一旦置いておくもの
書けないなぁと思ってたんですが、書けないなりに、中途半端でもだもだしてる所を、残しておくのもありかなと思って書いてみます。渾身の記事にまでは昇華できてません。いつか、納得できるように書けるかな??
って書き始めたら、思ってた以上に時間がかかって、その間にも気持ちや状況が変わって、てんやわんやです笑
最終的に15000字を超えてしまいました。もちろん、最長記事です。
途中まででも流し読みでも、興味持ってもらえたら嬉しいなと思います。
全然まとまってなくてすみません。とにかく気になってる事をつらつら書きました。書き始め~書き終わりまで、できるだけ、そのままにしてます。
“誰かの為” じゃなくて “自分の為” になんだから、上手く書けなくてもいいやって…とは言え、誰かに読んでもらうつもりでは書いてます。一人でできることは限られてて、自分が叶えたいことは自分ひとりじゃ無理だから、一緒に遊んでくれる人を探してます。上手くは書けないけど、何かふわっと感じて、良いかもって思ってもらえたら…そのことを教えてくれたら嬉しいです。
誰かのために、この場所の為に…はしんどくなるって分かってるのに、つい分かりやすい方向に流されて、そういう事言っちゃうんですよね。
別にいい人ぶりたいとかでもないんだけど。
期待されてる姿を勝手に演じようとしてる?
いや、意識して演じてるわけでもなくて、自然とそうなってるんだけど、でも自然な姿ではないから、いつのまにかしんどくなるんだろうな。
ただただ、自分が造りたいものに没頭してたい。
その没入感みたいなのが好き。
木や竹が好き。
“自然素材”って言われると、何か違う。
“ていねいな暮らし”っていうのも、なんか違う。
単純に、マテリアルとして好き、扱いやすくて好き。
好みの問題じゃん?
“正しいから”好きなんじゃないんだよ。
好きだから好き。かっこいいから好き。気持ちいいから好き。
祖父が昔に植えた木が、山にあって。
山って言っても、大きな山のほんの一部が我が家の土地。
昔は一つの山を少しずつ分けて、それをみんなで管理してた。
みんなのものを、みんなで世話する。
山以外にも、地域のことの多くがこんな感じ。
それがだんだん人が山に関わらなくなって…今じゃどこが誰の土地なのか分からない。境界なんて元々線が引いてあるわけでなし、手入れしなくなったら山が荒れて、昔ならお互いが、この木は自分が植えたって分かるし、手入れの仕方や樹種でも見分けがつく。それを子供や孫に伝えて…人が入ることで見えていたものが、見えなくなって、今じゃ売ろうにも売れない、どこが誰の持ち物か、その山主が生きているのか、どこの誰かも分からなくなってきている…。これを何とかしたいね、何とかならないのかな?という話は、関係あるけど…また別の場所で。
おじいちゃんが植えた木は、おじいちゃんが動けなくなってから…多分30年前とかそれ以上から、誰にも手入れされずに放置されていると思う。
山って言っても、田んぼや畑だった場所に、当時は“いつか売れるから”と、誰かのためにおじいちゃんが植えてくれた木。その“誰か”のうちの一人は自分だと、勝手に思ってる。
その木で何か造れたら…。
自宅の古民家を改修するときにも使いたいって話はしたけど。
まともに管理されてない木を切り出して、乾燥させて、製材して、使うっていうのは現実的じゃなかった。
でも今なら、何かに使える気がするんだよね。
私も少しは大人になったから、周りに話聞いてもらえると思うんだ。
まだまだ何もできないし、信用もない、力もないけど。
…
こんな時に、自分が男だったら…って考えはすぐによぎる。
自分が田舎の一人長男だったら…
絶対小さいころから、おじいちゃんに色々教えてもらえたし、やらせてもらえたはずだって。女の子ってだけで、しかも遅くにできた女の子には何の権限もなくて。もちろん自分から取りにいかなかった、いけなかったというのはあるけど。男の子なら、何もしなくても、知識と情報と権限が与えられるんだよ。
まあ、そんな状況が嬉しいわけでもないし、もし自分が長男だったら、そんな状況に嫌気がさして、早々にこの土地や家から離れてた気もするんだけどね。… あ、また話が逸れた。
そんな風に、何の知識も経験も権限もない自分でも、“私にもできるかも”と思えたのは、Shop Botとの出会いがあったから。
Shop BotはVUILDさんが提供されているCNCルーターです…とか言いながら、私もよく分かってません笑
簡単に言うと、パソコンで作ったデータを機械に送ることで自動で切ったり削ったりしてくれて、その部品を組み立てることで家具や家まで作れちゃうっていう代物です。大きなプラモデル製作機みたいな感じでしょうか?
