あの日ボロボロの私を救った、一杯の紅茶のはなし
あなたはお茶に救われたことがあるだろうか?
私はある。しかも2回。
1度目は、まだ紅茶屋を継ぐ前のこと。
東京のITベンチャーで働いていたときだった。
意気揚々と転職したものの…
その頃、私は長年やっていたTV制作の仕事をやめて、ベンチャーに転職したばかりだった。
新しい仕事はグルメ系ウェブメディアのコンテンツ制作。
メインは動画づくりで、その動画といっしょに配信するウェブ記事のライティングも任されていた。
飲食店を取材しては原稿を書いたり、動画を作ったり。
正直マスコミで制作の仕事をしていたから、なんとかなるだろうと思っていた。

しかし、私は入って早々つまづくことになる。
なぜならTVの世界はいわゆるプロダクトアウト。
制作側が「これが面白い!」と思ったものを視聴者に提示する形が基本だ。
対して、ウェブの世界はマーケットイン。
ユーザーが欲しいと思っている情報を提示するのが基本となる。
10年近くTVの企画方法に慣れていた私は、この考え方の違いに馴染むのにとても時間がかかった。
上司(年下)に何度企画を出しても「誰がこれを求めているの?」と却下されてしまう。

さらに追い討ちをかけるように、飲食店を1日3軒ハシゴし取材しては、3日に1度くらいは関西や九州などへの出張もこなす毎日。
ファミレスで深夜まで動画の構成を練って、徹夜で会社に行くこともあった。
「何してるんだろう?私」
自然とそんな思いが脳裏に浮かぶようになった。
変に期待されて入社した手前、いろんな人の期待を裏切っていると感じるのがとにかく辛かった。
だんだんオフィスでもあまり話さなくなり、考え込む時間が増えた。

そんな時だ。
後ろの席に座っていたデザイナーさんが、そっと私にティーカップを手渡したのは。
紅茶という幼馴染との再会
彼女の手には、オフィスには到底似つかわしくない大きくて美しいティーポットが握られていた。
「ちょっとお茶にしません?」
そう言って彼女は私の手の中のカップに、ゆっくりと紅茶を注いでいく。

ちいさな円を描きながら上昇する、琥珀色の水面。
ふんわりと鼻をくすぐる若草のような香り。
懐かしいその匂いに、眉間のしわがだんだん緩んでいくのが分かる。
ゆっくりと紅茶を飲むなんていつぶりだろう。
実家が紅茶屋なのに、その時の私は紅茶のことなんて1ミリも考える余裕がなかった。
「これ、うちの近くの吉祥寺の紅茶屋さんで買ったんです」
彼女は、某有名店のパッケージを手に微笑んだ。
種類はたしかディンブラだった気がする。

いつだったか私の実家が紅茶屋であることを話したら、彼女も紅茶が好きでオフィスにもたくさんの種類を常備していると教えてくれた。
優雅なティーポットやティーカップもそのとき初めて見せてもらった。
「あ、そのお店おいしいですよね」
小さい声でそう答えるのが精一杯で、グイッと紅茶を喉に流し込む。
焦りが、
不安が、
苛立ちが、
胸の中でゆっくりとたゆたい、どこかへ流れて消えていく。

どこへ?と言われると困るし、一瞬の気休めと言われてしまうかもしれないけど。
でも、
でも。
子供の頃から何十杯、何百杯と飲んできた紅茶が、その日だけはいつもと違う飲み物のように感じられた。
あの日、私はたしかに、あの一杯に救われたのだ。
与えられるものこそ 与えられたもの
お茶で人を救うなんてそんな大それたこと、現実的じゃないかもしれない。
だけど私はいま、目の前のお客さんに紅茶をお出しするたび、頭のどこか片隅で彼女の淹れてくれた紅茶の温度を思い出している。
私の一杯が、誰かを救うことがあるとしたら。
それほど紅茶屋冥利に尽きることはないだろう。

だから私は今日も、紅茶を淹れる。
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このnoteを書いた人▼
ゆり
北海道で30年つづく紅茶専門店「ダージリン」二代目
日本紅茶協会認定ティーインストラクター
愛猫🐈🐈⬛と本と映画、旅が栄養源。
いま飲んでみたいお茶はモンゴル🇲🇳のスーテーツァイ。
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