【被災地のいま】熊本地震後、故郷・八代に戻って感じたこと
先日、熊本地震を経て、私の故郷である熊本県八代市へ行ってきました。
実家の片付けと、近くに住む姉夫婦の家のお手伝いをするためです。
実際に現地へ足を運び、自分の目で見た八代のリアルな現状と、故郷への想いをここに残しておきたいと思います。
八代へたどり着くまでの厳しい道のり
まず何よりも、八代にたどり着くこと自体が一苦労でした。
当時の情報では「国道3号線の通行が厳しい」とのことだったため、県道14号線(八代鏡宇土線)を使って車を走らせることに。
しかし、道中は困難の連続でした。
道路の段差と片側交互通行
橋との繋ぎ目に大きな段差ができており、応急舗装作業のために各地で片側交互通行になり大渋滞。
陥没やマンホールの突出
路面があちこちで痛んでおり、マンホールが飛び出ていたり陥没したりしている場所を避けながら慎重に運転せざるを得ませんでした。
緊急車両の優先通行
頻繁に救急車や支援の緊急車両が通り過ぎるため、そのたびにごく自然と停車や徐行が重なります。
普段なら30分〜40分もあれば着く距離なのですが、この日は八代までたどり着くのに約2時間以上かかりました。
それでも「まだ状況がマシになった方」だそうで、直後の最もひどい時期には3時間以上かかっていたそうです。
一変してしまった見慣れた景色
八代へ向かう道中、車窓から見えたのは、これまで見慣れてきた故郷とは全く違う景色でした。
建物の全壊や倒壊、大きく傾いてしまった家々。
普段何気なく通っていた踏切には電車が止まったまま動いておらず、通過できずに大きく迂回を余儀なくされました。
長年暮らしてきたからこそ分かる「いつもの風景」が奪われている現実に、胸が締め付けられる思いでした。
50年の人生で一度も見たことがなかった「煙の出ない煙突」
今回、最も大きな衝撃を受けたのは、報道でも取り上げられていた日本製紙の工場を目にしたときでした。
「煙突が折れた」というニュース自体もショックでしたが、それ以上に言葉を失ったのは、全ての煙突からピタリと煙が出ていなかったことです。

私は50年以上生きてきましたが、煙が出ていない日本製紙の姿なんて、たぶん一度も見たことがありません。
良くも悪くも、「煙突から黙々と上がる煙」こそが八代の日常であり、生きている街の象徴でした。
静まり返り、煙の消えた工場の風景を見た瞬間、何とも言えない感情が一気に込み上げ、思わず涙が溢れ出しました。
前に進むために、今できることを
深いショックを受けつつも、「ここで立ち止まっていては実家も姉夫婦の家も前に進めない」と気持ちを奮い立たせ、手助けに集中しました。
瓦礫の撤去や家財の片付けなど、自分にできる限りの作業をやり切りました。
どこまで役に立てたかは分かりませんが、家族の不安を少しでも和らげることができていればと願うばかりです。
最後に|故郷・八代と熊本の復興に向けて
これからも、私の大切な故郷である八代が前と同じ姿を取り戻し、いや、それ以上に素晴らしい街へと生まれ変わっていけるよう、私自身も尽力していきたいと思っています。
そして、この記事を最後まで読んでくださった皆様へ。
どんなに小さなことでも、どんな形でも構いません。
どうか熊本県に温かい手を差し伸べ、お力を貸していただけたら幸いです。
皆様の温かいご支援と応援を、心よりお願いいたします。
