「ただ、話を聞いてほしかった」:私が“傾聴”の大切さを知った日
34歳のとき、私は10年続いた結婚生活を終えました。
今思えば、おままごとのような結婚生活だったと思います。
離婚の直接の原因は夫の浮気でしたが、実際には、5年目を過ぎたあたりから、夫婦としての関係はほとんどなくなっていました。
それでも、表面上は“仲の良い夫婦”を演じていた私たち。
お互いに違和感を抱えたまま、日々を過ごしていました。
だから、離婚したときはもっとスッキリするかと思っていました。
でも実際には、深い喪失感と孤独が押し寄せ、心がどんどん沈んでいったのです。
離婚したことを後悔したわけではありません。
離婚後すぐに、私は会社も辞め、思いきって言語聴覚士の学校に通い始めました。
ところが、その学校の環境にもなじめず、朝起き上がることすらできない日が続きました。
そんな状況の中で、誰にも本音を言えなくなっていきました。
威勢よく離婚して会社も辞めたのに、弱音なんて吐けない。
「ちゃんと前を向いている」と思われたくて、家族にも友人にも、心の内を話せませんでした。
幸か不幸か、その頃、恋人ができました。
けれど私は、彼の顔色ばかりをうかがい、また誰にも相談できないまま、不安と孤独を抱え込んでいました。
過去に傷つき、現在にも居場所がなく、未来はもっと怖い…
そんな閉じた世界に生きていたのです。
そんな世界からなんとか抜け出そうと、神社にお祓いにも行きました。
でも、心は軽くなりませんでした。
そのとき、私が頼ったのは「占い」でした。
電話占い、対面占い…気づけば、ほぼ毎日のように占い師のもとへ通っていました。
耳障りのいいことを言ってくれて、私の話を最後まで遮らずに聞いてくれる。
それだけで、救われた気がしたのです。
でも、今振り返ると、私は「未来を知りたかった」のではありません。
ただ、誰かに話を聞いてほしかったんだと思います。
否定されず、遮られず、「それはつらかったね」と、ただ耳を傾けてほしかった。
どれだけ占いに通ったかというと、貯金が尽きるほどでした。
でも、当時の私は、誰にも頼れず、自分自身にも頼れなかったのです。
いま、あのときの自分を振り返って思うのは、
「人の話にただ耳を傾ける」という行為が、どれほど人の心を支えるかということです。
話を聞くことに、特別なスキルはいりません。
正しいことを言わなくても、励まさなくてもいい。
ただ、目の前の人の声に、静かに、丁寧に、耳を傾ける。
それだけで、誰かの世界が少しだけ明るくなることがあるのです。
あのとき、私は“傾聴してくれる存在”に救われました。
だから今度は、私が誰かの声に耳を傾ける人でありたい。
「ただ、話を聴いてくれる人」の存在が、人生を支える力になることを、私は知っているから。
今の私があるのは、私の話を黙って聴いてくれた人がいたから。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
いつでも、自分らしく、心地よく過ごせますように。
