【工事担任者総合通信】【第二種電気工事士】資格試験に挑んでみようと思う

お久しぶりです。yunimaです。このnoteもだいぶほったらかしにしていましたが、また書きたいネタが貯まってきたのでそろそろ再開しようと思います。
最近第二種電気工事士と工事担任者総合通信を受験することに決めたので、今回はそのことと、その背景にある僕の受験戦士としての苦い経験について書きますね。

病状よくなってきたぞ~!!

さて近況報告ですが、去年の暮れに県境をまたぐ引っ越しをしたのを機に精神科を転院し、新しい主治医のもとで治療を始めた結果方針がピタリとハマったようで病状がメキメキよくなってきました。
それまでは就労継続B型事業所で「この作業クソつまんねぇな~!」と思いながら時給100円でWebコーディングをしていたのですが、もうここまで回復すれば就Bはレベルが合わないだろうから一般就労に向けて動いてみてもいいのでは、と主治医からお墨付きをいただき、ちょっとゆっくりめの就活をしてみようと思い立ったわけです。そこで思いついたのが電工二種と工事担任者総合通信でした。

まず僕の半生を語ろうか

僕が電工二種と工事担任者総合通信という資格を取ろうとした理由を説明する前に、僕の半生を説明しましょう。

僕が最初にブルーカラーへの憧れを抱いたのは中2の職業体験でバスの整備工場に行ったことがきっかけでした。3日間の実習で本当にやりたいことが見つかったかもしれないと喜んだ僕は喜び勇んで実習先の方にこう質問しました。
「どんな大学を卒業したら、この仕事に就けますか?」

僕は哀れな受験戦士でした。親の言われるままに中学受験の世界に入り、期待を背負って頑張りました。毎日死にたくて、自殺未遂までして合格を掴んだ先にはまた別の地獄が待っていました。
中学は東大進学を目標に掲げる新設校でした。学費が安くて家から近いという理由で親が決めた中学。僕は疲弊していて、だんだん授業に行くこともままならなくなっていきましたが、それでも勉強は続けていました。だって、いい大学に行って、いい会社に就職して、幸せな人生―幸せってどういうことなのか、よくわからないけど―を歩んでいく、それが僕の人生だから。みんなそう言ってるから。

そんな僕の目の前に自動車整備士という魅力的な選択肢が現れたのです。本気で追いかけたい夢ができた、そう思いました。それでどの大学に行けばいいか僕はその場で質問しました。

答えは思いがけないものでした。曰く、大半の社員は専門卒で、大卒は一人だけ。その大卒の社員さんの出身校も、およそ親や先生が期待しているような大学ではありませんでした。

…この職業、僕がなっていいのかな。親にも先生にも失望されるんじゃないか。車好きでもないのにいきなり自動車整備士になりたいなんて言い出すの、よくないんじゃないか。だって僕はいい大学に行って、いい会社に就職して、幸せな人生を歩まなくちゃいけないもの。みんなそう言ってるもの。

だから僕はその夢を封印しました。
疲弊のあまり精神がボロボロになり高校への内部進学を辞退して通信制高校に行っても、東大に行くつもりで必死に勉強する日々。それが精神を蝕み、成績は下がる一方、気づいたときには一浪してかろうじて入った大学さえ中退し、放送大学生の肩書きはあるものの何をしているのかよくわからない人になっていました。

結局、なんで電工二種と工事担任者総合通信なの?

本題に戻ります。
今回就活を始めるにあたって、始めにあったのはブルーカラーになりたい!それも電気系や機械系がいい!という強い気持ちでした。手に職つけられるし、機械触ったり配線したりするのもすごく楽しそうだし、資格試験だって面白そうだし。
それにバスの整備工場で見たエンジニアのみなさんが働いている姿がどうしても忘れられなかったんです。技術で食っていくっていいなぁ、って。今までITの世界ばかり追いかけてきたけど、技術で食っていってる人たちってIT業界以外にもいっぱいいるんですよね。

それにあたっていろいろ調べたところ、電工二種に興味を持ちました。就職市場で有利で、食いっぱぐれないとか・・・
電気は高1で履修した物理基礎以来で大学受験でも使っていないほどなのですが、いい機会だしやり直すかー!ってノリで受験することに。
あと実技の勉強はすごく楽しみだけど、金銭面で負担が大きいそうなので独学ではなくポリテクで習うつもりです。秋ぐらいに入学できたらいいなぁ。
なので受験時期はまだ未定。