夢がありますよね?
もちろん、知識も技術も必要だし、最近では必要ないと思ってた腕力も必要なんだなと分かってきました笑
ShopBotについてはこちらから↓
こんな風にものづくりに関われたらと思う、少し未来のお話↓(VUILD BOOKS 第二弾)
もしかしたら、知識も経験も力もない自分でも、おじいちゃんの木で何か造れるかもしれない!!
“おじいちゃんの木を使う”というのは、半分意地になってる部分でもあるかもしれませんが、それでも小さな頃から密かに想っていたことで。いつか叶えたい夢だったけど、それが現実的な目標にしても良いかもしれないと感じることができました。
子供の頃は一笑されて流されるだけだと口にしたことはなかったけど…言ってたらおじいちゃんは喜んでくれたかな?何か変わってたかもしれないですね。大人になって、恥ずかしさがなくなって?いや、元々恥ずかしい訳ではない。言ってもいい雰囲気になったからかな?こういう気持ちを理解してくれる人がいると分かってからは言ったりしてます。
それでも昔からの地元のおじちゃん達には“無理やで”と一蹴されそうで言えなかったりします。(否定されるのが嫌とかより、何も響かない、真剣に話を聞いてもらえないんだろうなというのが嫌なんだけど、それはまあ、今までの私がそういう環境にしているというのもあるので、相手を責めたいわけではない。)
補足ばかりで、全然話が進まない笑
で、そのShop Botを使ってものづくりできるようになるのが、一つの夢。
出来たらおじいちゃんの木で、自分や子供たちが使えるもの造りたい。
おじいちゃんの木以外でも造りたい。
Shop Bot使えるようになりたい。
それで、家?小屋?秘密基地?みたいなの造りたい。
棚とか小物とか、普段使えるものや看板とかプレートとか、とにかく色々。自分や周りの人が使うものを、造ってみたい。
失敗とか上手くいかないとかは絶対あるけど、それも含めて楽しそう。
チェーンソーも使えるようになりたい。
力のない自分でもできる方法でできる事を増やしたい。
教えてくれそうな人はいる。
竹細工やしめ縄を習った森の魔女さん。
私がやりたかった理想をかなり体現されていて尊敬している。
竹も好き。竹細工良いですよね。
竹のしなやかさが、存在としても好き。
しなやかであるというのは、自分の理想でもある。
竹は木よりも、切って、使うまでのハードルが低い。
森の魔女さんの元で、竹林整備から、切って、竹ざるや竹かご造るところまで一応一通り習ったので、近所の竹林から竹を切ってきて何か造るというのは、割とイメージできている。
でも竹細工に向いている竹が少ないのと、竹細工は思ってた以上に握力が必要なので、そこは少し考えながらやる必要がある。
もう一つ、木のものづくりで気になるのは、組手什。
これは、必ずしも組手什である必要はないとも言えるけど、こういのいいなと思ってる。
特許はとられていないようなので、このデザインを元に、Shop Botで組手什造ったら良いんじゃない?って思ってる。もちろん、割れとか欠けとか、加工の制約とか、色々簡単ではないのかもしれないけど。
組手什はNHKの朝ドラ“おかえりモネ”でも話題に?小さなパーツを組み合わせることで、棚や机など自分好みに作れるし、解体して組み直したりもできる。大きな木のレゴのような感じだろうか?その特性を生かして、被災地にの仮設住宅などでも活用されているらしい。
組手什について↓
組手什について書かれたnoteもあるよ↓
災害支援などでよく使われる組手什。でも非常時だけでなくて、普段から使えば良いんじゃないのかなと思っている。例えば子供のおもちゃとしてでもいいし、そういうWSがあってもいい(実際にされている地域もある)。
