『幸せ』とは何か──誰もが求める人生の目的
「“幸せ”とは何か」
という答えのない問い。
誰もが一度は考えるかもしれない。
私が長い間考え続けてたどり着いた答えをここで共有したい。
●幸せの定義
私は“幸せ”と“幸せな人生”をこう定義する。
『幸せとは、充足感の自覚』
『幸せな人生とは、自分らしい生き方で他者貢献と自己成長をし続けること』
一見すると、この2つは結びついていないように思うかもしれないが、私の中では明確な論理があるのでそれを解説していこうと思う。
●幸せとは、充足感の自覚
まずは、『幸せとは、充足感の自覚』について。
充足感とは、心が充たされている感覚のこと。
その感覚を自覚したとき、人は“幸せ”を感じる、と私は考える。
充足感を充たすためにはどうすればいいのか。
この充足感というものには、満足感と快感が密接に関わっている。
満足感と充足感と快感は、以下のように生まれる。

満足感とは
⚪︎頭(理性)が満たされている感覚
⚪︎即効性も持続性もほどほどにある
⚪︎求めるものはメリット
⚪︎関係するのは脳
⚪︎例:念願の夢が叶う、掲げていた目標を達成するなど
充足感とは
⚪︎心(感性)が充たされている感覚
⚪︎持続性があるが、即効性がない
⚪︎求めるものは心の豊かさ
⚪︎関係するのは自分自身
⚪︎例:家族と他愛のない会話をする、自然の中で過ごすなど
快感とは
⚪︎体(本能)が満たされている感覚
⚪︎即効性があるが、持続性がない
⚪︎求めるものは心地良さ
⚪︎関係するのは五感
⚪︎例:美味しいものを食べる、マッサージを受けるなど
また、それぞれの即効性・持続性に関しては以下のような違いがある。

幸せというのは人生を通して感じていたいもの。
「いっときだけでも幸せになれれば、あとの人生は幸せじゃなくていい」という人はなかなかいないはず。
充足感を充たし続けるためには、図1で表した3つの円のうち、理性と感性の重なりにある、“価値観”が最も重要なのだと私は考える。
なぜなら価値観は3つの円の全体を俯瞰している存在であり、価値観を満たすことで満足感・充足感・快感すべてを満たせると考えるから。
価値観とは、“自分が大切にしているものは何か”。
それが自分にとっての“幸せの形”を形作っている。
自分にとっての“幸せの形”を追い求めるには
冒頭で述べた“幸せな人生”の定義に含まれる部分、
『自分らしい生き方をする』
これに尽きる。
そうすることで、心が生き生きしてくる。
生命力がみなぎってくる。目に輝きを持つ。
心の中が充足感で充たされていくほど、充足感というものを自覚しやすくなる。
ゆえに、幸せを感じられる。
●幸せな人生とは、自分らしい生き方で他者貢献と自己成長をし続けること
次に『幸せな人生とは、自分らしい生き方で他者貢献と自己成長をし続けること』について。
“自分らしい生き方”の部分は前述のとおりだが、“他者貢献と自己成長”について解説する。
人間には4つの行動原理があると考える。

道徳的行動
⚪︎人や社会にとっての“道徳”のための行動
⚪︎目的は心を“豊かにする”ため
⚪︎内容は思いやりと公益の精神に基づく活動
⚪︎例:慈善活動、教育など
創造的行動
⚪︎人間としての“創造”のための行動
⚪︎目的は心を“楽しくする”ため
⚪︎内容は新しい価値を生産する活動
⚪︎例:ビジネス、芸術など
調和的行動
⚪︎人や社会における“調和”のための行動
⚪︎目的は心を“楽にする”ため
⚪︎内容は多様性の共存と共生の活動
⚪︎例:順応、適応など
健康的行動
⚪︎心と体の“健康”のための行動
⚪︎目的は心を“快くする”ため
⚪︎内容は心身の活力となる基盤作り
⚪︎例:衣食住、娯楽など
上位にあるものほど重要度が高く、下位にあるものほど優先度が高い。
4つの行動のうち、健康的行動だけは必要不可欠。
心身の健康が基盤があってはじめて、心身に活力を与える。
それが最低限満たされていない限り、それ以外の行動はおこなえない。
そして、心の豊かさには3段階のレベルがある。
レベル3:
人のための行動によって、自分の心が豊かな状態
レベル2:
自分のための行動によって、自分の心が豊かな状態
レベル1:
自分の心が健康的な状態
自分のためではなく、人や社会のために行動によって、自分の心が豊かな状態、というのが最も充足感を感じられる。
これは綺麗事でもなんでもない。
親しい友人や家族にプレゼントを渡したときに、喜んでくれていることが嬉しい、というのは誰でも一度は経験したことがあるはず。
利他的な行動によって、自分の存在意義が見出される。
つまり、図3の中で、幸せな人生を送るために最も重要となるのが、道徳的な行動と創造的な行動の中間にある“ワクワク”のゾーン。
“利他的かつ能動的な行動”。
それが最も手ごたえがあり、喜びを感じられる。
喜びは大きく3つある。

