孤独は結婚で埋めることができるのか

「まりかさん、いまお電話していいですか。
ちょっとしんどいことがあったんで」

お夕飯を食べ終わって、アイスバーを食べていると、サオリちゃんからLINEが入った。
サオリちゃんは、まりかの大切な若いお友だちだ。
年齢非公表のサオリちゃんは、おそらく30代だろうか。
がむしゃらに力だけで押すことができた20代よりも分別がついてしまい、でもまだまだ割り切ることができないお年ごろなのだろう。
悩み多き人だ。
まりかは、アイスバーのしずくをiPhoneに落とさないように慎重に、

「いまアイス食べているから、食べ終わったらかけます。
ちょっと待ってね」

と、メッセージを送った。
さくらまりか51歳、本当は人の話なんか聞けないくらい心が痛むのに、大人になったものだ。
若いお友だちがせっかく頼ってきてくれたのだもの、きちんと彼女に気持ちを注いで、向き合わなくちゃね。

サオリちゃんは、感性の人だ。
彼女の綴り出す世界は、これでもかというほど人の気持ちを細かくすくい取り、読み手の心にぐいぐいと差し込む。
それゆえ、彼女は繊細で、気づかなくていいことまで気づいてしまい、自分を傷つけてしまう。
今日もきっと、何かが彼女の心を大きくえぐり取って、痛みにもだえているに違いない。
そう思っているうちに、シャトレーゼのアイスバーは、ぺらぺらの木の棒に甘い蜜を含んだまま、抜け殻になった。
まりかは、スピーカーフォンをオンにして、サオリちゃんに電話をかけた。

「まりかさん、人って孤独で、自分の足りない部分を、ほかの人で補おうとしますよね。
まりかさんは、孤独なとき、どうやって乗り切ったのかな、って」

まりかだって、だれだって、現在進行形で孤独なんだよ、と言いたい気持ちをぐっとおさえて、そうねえ、と、相槌だけ返す。

「まりかさんみたいに、結婚したことがあったり、子どもがいたりすると、孤独を埋めることができるのかな、って。
周りの既婚の女性に聞いたら、そんなことないっていうけど、まりかさんはどうですか?」
「そうねえ、夫って家族でしょ。
家族がわかってくれなかったら、なおさら孤独になるよね。
子どもだって、別人格だから、何でもわかり合えるわけでもないし」
「あっ、そうですよね。
そうかあ、結婚しても、孤独じゃなくならないんだあ」

そう、結婚しているからこそさみしいこともあるし、一緒にいるからこそひとりぽっちなこともある。
わかってくれると思っていた人がわかってくれないときほど、拒絶された絶望感に襲われることはないし、わかって当然と思っていた人がわかってくれないときほど、孤独な暗闇に落とされることはない。
人は期待する。
だからこそ、絶望するのだ。

「私ね、最初の結婚は親から逃げたかったの。
でもね、結婚して親からは自由になれたけれども、今度は夫といるのが息苦しくなっちゃって、1年ちょっとで別れちゃった」

ひとつの小さな金魚鉢に、じっと考える金魚と、跳ね回りたい金魚が閉じ込められているような、結婚生活だった。
最初の夫は、まりかの自由さが好きと言ったのに、まりかが自分より跳ねると嫌悪感をあらわにする人だった。
自分の方が、つねに高く跳べないと嫌だったのだろう。
まりかは、まりかにないじっくり腰を据えて考えることができるところが好きだったのに。
霞ヶ関の家庭裁判所で離婚調停が成立した日、見上げた空の青さが忘れられない。
ああ、まりかは自由なのだと思った。

おかしなものだ。
好きだと思った人と、幸せになろうと思って結婚したはずなのに、別れたとたんに自由になるなんて。
まりかは、最初の結婚に何を求めていたのだろうか。


「二度目の結婚はね、私が死んだら天涯孤独になっちゃう娘に、信頼できる大人の味方がほしい、と思ったから。
彼、私にとってはよい夫ではなかったけれども、娘にとってはよい元義理の父親で、その意味では成功したと思っているわ」
「まりかさんは幸せになはならなかったですけど、娘さんには大切な人ができたんですね」

二度目の結婚は、私のためではあったけれども、娘のためという部分が大きかった。
再婚に踏み切れたのは、それまで恨みつらみしかなかった最初の夫を、離婚から9年かけてようやく許すことができたから。
最初の夫に上書きするのではなく、初期化して新しい存在を受け入れられると思ったのである。
結局、まりかの人生にはフィットしなかったのだけれども。