そうしたら、いざという時にも使い勝手が分かってるから欲しい什器を組み立てるのも比較的スムーズだし、災害時の遊び(←長期の避難所生活にはめっちゃ大事だと思う)にもなるし、普段使ってるのを解体して、その時に必要なものに組み替えるとかもあり。大事に倉庫にしまっておくより、よっぽどいい。
あーでもこれは、自分の為って思えてない部分があるような気もする…。
んーでも、こういう風に、使い方が色々あるもの、その時その時で自分で工夫できるものは好きなんだよなぁ。
沢山、はいらない。自分が使えるもの、ある程度使いこなせそうなもの、手入れできそうなもの、そういうのが好き。そういう所で、組手什は良いなと思う。
まあとにかく、なんか色々造ってみたいですね。
でもそれを生業にしたいかってっていうと、ちょっと違う。
Shop Botはサイズによって300~700万円位する代物。簡単には買えないし、使えない。かといって、仕事ってなるとなんかしんどい。
でも、例えば近くの製材所さんが導入して、近くで使えるよとなっても、使用量が相当高い (多分、1時間8000円とか、それ以上) 。そりゃまあ、10年使うとして、元を取って商売にしようとするなら、必要なんだろうけど。
自分で好きな時に造って使って、やり直して…みたいな実験的なのを楽しみたいんだよなあ。
自治体に導入してもらって、それを住民は安く利用できるみたいなのだと使いやすそうな気もするけど…(実際そうやって導入されている所もあるみたい) 。でも何だか不自由さを感じてしまうのは偏見かなw。
いやまぁ、自分で買っても使いこなせなくて余らせるだけな気もしてはいるんだけど…でも、自分だけで使うんじゃなくて、子供も含めて造りたい人が造る、やってみる、使ってみるっていうのは良いと思うんだよね。
Shop Botの導入事例などはこちらから↓
おっと。こうやって、誰かのためにもなるよとか、地域のためになるよとか、もちろんそれは大事なんだけど。受けが良いからと調子に乗ってこれを出し過ぎると、結局自分の首を絞めるんだよ。
効率とか、効果とか、結果とか、数字とか。そういうのじゃなくて。
自分が素直に向かえているか、わくわくできているか…そこをいつも、振り返るように…。
とにかく。
造ることを愉しめる環境を持ちたいし、愉しみたい。
なんでShopBot(デジタルファブリケーション)にこだわるかというと、それは単純に、かっこよさげ&自分にもできそう、だから笑
そして、それを扱っているVUILDさんの思想みたいなところが、いいなって思ってるから。
再現性があるってことや、データ自体は子供や腕力がないような人でも造れる可能性があるってこともいいなって思ってる。
VUILDさんのVision
昔から、伝統構法とか、木組みとか、梁とか柱とか好きなんだけど(ちなみに自宅は、築100年以上の古民家を改修した石場立て伝統構法のお家)、どんどん、それを受け継いでいる人は減ってきて…。
それを、デジファブで再現できるんじゃないかなって思ってる。完璧にそっくりそのままはできないかもしれないけど、何かを繋いでいくことはできる気がしている。…何も知らない素人の考えですが。
木組みをShopbotでというのは、この機械を知った時から思ってること。
出来たらそれで、何か建てたい。金物を使わずに、最期は自分達で解体して燃やしたり、勝手に自然に還るような、そんなもの。
西粟倉村の仲子さんのものづくりがとっても素敵だなって思ってます。
“デジタル大工” って言葉を聞いた時も、“それだー!!” ってなりました笑

こちら↓のポッドキャストを聴いた時も、やっぱり良いし、実現可能なんだなって確信を持てて嬉しかったです。
ポッドキャストに出てくるYouTubeはこちら↓
まさに、これ!!
