作業の画面から離れたくなくて、聖書ごと呼び寄せた人の話
プログラマーには、作業をしている画面から離れたくない瞬間がある。調べものが1つあるだけで、いちいち別のアプリやブラウザに切り替えるのが、なんだかもったいない。
その「離れたくない」という、ただそれだけの気持ちから、 自分の信じる聖典まるごとを、作業画面の中に呼び寄せてしまった人がいる。 本題はここからだ。
「ヨハネの福音書、3章16節を、口語訳で」
作者は、ふだんはIT分野で働きながら、あるキリスト教系メディアの編集の仕事にも携わっている、日本のクリスチャンだ。読みたい聖書の箇所を伝えたいとき、まわりくどい操作は要らない。ふだん使い慣れた、短い命令の書き方そのままに、数語を打ち込むだけでいい。すると、その場ですぐに文章が表示される。26の言語・27通りの翻訳を切り替えたり、並べて見比べたりもできる。単語をひとつ指定すれば、聖書全体の中からその言葉が使われている箇所を、一瞬で探し出すこともできる。
画面を、離れたくなかっただけ
作者本人は、この作品を作った理由をこう語っている。仕事でずっと作業画面に向かっているとき、聖書を読みたくなっても、わざわざブラウザや別のアプリを開いて、そこから離れるのが嫌だった、と。ただ、ふだん使っている命令の書き方のまま、文章を画面に呼び出したかった、それだけだったという。
その気持ちに、信仰的な理由も重なっていた。作品の説明書きの最後には、これを作る後押しをしてくれた存在として、自分の信じる神への感謝が記されている。実用上の小さな不満と、信仰にもとづく思いが、同じひとつの動機として重なり合っている。
一度止まり、3年8ヶ月の空白を経て、また動き出した
最初のバージョンが公開されたのは、2022年の初め。ところが、その年の秋に一度発表した反応はごくわずかで、そこから長い間、目立った動きは止まっていた。
再び動き出したのは、2025年の秋。今度は土台からすべて作り直すという、大がかりな再挑戦だった。 止まっていた期間は、実に3年8ヶ月にもおよぶ。 それでも作者は諦めず、今年、生まれ変わった形で作品を世に出し直し、この記事を書いている今も、新しいバージョンを出し続けている。反応が薄くても、いったん離れても、また戻ってきて作り続けられる、ということを、この作品の歩みそのものが示している。
一人で、検索エンジンの心臓部まで作ってしまった
積み重ねられた作業の記録は、636件。そのほぼすべてが、作者一人の手によるものだ。しかも驚くのは、聖書の言葉を探し出す仕組みそのものを、既にある有名な検索の仕組みを参考にしながら、一から自分の手で作り直してしまっていることだ。 既製の部品を借りるのではなく、心臓部にあたる仕組みごと、一人で作ってしまった。 ふつうなら諦めて既製品を使うところを、納得のいく形を求めて、そこまで踏み込んでいる。
作者はここでもAIの手を借りている。設計の進め方を記した文書には、AIと対話しながら判断を重ねていった跡がそのまま記録として残っている。一人だけの手と時間では届かなかったであろう領域まで、AIと組むことで踏み込めている。
テンプレートに残っていた、他人の名前
説明書きを読むだけでは、ここまでは分からなかった。中身をあちこち開いてみて、初めて気づいたことがある。
この作品の利用条件を記した書類の隅、あまり読まれない付録のような部分に、本来なら作者自身の名前が入るはずの場所に、参考にしたひな形を作った、まったく別の会社の名前が、そのまま残っていた。おそらく、土台となる型を借りて作り始めたときのまま、書き換えるのを忘れてしまったのだろう。 大がかりな仕組みの隅々に、一人でこつこつ手を動かしている、生々しい痕跡が残っている。 完璧に整えられた製品というより、今もなお手を加え続けている途中の姿が、そこかしこに見える。
毎日いる場所に、大事なものを持ち込む
この作品がいちばん教えてくれるのは、自分が毎日いちばん長く過ごす場所に、そこにまだない、自分にとって大事なものを持ち込んでみる、という発想だ。
もしあなたにも、毎日必ず戻ってくる場所があるなら……それがパソコンの画面でも、通勤電車でも、台所でもいい……今日やることは1つでいい。 その場所に、自分が本当に大事にしているものを、ひとつだけ小さな形で持ち込んでみることだ。 遠くに新しい何かを探しに行かなくても、いつもいる場所を、少し変えるだけでいい。
参考リンク
作品本体
https://github.com/nehemiaharchives/bbl
そのほか(海外での紹介・議論)