「そのあと2年半くらいつき合った人はね、ぶっちゃけさみしかったから」
「まりかさんも、彼も?」
「そう。ふたりとも。
ふたりとも、孤独を埋めるためだった。
だれでもよかったわけでもないけれども、タイミングが合ったから、というだけだったかも」
「そうか、やっぱりさみしさを埋めようとするだけでは、うまくいかないのですね」
「うん、私はそう思う」
「じゃあ、まりかさんはどうやって孤独を乗り越えたのですか。
どうしたら自立できるのかな、まりかさんみたいに」

難しい問題である。
まりかはいまも孤独だし、死んじゃおうかなお化けに襲われることもある。
でも、まりかは自分の足で立っていると胸を張ることができる。
いまのまりかが大好きだし、とても幸せなのだ。
そういえば、コウイチと最初に会った時も、まりかさんはとてもいまが幸せそうな感じが伝わってきて素敵です、と言ってくれたっけ。

「そうねえ、自分が不完全で、欠けているところがあるって認めちゃうことかな」
「えっ。それって難しくないですか」
「それが、できるようになってくるのよ、年齢とともに」
「そういえば、ヤマダさんも同じようなこと言っていたな。
40になると、楽になるわよ、って」
「でしょ? 50を超えるともっと楽よ」
「えー、どうしてですか?」

どうしてだろう?
そうだ、年齢とともに、気がつけば乗り越えていたという経験が増えたからだ。
真っ只中にいるときは、永遠に思えることでも、いつのまにかするりととおり抜けている、という経験が、歳とともにいくつも出てくる。
相談の仕事もそうだ。
虐待や困窮、引きこもりなど、絶対に解決できないと思っていたいわゆる困難ケースも、5年、10年と時を重ねると、いい方向に変化した人をたくさん見てきた。

「30年くらい引きこもっていた人、何の進展もなかったのに、7、8年くらい経ってからかな、ある日、スーツ姿で声をかけてくれたの。
『さくらさん、僕、就職したんですよ』
って。
担当していたころは自分の無力さ、無能さを呪ったけれども、きっとその期間も彼の中で積み重ねたものがあったんだよね。
それに気づけたのは、50を超えて、長いスパンで見ることができるようになったからかもしれないな」

いつしか、まりかはサオリちゃんではなく、自分自身に語りかけていた。
そう、明けない夜はないし、終わらない冬もないし、抜けないトンネルもない。
中にいるときは想像もつかないけれども、いつかは終わって、そんなこともあったと振り返るときがやってくる。

「まりかさん、無能なんかじゃないです。
だって、いきなり変わるわけないじゃないですか。
まりかさんが相談に乗っていたときに少しずつ変わっていったからこそ、実を結んだんですよね」
「そうなのかな。そうだといいな」

まりかが今年1月に恋活を始めたのは、まりかはひとりでも大丈夫、と思えたからだった。
欠けたものを殿方に求めるのではなく、欠けた部分を自ら受け入れながらひとりで立ち、同じように自分の足で立っている人を欲したから。
孤独を埋め合うことはできなくても、おたがい孤独を抱えながら、おたがい暖を取ることはできるから。


コウイチは、ようやく見つけた、まりかのために存在する殿方だ。
そのままひとりとひとりでも大丈夫だし、パズルのようにピースとしてもぴったりはまるだろうし、泥のように混ざり合ってひとつになることもできるだろう。
51年かけて、ようやく見つけ出した殿方だ。

今日もコウイチからの連絡はない。何の手がかりもない。
彼とのLINEトーク画面には長々と未読の吹き出しが続いているし、通話には「応答なし」の四文字がたくさん並んでいる。
iMessageも読まれないし、携帯電話にかけても5コールで留守電の繰り返し。
いつまでこんな日が続くのだろう。

でも、いまこの瞬間も、まりかの中で何かが変わっているはずだ。
コウイチの中でも、同じように何かが変わっているはずだ。
いつかは、あんなこともあったねと、あははと笑い合える日がやってくる。
現実には、そうではない未来が待っているのかもしれないけれども、事実がはっきりするまでは、どんな想像だって自由だ。

まりかは、背中にコウイチのぬくもりを思い出した。
そっとまりかの手を探り取り、しっかり恋人つなぎで結んだ瞬間を思い出した。
そう、きっと大丈夫。
私たちはおたがいのためにつくられている。
泥のように混ざり合って、ひとつになるふたりになれるはずだ。

サオリちゃん、連絡をくれてありがとう。
あなたが今夜は、絶望の淵に立ち尽くしていたまりかを、救ってくれたのよ。
世の中、捨てたものではない。
もう一度、改めてコウイチを信じよう、と思った。

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