何かを手に入れたいと思う時、その後の手入れと最期については割といつも考える。好き!って思えるかどうかも大切だけど、大事にしたいからこそ、少しのほつれは何とか自分でも対応できるか、どうしても手ばさなくてはならない時に、頑張れば自分でもできそうかっていうのは考える。
限界集落になったこの場所に、人口が減っていく日本で(あ、また大きくなったw)新しく何かを造る、遺すというのはナンセンスな気がしていて。何かを始めるなら、その先を、終わりを考えておきたいとも思っている。
到底人力では壊せないだろうなというものが、壊せない人達によって作られていくのを見てると、怖くなることありません?私だけ?笑。いやまあ、解体をお仕事にされてる方はおられるんで、頼めば良いのかもしれないし、私が知らないことが多いから怖いと感じているだけなのかもしれませんが。
それと、もう一つ。
これが少し厄介。
したいことと、した方が良さそうなことと、しなきゃいけないことがぐるぐるする。ほんとにしたいのか、したいと思ってるのか、した方が良いと思ってるのか…ぐるぐるぐるぐる。
自分の為か、家族の為か、地域の為か…
それが、“空き地を使う”。
ここは、今回マルシェをする場所でもあります。
桜もホタルも見れて、夏には川遊びもできる川の近く。
空き地は無断駐車をされることも多く、近くの公園のトイレ使用のマナーや川を含めた周辺のゴミ問題は、地域の悩み事でもあります。
そうやって無断で使用して荒らされる位なら、何か活用できないかなと。せっかく良い場所だから、何かしたら良さそうだよね…。
…
って、この“せっかく”っていうのが、多分、良くない笑。
ちなみに公園も、公園のトイレも、川の草刈りも、基本的には地域の人の出役によって管理されています。自分のような40代は珍しくて、60~80代、場合によっては90代の高齢者の方が定期的に掃除したり草刈りしたりして“守り”(もり≒世話)をしてるんですよね。バイト代とかはもちろんなくて、良くてペットボトルのお茶1本です。
そんな中で、トイレのマナーが悪かったり、ゴミを置いていかれたり、川を荒らしたり(川の石をむやみに動かすと、ホタルの減少に繋がるそうです)…そんなことがあると、やはり地域の人から見た余所者の印象は良くない訳で…。一方で何も知らずに、無料でトイレも近くにあって、人も多くないし、“良い場所だね”って口コミで遊びに来る人達を一方的に責めることも難しくて。
お互いが歩み寄れば、もう少し良い関係ができるんじゃないのかなって思うんですよ。ちゃんと伝える、伝わるように伝える、その上で使ってもらう、時には手伝ってもらう、手伝いたい、関わりたいと思ってもらう…。
でも、そんなのこちらの都合ですよね。それなら別の場所に行くっていうのが“普通”なんでしょうね。だから、何かを求める前に好きになってもらいたいんですよ。お気に入りの場所、大切な場所を同じ気持ちの人と守りたい、そういう関わり方をしてくれる人が増えてほしい。それは、ここに住んでる住んでない、出身かどうかとかは関係なく…
それとは別で。この地域で行われている “さくらまつり” は元々、地域の人達が楽しむために始められたもの。ここから見るとほぼ真上に上がる大迫力のお盆の花火も、そう。公園もあるし、地域の入り口近くにあるこの空き地は、地域の人達と “何か” をするには、なかなか良い場所。せっかくだから、地域の人が楽しめる事、この場所を楽しい、良いねって思ってくれる人の為に使いたいっていうのもある…。
あ。ほら、また出た、“せっかく” 笑。そうじゃないんだよ。
違うんだな…。
んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー💩
いや、何かを造ってみたいってのはあるんです。
おじいちゃんの木、それが良いけど、そうじゃなくてもいい。
この地域の森林率は98%もあるらしいんです。
国有林だったり自由に使えない山もあるとは思いますけど、何十年も前に、誰かのお父さんやおじいちゃんや、曾おじいちゃんが、“誰かのために” って植えた木もたくさんあるはずなんです。それを使いたい。
手入れもされてなくて、一般の流通にも乗らないような木でも、地域で、自分達で使うには充分だったりします。
そういう木とか竹とか、地域の資源で造った物を自分は使いたいし、それで誰かが喜んでくれたら嬉しい。
それは単純に、面白そう。
効率とか儲けとかじゃなくて。←これを考えるのが本当にめんどい。
でも、お金は必要ですよね。
…
…
…
いや、お金はなくても何とかなることもあるって話、どっかで聴いたな…笑
まあ、でも一応ね。
必要な前提で考えて必要なくなれば、それはラッキーってことで。
それで思ってたのが、空き地に宿泊やレンタルできるような施設を造るっていうのと、河原でマルシェです。
とりあえず、マルシェの方から。
IKUTO Lab. の大也さんも、とても素敵な作り手のお一人。(ものづくり以外の部分でも、地域との関わり方や在り方が素敵だなって思います)
下に画像を載せた “ゼット屋台” 。
こちらの、“土に還る” ってコンセプトも素敵。
私、基本的に“自分の手に負えるもの”の中で暮らしたいんです。
まぁ、スマホとかガンガン使いますけど笑
出来る範囲、無理ない範囲で、それをしていきたい。
地産地消って、食べ物だけじゃないと思うんです。
他の資源、場所も人も物も…地産地消が結局エコで、持続可能なんじゃないのかなって思ったり。
あ、また大きな話みたいになったけど、昔からそれは当たり前に生活の中にあったものじゃないのかなって思います。単純に移動する手段がなかったからでもあるだろうけど、移動する必要もなかった、移動しなくても成り立っていたという事でもあるのかなと。“暮らし” は特別なもの、どこかからわざわざ持ってくるものっていうより、目の前にあるもの、“そこで暮らす” ってことだと思うんですよね。…よく分からんけど。

こんな素敵な屋台が、あの河原にズラッと並んでたりしたら、いいよねぇなんて思うんです。そして、それを自分が造れたら…って。


ほらほら、この川のほとりに、あんな素敵な屋台が並んでたら行きたくなりません??
