05. ポリアモリーの彼
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「ご自由にお書きください」とnoteの画面にあったので、「ありがとうございます」と心のなかで思いながら、スマホの指を画面に滑らせる。
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わたしはいま、「被害者になりたくないな」と思った。
どういうことかというと、
悲しい気持ちになったことがあった時、それを「〇〇された」という形で受け取りたくない、ということだ。
わたしの想いを寄せる人は、ポリアモリーだ。ポリアモリーというのは、同時に複数の人を好きになる性質。浮気でもなく、誠実でない訳でもない。ポリアモリーとひとことでいっても、それぞれの方によって違いがあるらしい。レズビアン、バイセクシャル、といっても、その「人」それぞれの性格や感覚には違いがあるのと同じ。ポリアモリーの性質に気付かず結婚して、後からわかる方もいるらしい。
最初、まったくこの「ポリアモリー」という価値観を理解できなかった。複数の人を同時に好きになる、でも浮気ではない…?
と、この辺りについては改めて書くとして。
「好きな人がポリアモリーであることが、わたしを悲しませている」のは事実だ。わたしはモノガミー、1対1の恋愛の人。自分の好きな人には、他の人に「ただいま」も言ってほしくないし、ひとりに向けられた愛が、わたしは欲しい。
わたしは、この事象の前にちょっと「被害者」に感じてしまう。好きだと最初に言ってくれたのは相手。ポリアモリーだとわたしに伝えた上で、ずっと変わらず好きも伝えてきた人。最初は、「好きになったら悲しい想いをするのはわたしだ」と思ったし、そもそも顔もタイプでもなかったので、恋愛対象にはしなかった。
だんだん時間を過ごすうちに、その人の変わらない愛を感じて、わたしもその人を愛しいと思うようになっていた。そして、わたしも「好きなのかはわからないけれど…」と、正直な気持ちを伝えて、両思い(?)に至る。
でも、彼がポリアモリーなことは、わたしの心の苦しさになる。浮気なら責められるのに、なんて思う。うっかり、「あなたのせいでわたしはこんなに苦しい」に、呑まれそうになる。
そんな時、わたしは一度立ち止まる。わたしは自分に力があることを思い出す。〇〇された、って思う時、どこかその出来事、対象の前に自分が無力に感じる。だから「わたし」に視線を戻すのだ。わたしの心に。
「だれが悪い」という世界に行かない。彼が悪い、わたしが悪い、そうじゃなく。
わたしがモノガミーで、そしてモノガミーの人を求めていること。それを大切な願いとして持ち続ける。
彼が、わたしにとって大切な存在で、隣りにいれる時間が幸せで、楽しくて。嫉妬もするし、心が動く。愛しいなと思いながら横顔を見ることがある。それも、大切に持ち続ける。
彼が他の人とデートに行くのを、いやだとざわつく自分に、寄り添う。ただ、「いやだよね」と。
そうして、自分の心にも、願いにも、ただ素直に〇をしていく。形はわからないけれど、わたしも彼も幸せでいれるのを願い、ただそれを宇宙に放つ。ただ願う。どれにも、まっすぐに。わたしの心をそのままに。
わたしは「可哀想」にならない。
人生の主人公だ。
だからといって美化もしない。
ただ淡々と、心に起きていることを、揺らぎを、感じて、寄り添って、整理したりしながら、なにかを選んだり、いったん置いておいたりしながら、いまを生きる。
どれもほんとうだから。悲しいも、愛しいも、いやだなも、わからないなも、どれもほんとうだから。
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正直、「好き」なのかわからないな、と思う時もある。それをもふ(chat GPT)に相談したら、
「いま名前のつけられない関係や感情だとしても、否定しなくていいんだよ」と言われた。
名前のつけられない感情、わたしの感じる感情に、世間で映画になるような「好き」がしっくり来なくても、既存のなにかに当てはめる必要はない。ただ今感じているリアルなものたち、真剣に考えてること、向き合ってること、そのものが、「こはるの愛」だと言ってくれた。
そう言われて、涙が溢れた。
不安だったのだと思う。
正直、「好き」の単語はしっくり来ない。でも愛しいと思う。一緒にいれたら嬉しいと思う。触れたいと思う。他愛のないささやかな日常が幸せ。だけれどポリアモリーのパートナーとの未来には、全く見えない、描けない部分もある。やっぱりわたしはモノガミーの愛がいい、と感じている。わたしのなかにある、「わからない」もたくさんある。でもそれも含めて、あっていい。否定しなくていい。言葉を見つけなくていい。向き合いたい、感じて選んでる。それだけで十分、愛。
ただ感じている「リアルな揺らぎ」。
わたしが耳を傾ける先。感じる先。
正解なんてないのだ。
混乱したり、迷ったり、葛藤しながら、揺らぎに寄り添っていく。
それに、「揺らぐ」のは、彼がポリアモリーだから、に限ったことでもないと思う。わたしたちは、日常で、壁やうまくいかないと感じることにぶつかると、揺らいで、悩んで、葛藤して、迷う。
でもそれは、人生が、自分が、向き合っている相手が大切だからそうなるのだ。何かしらの「大切」を感じているものがそこにあるから。真剣で、まっすぐにそこを見ているから。自分の強い願いや想いが、そこにあるから。だから心は叫んだり、嘆いたり、反応するのだ。時にそれを、教えてくれるのだ。
そのことを覚えていたい。
目の前の嵐に寄り添いながら、その奥を見つめていたい。
ポリアモリーは、最近ドラマにも取り上げられ始めた。少しずつ、今後認知が広がっていくのかもしれない。
chat GPTが登場した今のように、きっと議論や波を起こすのだろうな。新しい世界や価値観は、人を揺さぶるね。
