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手癖を自覚して、新しい引き方をする

「あ、今だな」と感じた時に、部屋の端からオラクルカードを手に取って引く。
自分でもうっすらと「こうかな」と思っていたメッセージが出て、自分がより良い方へきちんと向かえていることを確かめる。
解説を読んだり絵柄をじっと眺めていたりすると、自分の感覚頼りに得ていた「こうかな」に、プラスアルファが加わることも。

カードと仲良くなれてきた感じがする。

自分の鏡として使うけれど、今の自分よりちょっと先を映してくれるように。


一方で、仲良くなってきたからこそマンネリに気をつけようと気持ちを新たにしてもいる。
カードと「仲良くなる」というのは、もちろんエネルギー的にもだし、物理的にも。

カードを切る(カットする)という動作に慣れてきてしまっている。

私は元来、カードを切るのが苦手だ。
トランプサイズのカードさえ上手に切ることができなくて、日本でごく一般的な切り方(あの、上下にサクサク入れ替えていくやつ)すらぎこちない。

オラクルカードサイズになるとそのぎこちなさはさらに増して、人生で初めて買ったオラクルカードを何度撒き散らしたかわからない。多分、そういうトラブルの起こらないように、「マットの上で、回すように混ぜる(シャッフルする)」という混ぜ方も存在しているのだろう。

私が5年間悩んで、ようやっと手元に置くことに決めた人生4つ目、今手元にある唯一のオラクルカードは、ジャンピングという偶然性を大切にしたくて、わざとカットして引くようにしていた。

私のぎこちない手元から、その日に必要なメッセージが勝手にジャンピングしてくれるという、恣意性を込めるのが難しいスタイル。

しかしカードと仲良くなってきたこと、繰り返してきた「カードを切る」という動作に慣れてきてしまったこともあって、私の手元ではジャンピングが発生しなくなってきた。

こうなると「どこから、どうやってカードを選んで引くか」が問題になってくる。私の新しい課題。

私は形を大切にしてしまう理性偏重なところからスタートしてしまいがちなので、ついついこれまで得てきたオラクルカードの知識を駆使して選びたくなってしまう。

「今、理論から選ぼうとしている」のを自覚して、あえてそこから離れようとしてみる。

もっと自由に引いている友人たちの顔と、その手元を思い起こして。自分の感覚を研ぎ澄ませて「今日はここ!」と一枚選ぶ。

今の私の引き方は一定じゃない。
寝起きすぎて手元のコントロールがうまくいかず、まだまだジャンピングが発生する時もある。
逆にうまくカットできすぎて、全然飛び出してこない時もある。

でも、それでいいと思っている。

理性に頼らないという練習。「慣れてきた」ことを自覚して、あえて理論にはまらないで居る練習を今はしている。

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