屋台をレンタルする、マルシェを主催して出店料をもらう。
多くは稼げないかもしれないけど、それよりも、ここを好きになってくれる人が増えたら嬉しい。
稼げなくてもいいんだけど、稼ぐ必要があるなら、こういう事して稼げたらなって思います。
あともう一つは、施設?家?小屋?です。
春~夏、遊びに来る人に貸す。←これは高くしても良いと思ってる。
お試し移住に使う。←これは迷う。
地域の人や、外に出てる人へ、この場所での暮らし方を提案する。←これは少し割安で?
その他、レンタルスペースとして貸す。
例えば条件付きで、“草刈りに来てくれたら割引”みたいなのがあっても良いかなとは思ってる。
んーそういう条件は良くないのかな?でも、やったことない人からしたら草刈りとか桜の剪定だって充分なイベントだと思うし、何をするかより、誰とするか、だと思うんだよね。その後に空き地でBBQとかあったら楽しそうじゃない?(こんなのやってる地域はいっぱいあるし、それで人を集められるかというと、難しかったりするんでしょうけど)
まぁ、ただ遊びたい、消費したいって人からはお金貰うけど、お金どうこうより、関わって欲しいんだよね。
だって、私はずっとここに縛られたい訳じゃない。
旅行もしたいし、1ヶ月とか数ヶ月単位で海外に住むとかもしてみたい。
で、“やっぱ日本が一番やわ〜”とか、“地元、最高やな〜”とか、“実家が落ち着くわ〜”みたいなの、言いたい笑
だから、数少ない住民だけでヒーヒー言いながら何とか維持するみたいなのじゃなくて、できる人や、やりたい人がする、色んな人が関わって、楽しみながら助け合う、“疲れたな~” とか言いながらも笑って乾杯する。そういうのが理想。定住が必須ではない。
自分や子供が、出たい時に出て、またいつでも戻ってこられる状態を維持できるようにしたい。
…
そんなこと考えてる場所ってあちこちにあって…。
どうしたらいいんでしょうね?笑
これ、“地域の為” のようだけど、思いっきり、自分の為なんですよね。
自分が楽したいし、自由でいたいし、そうやって過ごしてたいから、その為にはやっぱり人手、この場所を好きになってくれる人手が必要なんです。
ちなみに、自治会で実施された住民アンケートを見てると、諦めつつも、ここが好きって人は多いんですよね。もうどうしようもないとか言いつつ、嫌いではない。昔みたいに人が多くなったらいいけど、無理だよね、何にもないし。って感じ。
でも、人口減少や高齢化が急激に進む日本で、都会に住む人達を田舎がこぞって取り合うみたいな構図は、好きじゃない。そもそもみんなが田舎暮らし好きなわけではないし、むしろ田舎に住みたくない、住めないって人が多いから都会の人口が多い訳で。取り合いじゃなくて、関係人口を増やすんだよって言われても、それは結局ことば遊びで、取り合いじゃん!ってね。
でも一方で、取り合わなくても何とかなるんじゃない?なんて楽観的にも思ったり。そもそも今が過密なんだから、適正値に戻っていく、そのサイズに社会をリスケールすれば良いんじゃないかって。…簡単な話じゃないだろうけど、そもそも社会なんて簡単なもんじゃない、ですよね?
