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見えているのに見えなくなる。視覚過敏の私が羞明と付き合う毎日の話

窓の外はよく晴れていて、とても気持ちの良い天気。

けれど私にとっては、その「気持ちの良い日差し」が、ときどき日常を奪ってしまうことがあります。

今回は、私を悩ませている「羞明(しゅうめい)」について、普段なかなか言葉にできない体験を書いてみようと思います。



見えているはずなのに、何も入ってこない

羞明(しゅうめい)とは、通常の明るさの光に対して異常なまぶしさや不快感、痛みを覚える状態です。

私が羞明になると、不思議な感覚に襲われます。

文字はちゃんと目に入っています。

けれど、読めません。

周りの景色も見えているはずなのに、頭の中に入ってこないのです。

誰かに話しかけられても、うまく言葉が出てきません。

話が聞こえているのに返事ができない。

頭の中に薄い霧がかかったような感覚になり、自分でもどうしていいのかわからなくなります。

外から見ると、少しぼんやりしている人に見えるだけかもしれません。

でも本人の中では、世界との間に一枚厚いカーテンが下りてしまったような状態です。

気合いでどうにかなるものではないので、このつらさを説明することの難しさを感じています。


天気の良い日ほど怖くなる理由

羞明が起こりやすいのは、天気が良くて日差しが強い日です。

太陽の光が目に刺さるように感じると、そこから一気に症状が強くなることがあります。

夏は特に苦労します。

外へ出かける時間が長くなるほど、不安も大きくなります。

「羞明になって動けなくなるのが怖い。」

そんなことを考えながら外へ出る日も少なくありません。

だからといって、家の中なら安心というわけでもありません。

蛍光灯の下でも羞明になることがあります。

屋外だけ気を付ければいい問題ではないところが、この症状の難しいところだと感じています。


感覚過敏だけでは説明できなかったこと

私はこれまで、「感覚過敏だから光に弱いのだろう」と思っていました。

もちろん、それも一つの理由なのだと思います。

けれど眼科を受診したとき、思いがけないことを教えてもらいました。

それは、私の瞳孔が「子ども並みに大きい」ということです。

瞳孔が大きいと、それだけ目に入る光の量も多くなるそうです。

私は長い間、「自分が光に弱いのは気のせいなのではないか」と思うこともありました。

けれど、体の特徴として説明できる部分があると知ったとき、少しだけ安心しました。

もちろん、それだけですべての症状が説明できるわけではありません。

それでも、「私が弱いからではない」と思えたことは、大きな出来事でした。


できる対策はしている。それでも防げない日がある

今は外へ出るとき、サングラスとつばのある帽子が欠かせません。

少しでも光を減らせるように工夫しています。

それでも防げない日があります。

そんなときはアイマスクを使ったり、気持ちを落ち着かせる薬を飲んだり、暗い部屋で横になって休んだりしています。

できることは一通り試しています。

だからこそ、「対策すれば大丈夫」という単純な話ではないことも実感しています。

その日の体調や光の強さによって、症状は変わります。

予測できないからこそ、付き合い方が難しいのです。


働くことを考えると、不安になる

私が特に不安になるのは、仕事中に羞明が起きたらどうしようということです。

もし突然、文字が読めなくなったら。

もし話しかけられても言葉が出なくなったら。

仕事を続けることは難しくなるでしょう。

だからといって、「暗い部屋で少し休ませてください」と言える職場がどれほどあるでしょうか。

私には、その一言を口にする勇気がなかなかありません。

「眩しくて目が見えなくなる」なんて、周りから理解されるだろうか。

そんな不安まで重なってしまいます。

症状そのものだけではなく、「理解されないかもしれない」という怖さも、私にとっては大きな負担になっています。


同じ悩みを持つ人は、どう暮らしているのだろう

羞明になるたびに思います。

同じ症状を持つ人は、どんなふうに毎日を過ごしているのだろう、と。

どんな工夫をして働いているのだろう。

どんなふうに周囲へ伝えているのだろう。

私はまだ、その答えを見つけられていません。

だからこそ、同じような経験をしている人の話を聞いてみたいと思っています。

一人で抱えていると、「こんなことで困るのは自分だけなのでは」と感じてしまうことがあります。

でも、見えにくい困りごとは、見えないだけで存在しています。

私自身も、こうして言葉にすることで、「そんな症状があることを初めて知りました」と言ってもらえる機会が少しずつ増えてきました。

理解してもらうことは簡単ではありません。

それでも、自分の体に起きていることを隠さず伝えていくことには意味があるのだと思います。

今日もまた、天気が良いのでサングラスと帽子を手に外へ出ます。

これが完璧な対策ではありません。

それでも、自分の体を守るためにできることを積み重ねながら、一日一日を過ごしています。

いつか、羞明があっても無理をせず働ける社会や、「少し休みたい」と自然に言える環境が、今より増えていったらいいなと思っています。

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