成長・貢献による喜び
⚪︎成長して可能性が広がる喜びと人や社会に役立つ喜び
⚪︎例:スキルを習得する、人助けをして喜ばれるなど
リフレッシュによる喜び
⚪︎日々のストレスから解放され、気分転換する喜び
⚪︎例:趣味を楽しむ、初めての場所に旅行するなど
リラックスによる喜び
⚪︎緊張を解きほぐし、心を安らげる喜び
⚪︎例:家族での団らん、ゆっくりお風呂に浸かるなど
リフレッシュによる喜びとリラックスによる喜びは成長・貢献による喜びがあるからこそ感じられる。
成長・貢献による喜びがないと、その2つのみでは物足りなさを感じてしまう。
いわば、成長・貢献による喜びは太陽の光で、他2つは月の光のようなもの。
太陽がないと月は輝かない。
図3と図4には、ミハイ・チクセントミハイ氏のフローモデルを当てはめることができる。

成長・貢献による喜びとリフレッシュによる喜びとリラックスによる喜び。
この3つの“喜び”が自分の人生の時間にぎっしり詰まっていることで、“充実感”を感じることができる。
“充足感”よりも実感しやすいのが“充実感”。
成長・貢献による喜びを得られる“利他的かつ能動的な行動”。
実はこれを多くの社会人はおこなっている。
それは“仕事”。
それなのに、多くの現代人は幸せそうには見えない。
それは彼らにとって本当にやりたいことではないから。
つまり、自分の価値観に反していて、自分らしい生き方ができていない、ということ。
たとえ利他的な行動であっても、それをおこなうことが自分の本意でないなら、そこから喜びを感じることは難しい。
また、やりたくないことでストレスや疲れが溜まるほど、その反動で、心身を回復させるために、図3・4・5の左下のゾーンの“利己的かつ受動的な行動”が多くなる。
●なぜ不幸せな人生になるのか
“不幸せな人生”とはどういう人生か。
私は、“自分の価値観に反する生き方をしていて、充足感がまったく感じられない人生”と定義する。
自分が大切にしているものを大切にできていない生き方。
「これがやりたい」→できない
「これを選びたい」→選べない
要は、自分の理想と自分の現状の不一致。
自分の願望・理想・憧れ・意向・欲求などに対し、自分の現在の状態・状況・姿・行動・社会的評価などがほど遠くて、かつ、近づく気配もない。
その差が大きければ大きいほど不幸せを感じやすい。
不幸せになりたい人などいない。
にもかかわらずなぜ不幸せな人生を歩んでしまう人がいるのか。
その多くは本能に因るものと考える。
本能によって不幸せな人生を歩かされているのだと。
そもそも理性と本能はどういうものなのか。
●本能を制する者は、人生を制す
理性とは
⚪︎意思決定のための思考の働き。
⚪︎いわば頭から生まれる意識(手動モード)
⚪︎役目は自分自身をコントロールすること。
⚪︎メリットは賢さ、合理的な判断ができること
⚪︎デメリットは本能の強さに屈しやすいこと。
本能とは
⚪︎生存や繁殖のための行動の働き。
⚪︎いわば体から生まれる欲求(自動モード)
⚪︎役目は心身の健康を維持すること。
⚪︎メリットは強さ、ピンチになるほど強くなること
⚪︎デメリットは目先のごほうびに屈しやすいこと。
上記のうち、重要な点は三つ。
一つ目は、本能は自動モードであること。
二つ目は、本能は満たされないほど強くなること。
三つ目は、本能が目先のごほうびを優先し、長期的な視点が持てないこと。
イメージしてみてほしい。
何日間も睡眠を取らないとどうなるか。
例えばとある富裕層から
「きみが2週間睡眠を我慢できたら、10億円をあげよう」
という話を持ちかけられたとして、あなたは受けるだろうか。
受けたとして、そのチャレンジは成功するだろうか。
睡眠を取らなければ取らないほど、あなたの意識を反して、あなたの体は勝手に睡眠を取ろうとする。
つまり、心身が健康でなくなればなくなるほど、本能による自動モードの力が強くなり、理性によるコントロールが効かなくなる、ということ。
人生において、いかに本能による自動モードにさせないかが大事。
イメージとしては飼い犬が本能、飼い主が理性。
目先のごほうびに飛びつく飼い犬に振り回されていては、飼い主が目指している目的地に一向に辿り着かない。
飼い主が正しい方向へ導く必要がある。
本能をいかにして飼い馴らすか。
飼い馴らせた者は満たされた人生を建設的に計画して進める。
飼い馴らせなかった者は満たされない人生を衝動的に歩かされてしまう。
理性は“意識”、本能は“欲求”。
それを一致させたものが“意欲”。
理性とコントロールと本能の強さを兼ね備えている。
“意欲”を何に向けるかが人生を左右する。
自分の本当にやりたいことはなんなのか。
夢中になれることはなんなのか。
そこに幸せにつながる道がある。
●満足を見るか、不満を見るか
充足感が満たされれば満たされるほど幸せかというとそうではない。
初めに述べたとおり、「“幸せ”とは、充足感の自覚」のことであり、自覚できていること・自分自身で認識できていることが大事。
意識のコントロールをしやすいのは頭で感じる満足感。
“満足”に意識を向けるのか、“不満”に意識を向けるのか。
多くの宗教では
「今あるものに感謝しなさい」
といった、満足に意識を向けるようにする教えが多い印象がある。
こういう言葉もある。
楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る。
― オスカー・ワイルド
要は、「“有る部分”を見るか、“無い部分”を見るかでしかないのだから、どうせなら“有る部分”のほうを見なさい」という考え方。
この考え方は確かに大事だとは思う。
不満に意識を向けるより、満足に意識を向けるほうが心が穏やかになり幸せを感じやすい。
ただ、私の考え方は少し違う。
満足に意識を向けるのも、不満に意識を向けるのも、どちらも一長一短で、使い分けが大事なのではないかと考えている。

