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「クラシックってなんか良さそう、の正体。」音と身体は、こっそり会話している。

言葉にするほどでもないけれど、
たしかにそこにある感覚。

それにふれたとき、
ああ、そういうことか、と思う瞬間がある。

クラシックとは、建築のような構造の音楽


演奏していると、同じ曲でも
楽譜によって弾き心地が違うことがあります。

たとえば、楽譜屋さんで買ったクラシック譜と、
ネットで見つけた無料楽譜を弾き比べてみたり

クラシックと、そうでない曲を同時に練習していると

身体が先に、「おや?」って気づく。

すっと手になじむ音。
少しだけ身体に引っかかる音の流れ。

それは単なる好み、とかではなくて、
音の構造そのものが、身体と調和しているかどうか
という些細な感覚。

まるで、音と身体が、言葉にならないところで
こっそり会話しているみたい。

どんな楽譜でも、その曲であることに変わりはないけど
クラシック譜は、一つひとつの音に意味があり
その音の空間に入ると心地よくなれる。

建築のように、計算されている。

モーツァルトが、「ここには、その音しかあり得ない」といったように。

必然でこの並び、この流れ、この配置になっている。

それを、体感覚として学んでたんだなぁ。

たとえば フレデリック・ショパン も、
手の構造を意識した作曲になっていて
「人の手って、本来こう動くと心地いいんだな」と感じる瞬間があります。

身体の流れそのものが、音楽になっているみたいに。

パリのDiorミュージアムで出会ったショパン

そういう構造って、無意識にでも
わたしは身体の骨格に伝わってるんじゃないかなと思うんです。

音の並び方や重なり方が違えば、
身体の動きも、感じ方も変わる。

そう思ったときに、
ああ、クラシックって“構造の音楽”なんだと、

すっと腑に落ちました。

美しいから心地よいのではなくて、
構造として整っているからこそ、美しさとして感じられる。

頭で考えるより、感じるもの。
浴びるうちに、わかってくるもの。

クラシックは、構造の音楽。

だから、再現性がある。

つまり、
「よくわからない」と感じている人にも、
ちゃんと届いているものがあるのだと思います。

言葉で理解する前に、
身体が先に受け取っているもの。

そしてそれを、
少しずつ言葉にしていくことで、

“なんとなくいい”だったものが、
少しずつ輪郭を持ちはじめて、
感じ取れるものも、受け取れる響きも、
きっと増えていく。

それが、とっても楽しいのです。

学べば学ぶほど、知の扉が開くほど、
受け取れるものがどんどん多くなる。

私は、そういうの大好き。

感覚として、あ!って気づける瞬間も楽しい。

そうやって、音をただ聴くのではなく、
“浴びるように受け取っていく”。

そんな感性を育くむことは、
身体のセンサーを磨くことでもあると思うのです。

そして、その感覚は、
音楽だけではなく、
日々の選択にも静かにつながっている気がします。

「なんとなく、こっちの道を選ぶほうが自然な気がする」

「このデザインは、まだ何かピースが足りない」

そんな、言葉になる前の小さな違和感や直感。

実はそういう感覚って、

論理だけではたどり着けない“最後の大事な調整”を教えてくれる。

100点を120点に変えるのは、
案外そういう感性だったりする。

感性というのは、
ただ芸術を楽しむためのものではなく、

人生や仕事の中で、
“自分にとって自然にひらいていく流れ”を
見つけるためのセンサーなのかもしれません。

いえ、きっとそうなんだと、
じつは結構確信しています。笑


演奏活動のことや、
音を通して日常や人生が少しずつ心地よくひらいていく感覚を、
Instagramでも綴っています🌿

https://www.instagram.com/yumi.piano928

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