“リスケール” と言えば、株式会社やまとわさんが春に出された “sees magazine” にも出てくるお話。ポッドキャストを聴くようになって、社会とデザインの関係性について知るようになって、“デザインってめっちゃ大事やん!!” って思うようになりました。今更?って話かもしれないけど、今までは “社会のデザイン” みたいなこと言われても全然ピンときてなくて。単純に形とかサイズをか見た目の話って位の間隔だったんですが、全然そんなんじゃなくて、すっごく深くて面白い話だったんだー!って感じです笑。
どんなにすごい技術や知識も、デザインが上手くできてないと全然機能しないんだなってことが分かって。デザインって、社会課題の多くに関わってるなあと日々感じてます。…これも大きな話のようだけど、私にとっては身近で目の前にあるものって気がするのはなんでだろ?
「sees magazine」はこちら↓
やまとわさんのメンバーシップにも入ってます。
ここでのお話も、また面白い♡
応援してもらうためのメンバーシップがあってもいいよね。
初めてデザインについて、“そうだったのか!!!”って思ったポッドキャストがこちら↓
この中で “武田信玄ってデザイナーだったんだ!” という話が出てくるんですが、そこがもう衝撃で。あぁ!デザインってそういうことなんだ!って思ったんですよね (私の思うデくザインの概念が合ってるかどうかとかは分かりませんが)。
こちらのお話も好き♡
“デザインで社会を美しくする” って言葉。
初めて聴いた時はすごく、ふわっとしていて。でも、武田信玄の話の後にもう一度聴いたら、ズシンってきたんですよね。あーそうなのかぁ~って。
「材木ラジオ」も「自然資本論」も、全回視聴済みです。お気に入り回は、それだけでnote一つ書ける位には好き。そんなエピソードが何十個もあります。面白いんで、紹介した以外の回も是非聴いてみてください。それで、ハマったら教えてください笑
また話、逸れましたね。
人口については、こんな感じ↓
こうしてみると、日本が多すぎなのかもと思えてきたり。

(面積だけで比較するのは横着ですが)


厚生労働省HPより(画像タップで飛びます)
あぁまた話が大きくなったんですけど。こういう事も踏まえてってことで。でも、これだけテクノロジーが発達してるんだから、やりようはあるんじゃないかとも思ってます…これまたどんどん話が逸れそうなのでこの位で…。
で、なんの話だっけ?
…あ、空き地に(いや実は空き地より、もっと目立たないところにひっそり造りたかったりもするんだけど)つくる建物の話、ですね。
少し遠回りかもしれませんが、自分の住んでる地域の話から。
先日のお盆、久しぶりに地元で夏祭りイベントみたいなのがあったんですよ。人口400人ちょっと、半分以上が高齢者の地域で200人近い人が集まったらしいんです。私自身も参加したんですが、ほとんどが小さいお子さん連れの家族とそのおじいちゃんおばあちゃんって感じで。70代以上の人はかなり少なかったように見えました。実際120人位は地域外からの訪問だったとのことです(この集計も任意でお願いした記帳によるものなので、実際はもっと多いかも)。
この話だけだと、意外とまだまだイケるかも?なんて希望を持ってしまいそうですが、現実は甘くない。多分、今がピークです。
今回子連れで参加してくれた世代は、この地域の小学生が多かった最後の世代とほぼ同じ。つまり、この先はお盆に帰ってくる子供たちもどんどん減っていくんですよね。
私は、この地域の将来はこの先10年で確実に変わると思っています。

(おおよその数値です)
水色部分は30年後の人口ピラミッド、かもしれない
あと10年したら、今バリバリ動いて草刈りとか地域の事とかしてくれてる人達は、思うように動けなくなってくるんですよね。で、その子供世代は殆ど地元にいない。それ以下の世代はそもそも元の人数が少ない。この時以降、地域の子供の数は増えていません。
今まで通りにやってて回らなくなるのは目に見えてるんですよ。
それで自分が考える、この地域の少し未来の姿。
何十年後なんて考えられないし、その時はきっと、今とは全然違う世界が、この地域だけじゃなくて世界中で見られると思ってます。それはそれで楽しみにしているし、それはまた別の話。
インフラの整備がされる地域が限られて(とは言えこの地域は大丈夫な気もしているのは気のせいかもしれないけども)、一度甚大な災害が起これば後回しにされることが目に見えているこの場所で。安心して楽しく過ごす、できれば稼ぐ。
その為につくってみたいもの。
秘密基地?セカンドハウス?