満足に意識を向ける
⚪︎メリット:怒り・劣等感が生まれにくい
⚪︎デメリット:変化・成長につながりにくい
不満に意識を向ける
⚪︎メリット:変化・成長につながりやすい
⚪︎デメリット:怒り・劣等感が生まれやすい
言ってみれば、
“負の感情を意図的に生まないようにしたいのか”
“負の感情を意図的に生むようにしたいのか”
を目的によって自らの意思で選択する、ということ。
不満に意識を向けること自体は悪いことではない。
生まれた負のエネルギーは、問題解決のための原動力に変えられる。
「もっと成長したい!」
「高みを目指したい!」
という人で、かつ、負のエネルギーを向ける方向を適切にコントロールできるなら、不満に意識を向けていい。
むしろそうするべき。自分も社会もより良く変えていけるから。
ただ、くれぐれも負のエネルギーのぶつける先を間違えてはいけない。
ぶつけるべきは“対ヒト”ではなく“対コト”。
“コト”を良くする・高める、という目的があって、その手段として議論の中で“ヒト”と意見が衝突し切磋琢磨するのは問題ない。
しかし、“ヒト”を攻撃することが目的であってはならない。
もし仮に、あなたが「怒りのエネルギーは人にぶつけてはいけない」と頭でわかっていながらも、それを思うようにコントロールできず人に当たってしまうのだとしたら、あなたが自覚する以上にあなたはストレスや疲れが溜まっている可能性が高い。
どうかすぐに休んでほしい。自分の心身を労ってあげてほしい。
それは本能によるものだから。
満足に意識を向けるか、不満に意識を向けるかを、瞬間瞬間ではなく、人生単位で見るのだとしたら、周囲との調和を重視する“社会性の生き方”か、自己実現を重視する“創造性の生き方”かに分かれる。