工事担任者は電気通信工事ぐらいしか使わない資格ですが、電気通信分野に就職できれば今やっている勉強を少しは活かせるかも?という期待を込めて取ってみようと思います。
ペーパーテストだけでお手軽に取れそうだし、過去問見た限り大学で勉強したことや基本情報技術者の勉強をしていたときにやったことと被っている範囲も多く、それなりに軽い負担で合格できると踏んでいきなり最上位種別の総合通信にチャレンジしちゃうことにしました。
大学で今期4単位だけ履修してることを除けば実質ニートだしいけるいける。

ほかにもいろいろ取りたい資格はあるけど、まずはこの2つを勉強して適正をみたいと思います。

手に職という観点では簿記二級や宅建も検討したのですが、せっかくなら興味のあることをやりたいと思いこの2つを勉強することに決めた次第です。

ちなみに自動車整備士の夢は追いかけないの?と疑問に思った方もいらっしゃるかもしれませんが、あれ、職業訓練校で学ぼうとすると4月入学のみ入学可でそのうえ2年かかるんですよね・・・
卒業する頃には職歴なし29歳になってるのには流石に危機感持っちゃうのでやめました。

まだ受験戦士でなかった頃の自分を、少しでも思い出せたら

2020年に僕が失意のうちに放送大学に入学してからというもの、いろいろなことがありました。
友人の死、大切な人との出会い、無理やり家出を決行した結果ボロボロになって結局精神科病院に入院したりもしました。結婚もしましたし、離婚もしました。
決して勉強に集中できる環境ではなかったかもしれません。現に3年次編入から5年経っても卒業できていないのです。

しかし、僕は少しずつ「受験戦士として生きてきた僕」から脱却しつつあるのではないでしょうか。
テストでいい点を取らなければならないストレスで問題用紙を食べてしまうことも、模試会場で続行不能になるほど体調を崩して途中で帰宅することも、親が今まで自分にかけてきた教育費の額が頭につきまとって離れないことももうありません。
「いい中学、いい大学、いい会社」という人生のレールからは外れてしまいましたが、それでもなんだかんだ毎日生きているし、なんなら学校の勉強をしたり図書館で本を読んだり、ときには学校の仲間とワイワイ長電話したりして、無職なりに充実した人生を送っています。

僕が大学受験で心が折れてしまったのは、東大がだめならお茶大、お茶大がだめなら都立大とどんどん志望を下げていくなか、ついに都立大さえ箸にも棒にもかからなくなったときです。
茨城大に志望を下げようとして親と話し合って言われたのが、
「下宿代が払えないから実家から通える埼玉大にして。埼玉大が嫌なら就職して。私大は学費が払えないから行かせられない。奨学金は借金だから認めない」
僕は限界を迎えます。
埼玉大には志望学科がないから、僕はそこに行く価値を見いだせない。かといって就職するという道は納得できない。受験戦士でもなんでもない高校の同期たちがAOや推薦で日東駒専や大東亜帝國に受かってたり、地方の高校生が当たり前のように東京の大学に進学して一人暮らしをしていたりする現実を見て、理不尽だと思う一方、僕はこうも思うわけです。

―ああ、僕はただの投資対象にすぎなかったんだと。

初めて自殺を図ったのは11歳、受験を苦にしてのことでした。12歳の夏、中学受験自体に集中すべきなのに、今年の夏は何十万かけてもらったから元を取らなきゃという歪んだプレッシャーに苦しみ、余るほど持っていた校舎上位の記念品のノートに自殺願望を綴って凌いだ日々。しんどくても部活も勉強も学校のイベントも頑張っていたら、ある日突然起き上がることすらままならなくなった中3の6月のあの日。今でも覚えています。

そういう苦しみはすべて僕の幸福のためではなく、金銭的なリターンのために強いられてきたのでしょう。
もう、そういうふうに苦しむのは僕はやめにします。興味の赴くままに学び、やりたいと思える仕事に就くことに決めたのです。

この資格を通して前を向いていけたらと、そう切に願います。


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