2拠点、多拠点生活っていいなと思ったりしていて。
その提案ができるような、モデルハウス的なものを造れないかな?って思ってます。“それいいね” って真似してくれたら嬉しい (真似するって言うと自分が先に考えた!みたいになるからあんまり使いたくないけど語彙力なしw) 。
今、30代くらいの、それこそ先日のイベントに帰省してきてた人達って、既にもう、別の場所に家を建てていたり、仕事持ってたり、暮らしがあるんですよね。そういう人達に、そこを捨ててここに住んでっていうのは難しいと思っていて (もちろんしたい人は大歓迎なんだけど) 。でも、この地域のことを大切に想ってる人達は少なくないと感じるんです。じゃなきゃそんなに帰ってこないかなって。ただ、現状のやばさみたいなのを現実として、自分事として考えている人は少ない気もしていて。“人が少なくなったな”、“寂しいね” とは言っても、自分の親はまだまだ健在。いつか自分が家や田畑、山を相続したらどうなるか、あと数年で草刈りがままならなくなって、田んぼする人がいよいよいなくなったらどうなるか。一瞬で荒れていく、そこへの危機感。私も十分にあるとは言えません。何とかなるやろ、なるようにしかならないよねって気持ちがどこかにあったりもします。でも後悔したくないから。
あの川で遊べる環境を残してあげたいし、そんな姿を見たい。
それをね、VUILDさんのNESTINGのように自分達で、地産地消で造れたらいいなって思います。関わる人が増えれば、そこに愛着を持つ人も増える訳で。そうやって、建物だけじゃなくて、場所や土地にも興味や愛着も持ってくれる人、大切にしたいって関わってくれる人が増えて、いい方向に行けばいいなって…。
ん。んんっ???いや、そう。確かにそう。そうなればいい。でもまた、少し “自分” から離れてないか?大丈夫??公より、個。人を巻き込む、仲間 (共犯者) を増やす。そうして世界を変えていく。そうなればいいかもしれないし、そうしないと変わらないかもしれないけど。自分が楽しめないと意味がない。苦しくならない方法で、そこにハマらないように意識して…。


良くないですか?

できれば、釘や金具、自分達で処分できないものをできるだけ使わずに、もし管理できなくなっても朽ちていくものでつくる。長持ちじゃなくていい。壊れたら、綻びたら直せばいい。直せるものが良い。不便をしたい訳じゃない、文明を否定したい訳ではない。便利で快適。でも遺さない。立つ鳥跡を濁さずっていうじゃん。そういうのがいいんだよね。
それを、おじいちゃんたちの木とか竹とかでつくる。一人で勝手にやりたいけど、仲間と作ったほうが良いんだろうな。良いんだろうなってのが、良くないんだろうな笑。まあいいや。“いいね!やってみようよ!” って言ってくれる人が居たら、一緒にやりたい。多分、そんな人となら楽しめる。
水道や電気やガスは欲しいけど、なくても大丈夫にしておきたい。いざとなったら、近くの川から水汲んできて使ったり、トイレもコンポストトイレ併設したりしてね。災害等でインフラが途絶えても、しばらく (できるだけ快適に) 生き延びられる場所。
空き家も多くなっているこの地域 (っていうか、日本中) 。いつまでも誰も住まない家を残しておくのはリスクです。解体にかかる費用や持ち主の特定、更地になった後の税金など、放置されている理由はそれぞれあるかとは思います。けれど放置すればいずれ崩れたり、獣の住処になったり、犯罪の可能性だってあるんですよね。
それならさっさと解体して、小さく帰れる (運用できる) 場所にしておくのも良いんじゃないかなって思うんです。古民家好きの身としては、改修して住むというのもお勧めですが、色々余裕がある人じゃないと難しいので。
自分で何とかできるものって書いたけど、何とかできなくても気になるものはあるし、良いなって思うものはあるんですよね。安心や安全、快適さに繋がるもの。太陽光パネルとかあんまり好きじゃないんだけど、Monochrome さんみたいに、リサイクル可能とかならありかもしれないと思ったり。Starlink とかね(ほんとは日本企業、堀江さんとかに何とかしてほしいけどw)。プロパンガス小容器は簡単に持ち運びができるポータブルエネルギー! とかもあり。この辺りは都市ガスじゃなくてプロパンガスなので、使いやすいし (昔はこの小さいプロパンガスで鍋とかしてました)。EU9iGP - 防災向け低圧LPガス発電機|Honda公式サイト 発電もできちゃうらしいし。