“社会性の生き方”を選ぶなら満足に意識を向けたほうが幸せになれるし、“創造性の生き方”を選ぶなら不満に意識を向けたほうが幸せになれる。
どちらを選んでもいい。自分の価値観に合うほうを選べばいい。
●成功やお金は幸せをもたらすのか
成功やお金は幸せをもたらすのだろうか。
●成功と幸せの関係
“幸せ”な人生というと、“成功”することをイメージするかもしれない。
ただ、成功と幸せはイコールではないと私は考える。
成功とは
⚪︎自分の成果や状態が人よりも明らかに優れた状態
⚪︎人生の“目標”になるもの
⚪︎数値化しやすい
⚪︎自分と他人の比較が基準となる
幸せとは
⚪︎自分の欲求が満たされていて心が豊かな状態
⚪︎人生の“目的”になるもの
⚪︎数値化しにくい
⚪︎自分の心が基準となる
つまり、成功は相対評価であり、自分の心の豊かさには直結しない。
とはいえ、成功そのものが悪いもの、と言いたいわけではない。
成功ばかりに囚われると、幸せになるという目的を見失う、ということ。
成功というものは数字にしやすい。
昨今のSNSが顕著に表れている。
インプレッション数や再生数といった数字至上主義の傾向がある。
投稿の価値を高めることは素晴らしいし、競い合うこともなんら悪いことではない。
ただ、バズを狙おうとしすぎるがあまり、不道徳なことをしてしまうことも少なくない。
成功に囚われると人として大切なものを失ってしまう。
他者とどれだけ比較しようとも、自分の心が豊かになるわけではない。
“どのくらい幸せか”
“どのくらい大切にしているか”
“どのくらい信頼しているか”
“どのくらい愛しているか”
心の豊かさは測れない。
●お金と幸せの関係
では、“お金”というものは“幸せ”にどう影響するのか。
結論からいえば、
お金は不幸せを遠ざけるのに役立つが、
必ずしも幸せを近づけるものではない
と考える。
それはどういうことか。
お金があると、選択肢が得られる。
いろんなことができるようになるし、いろんなものが選べるようになる。
ありあまるほどのお金を手に入れることで、限りなく“自由”に近い状態を手に入れることができるといえる。
ただそれは、できない・選べないといった不幸せを感じやすくさせるマイナス要素がゼロになったという状態。
おそらく多くの人は、
「好きなことを好きな時間に好きなだけできる」
「好きな人と好きなだけ一緒に居られる」
ということが何よりも幸せと考えるかもしれない。
それは現代人が日々やりたくないことばかりでストレスや疲れの多いからであり、その結論に至るのはごく自然なこと。
こういう話は聞いたことがあるだろうか。
若くしてFIRE(経済的自立・早期リタイヤ)を達成したが、好きなことを好きなだけやり続けていたらむなしくなった、というエピソード。
「何もすることがない。テレビがあるからリビングに居続けると、妻から『なんでいつまでもリビングにいるのよ』と言われる。本当に何したらいいのかなとか、社会の一員になってるかなとか、本当にただむなしい」
この方は働かなくても月90万円の収入があるのだそう。
お金も時間もあって、好きなことを好きな時間に好きなだけひたすらできるのに何も楽しくないという状態。
イメージがつかないかもしれないし、信じられないかもしれない。
ただ、これはフィクションでもなんでもなくリアルである。
このエピソードから学べることは、
・人は自分だけが気持ち良くても心が充たされない
・自己成長のない生き方では虚しくなる
ということ。
お金によって、自由や快適さは手に入る。
ただ、好きなことを好きなだけやる、という生活は続けられない。
動物ならそれができる。
なぜなら本能で生きているから。
その生き方が彼らにとっての正しい姿。
我々人間には理性があり、思考力がある。
ふと冷静になったときに、合理的な思考が働き、
「自分は何のためにこんなことやってるんだっけ?」
と自分の存在意義について考えるようになる。
そして、虚しくなる。
人や社会とのつながりがないから。
社会というのは、社会で生きる人同士が支え合うシステム。
そのシステムに参加できていない(投資によって間接的には参加しているが参加している手ごたえがない)、ということに気づいてしまう。
●見えない幸せに向き合う大切さ
幸せは目に見えない。
多くの人は目に見える幸せを求めたがる。
結婚して、
子どもが生まれて、
車を買って、
家を買って、
というのが一般的な幸せのイメージかもしれない。
ただ、それはステレオタイプ。
幸せの正解は、自分の心の中にしかない。
どうしても幸せは目に見えないものだからこそ可視化したくなる。
目に見えることで安心できるから。
既婚者にとっての幸せの象徴が、子ども、家、車、家族の写真
未婚者にとっての幸せの象徴が、恋人、友達、ブランド品、旅行の写真
となっているのかもしれない。
誤解しないでいただきたいのは、それらが悪いということでは決してない。
思考停止して一般的な価値観を盲信してはいないだろうか。
自分の価値観とほんとうに合致しているのだろうか。
自分の心はほんとうにそれを求めているのだろうか。
何より大事なのは自分の心が生き生きしていること。
それは、数字を追い求める満足感を満たすだけの人生でもなければ、自分の好きなことだけをやり続ける快感を満たすだけの人生でもない。
満足感も快感も充足感を充たすための手段でしかない。
自分の心の声に耳を傾ける。
「自分は何をしていたいのか」
「どんな自分になりたいのか」
「どうありたいのか」
自分の心に正直に生きること。
自分らしさと自分の意欲に素直でいること。
本能的に生きて“将来”を犠牲にしてはいけない。
かといって、理性的に生きて“今”を犠牲にしてもいけない。
自分にとっての夢を描く。
そして、描いた夢を目指すことを楽しむ。
自分の心が躍ること・ワクワクすることに向き合うこと。
そこにあなたの進むべき道の答えがある。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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