるのが悔しかったし、親から「金の無駄だから早く辞めな」と言われれば言われるほど意地になって、絶対に辞めませんでした。

高校生になると、私はこの居心地の悪い場所から逃げるように、メンバーが足りないと言われていたヴィオラへと躊躇なく転向しました。
セカンドバイオリンと役割は似ているけれど、中音域の深い響きや、ヴィオラだからこその「おいしいフレーズ」がたくさんあって、やってみると実はすごく楽しかった。
体格が小さい子はそもそも楽器が合わず弾けなかったりして、席順も入った順だったので気にすることもなく過ごせました。

高校2年のとき、受験勉強を口実にしてようやく抜け出せました。

大学時代は一度も触らなかったバイオリン。
ですが上京したあと、久しぶりに実家で触れたバイオリンは、驚くほど温かい音がしました。

寂しい東京の一人暮らしにバイオリンを持ってきて、再びオーケストラに参加して良い友達と出会ったり、SNSで知り合った仲間に誘われてセッションへ行き、ジャズに出会ったりしました。

初めてのジャズセッションで私は一音も出せませんでした。何も湧いてこないし、何も弾けない自分がとても悔しくて、帰り道には都内でジャズを教えてくれるスタジオを検索していました。

でも、この「悔しい!」というネガティブな気持ちこそが、私を爆発的に成長させてくれました。

今年2月に、スペインでレジェンドジャズバイオリニストのTcha Limbergerさんに会ってレッスンを受けました。
その時にたくさん会話をしたのですが、

「あのバイオリニストは嫌いだね、機械みたいでさ」

「ジプシージャズは正直嫌い。ただ早く弾いて上手けりゃOKみたいな感じで、全然音楽じゃない。」と。

それを聞いたとき、子供っぽくて面白いなと思うと同時に、なんだか肩の力がすーっと抜けました。

「あ、こんなすごいレジェンドでも、誰かのプレイを嫌ったり愚痴ったりするんだ。じゃあ、私もこの醜さを抱えたままで別にいいのかもな」と思えたのです。


つい先日、ヴィオラ(私)× バイオリン × ギターという編成でライブをしました。
バイオリンの煌びやかな音と、温かく深いヴィオラの音。誰が上とか下とかではなく、お互いの役割を果たしながら音が心地よく溶け合っていく。
お互いをよく聞き、言葉も話さずにコミュニケーションと取る。

終演後、お客さんから「バイオリンとヴィオラの音がマッチしていて素晴らしかった」と言ってもらえました。

ライブのMC中、私は思わず、昔のオーケストラでの話をしていました。
ずっとバイオリンを辞めたかった話を。

かつては格差から逃げるように選んだヴィオラ。 でも今、ジャズという対話の場で、そのヴィオラの「おいしい魅力」を発揮して最高の演奏ができている。
あんなに嫌で、逃げ出したかった暗い過去や経験のすべてが、巡り巡って今の自分の音楽に活きている。
そう思えた瞬間、心の底から嬉しさがこみ上げてきました。

かつては嫌で嫌でたまらなかったバイオリンだけど、今では私の「心の友」であり「体の一部」です。

大切な「伝達手段」であり、世界とつながるための最高のツール。

言葉が通じない海外の街でも、バイオリンさえ持っていけば友達になれました。一緒に音を出して歌って、感動して涙を流したり、相手から同じように感動したよと伝えてもらうこともありました。
バイオリンをやっていて、ジャズをはじめて本当に良かったなと心から思っています。

だからといって、昔植え付けられた劣等感や、誰かと比べてしまう醜い競争心が完全に消えることはないのかな、とも思います。

消えなくてもいいのかもしれません。

醜い比較癖も、弾けなくて悔しかった夜も、レジェンドの愚痴も、言葉を超えて誰かと泣いた夜も。全部が私の中に泥臭く残っていて、今の私の音を作っているのだと思います。

ジャズって、綺麗な音だけを鳴らすものじゃないはず

自分の内側にある醜さも、過去の悔しさも全部抱えて、そのまま音として吐き出すからこそ、誰かの心に届く「対話」になるんじゃないかなと。
 

最後に、
孤独だったオーケストラの最後列で隠れるように弾いていた私へ。

「意地を張って辞めないでいてくれて、ありがとう。あなたが耐えてくれたおかげで、今の私はこのバイオリンと一緒に、世界中どこへ行っても生きていけるんだよ。」

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