そこに住まなくてもいい。週末だけ、来たい時だけ帰ってくる。使わない時は誰かに貸す。仲間と一緒に造って、共有する。災害時には避難場所にもなる。そういう場所。
あと、家じゃなくてもトレーラーハウスとか、キャンピングカーも良いなって思っていて。もしそれを造るなら、Shop Botでやってみたい。で、それで、日本中巡るとかも楽しそう。

仲間とつくって、仲間と使って、仲間と手入れして。使わない時はレンタルしたりして…。楽しそうなんだよなぁ〜♡
…それで。
ここからは自分がしたいというよりは、全体としてこうなったらいいんじゃないかな?こんなのはどう?っていう話。
もうね、草刈りとか掃除とか役員とか組織とかお金とか…一切合切まとめる!!簡単じゃないんだろうなってのは、分かります。分かってないかもだろうけど、大変だろうなとは思う。でも、まとめる。全部全部、一度にはできないかもしれないけど、したくないかもしれないけど、しなくていいとも思うけど。でも、やるって決めた時にやらないと、後で…ってした結果が今なんだから。
で、本当に必要なことだけ残す。残したお金やモノ・コトをどう使うか考える。やってみる。また考える…。
って、こんなこと書いてて。“これ、人生とか、一日の使い方みたいな話と一緒じゃん”てなった。まともに自分の生き方も整理できてない自分が言える事じゃなかったわ。笑え
る…ないな。でも、言うのはタダだから言っちゃう。
で、手が必要なことは、この場所に関わりたい人達で分担する。家があるとか、住んでるとか、そういうことじゃなくて。ここの暮らしと関わりたい人達(そんな人達の数が少ないっていうのが、田舎の問題なんだよね)。
そして運営していくための費用は、手を動かすのは難しい人達も含めて、住んでる人、暮らしてる人、土地や家がある人達で賄う。マンションの管理費のような感じで地域の管理費として集めて、動いた人に還元する。
“そんな金どこにあんねん” と言われそうな気もしますが、今集めている自治会のお金をもっと工夫すれば使えるんじゃないのかなぁとか、そもそも色んな組織のお金を集めてきたら、そこそこの金額なんじゃない?とか。
今、住民の多くは昔から続く自治会に入っています(移住者の方など一部入っておられない方もおられます…それはそれでどうなんかなとも思うけど)。月に数千円の組費を払って、地域のあれこれに使うんですけど。
例えば月2000円の組費、200件の家、1年間で480万円。これを2人で割ったら240万/年、3人なら160万円。この額が保証されてたら、仕事としても悪くないと思うんだけど…甘すぎですか???草刈り、掃除、雪かき、その他諸々地域の困りごとやります!って言ったら…無理かなぁ…。
それだけじゃ足りない!って言われるかもだけど、足りない分はダブルワークしたり、自分で考えて仕事(お金)にするんだよ!ってことで。
こういうのもありだと思ってる↓
そしていつか…
この場所を閉じる時が来たら…。
いや、その時の為に。
ここでの暮らしや、暮らしてきた人々、起こった出来事。
それをいつか思い返してもらえるように、誰かの記憶と共にあり続けられるように…。
今から記憶や記録を遺しておくのも、大事なんじゃないかなって思ってます。
廃校になった小学校や地域のコミュニティセンター (旧保育園) には、昔の写真がたくさん残っていて、先日のお盆イベントでも多くの方が見に来られていました。懐かしい人や、自分のお父さんの子供の頃の姿など、どの写真も思い出深くて見ている皆さん、とても嬉しそうでした。
今ならまだ、そんな写真や、古くからこの地域に伝わる始まりの物語、紡いでこられた文化、そういったものを未来に遺せるチャンスがあります。テクノロジーだって進んでる。…なんとかできないかなって思ってます。方法はあるけど、やっぱり人手が問題。でも、この先もっと足りなくなるんです。そして、大事なものはどんどん失われていく…。
それが自然なことなのかもしれないけど。
寂しいのはちょっと、悲しいですね。
こちら↓は紙の本ですが。
遺すんだっていう強い想い?執念みたいなもの?に衝撃を受けました。

だらだらと長くなってすみません。
まだまだある気もするけれど。
これ以上のぐだぐだは何か違う気もするので。
全然取り合えずって長さの記事じゃなくなってしまいましたね笑
でも、読んでくれた人がいたら嬉しいです。
ありがとうございます。
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