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寝起きの国際電話で遠隔魚捌き

釣りたての魚をいただいた。
釣りのために免許が必要なドイツでは釣り人を見かける事自体がほぼなく、釣った魚をもらうことはほぼ皆無に等しい。
森の中の釣り堀で釣ってきたという一尾の魚、オーシャントラウトの仲間的なことを言っていた。種類のことはあまり詳しくない。

魚に詳しくないし、捌いたこともない、しかし釣りたての魚を自分の手で調理できる2度とない機会、
二日酔いの遅い朝、ベッドから飛び起きながら母にテレビ電話をかけた。


母親というのはすごい生き物で、大体のことはなんでも知っている。

寝癖をそのままにキッチンに立った、スマートフォンを立てかけて今から捌く魚を見せる。
画面越しに母に挨拶をする魚の澄んだ瞳、うまく切ってくださいよ、という期待を感じた。


魚を抱えるそばからぬるぬるする、滑りけには塩を塗り込んで水で流してみて、ということで多めに塩を振って洗ってみたがまだ滑りけは残る、粗塩のほうがいいらしいが家にないから仕方がない。

まな板の上に魚を戻すと泳いでいるようにスルスルと滑った。
新聞か雑誌をまな板全体に敷いてその上に魚を置くと滑らないと言うので、確か日本から送られた荷物を包んでいた日本語の新聞紙が残してある、と部屋から数枚持ってくる。

毎日見慣れて興味も持たなかった日本語の新聞も、ここドイツの日常の中で見るととても不思議に目に映る。
漢字やひらがな、カタカナの明朝体の形はとても美しい。
富士山の写真や、4コマまんが、文字が縦にも横にも書かれていることも新鮮だ。
昔の西洋人が、日本の茶器を包む梱包材である浮世絵に対して心を踊らせたのも良くわかる、くしゃくしゃになった包紙を広げて目をキラキラさせたんだろうか。

そんな気持ちでとっておいた新聞の数枚をまな板に敷いた、魚捌きと母と日本の新聞、とてもいい布陣だ。

頭を落として背骨に沿って刃をすすめると、思ったよりも切れる。背骨の反対側も切り落とし3枚にする。
滑り防止のお陰だろう、苦戦する事なく切れた。
切り身は不恰好で不揃いだが悪くない、
骨にまだ身が残っているのでスプーンで骨から身をこそぐといいと言われる通りやってみた。

魚の肋骨当たりを骨の伸びる方向にスプーンを滑らせるとたくさんの赤い身が骨から取れた、
ネギを買ったらマスのネギトロ丼になりそうだ、と考えているところで、ネギトロの語源はスプーンで身を”ねぎとる”から来ているらしいよ、と母が言った。
じゃあ野菜のネギは必須ではないのか、ねぎとったマスの身だからネギマスだ。
マスの身をねぎとります。


切り身ちゃん

捨てる部位はほとんどなかった、カシラと骨はあら汁用にとっておく、今日は新鮮なまま刺身で食べて、明日は炊き込みご飯を炊いて、ムニエルを作ろうか。

魚を捌きながらも頭の中は魚のことでいっぱいだ。
これぞお魚天国。

うまく捌けたね、と言って母と電話を切った。
ドイツの秋、魚を捌いたことのない34年間が幕を閉じた、そんな遅い朝。