鑑賞記「人はなぜラブレターを書くのか」
劇場公開最終日。滑り込んでよかった。
ラブレターを書く理由。
残るんだ。
時間とか距離を、越えられるんだ。ラブレターは。
本当に伝えたいことは書こう、そう思える映画だった。
直接は伝えられないこともたくさんあるだろうし。
主人公のナズナは、どこにでもいるような控えめな女性。まさに植物のそれのよう。
夫と娘の3人家族。仲は良いのか悪いのか。ナズナはいつも穏やかで、笑顔を絶やさない。
物語の中盤で過去の出来事が明らかになると、しかし彼女に対する見方が一転する。
事件のこと。信介のこと。
まともに話したこともなく、名前すら知らないのに、大好きな男の子。
思春期を襲った、こんなにも強く惹かれていた人を突然喪う深い悲しみ。
そして、病気のこと。大切な家族のこと。
ナズナは、過去を握りしめながら、未来に向かって、今を生きていた。
弱った身体でその子の分も懸命に生きながら、家族に想いを託し、周囲の人に愛情を分け与えていた。
そう知った時、彼女の何気ない振る舞い一つ一つに強い重力を感じた。
何気ない日常を生きる、何気ない人物が、心に秘める過去と強い想い。
私たちみんなそれぞれが、過去を紡ぎながら、今日の自分を生きていると気付かされる。
ナズナは、亡くなる。
しかし、娘の舞は、闘病していた母の姿や、託された想いや愛情を受け、医者になることを決意する。
自分のために、自分だけのものじゃないユメを追いかける。
「どんだけ立派になったんだよ…」
良一は、東京に旅立つ娘に妻の面影を重ねながら、呟く。
人は、亡くなる。
しかし、その人の生きた証や想いは、他の人の中で形を変えて生き続ける。
ナズナが大きなおにぎりをサービスし続けるように、川嶋がチャンピオンになるように。父親に届いた数十年越しのラブレターとして。
「正直、なんで書いているのか私にも分かりません」
人が人を好きになる理由なんてないのかもしれない。ただ、そこにはいつも何か相手を想って行ったことがあるだろう。
その行為が好意になり、書くことでラブレターという形ある返礼品になる。
そんな相互作用の中、ラブレターは届けられた相手だけでなく、それを見た全ての人にとって希望となる。
舞は「誰に似たんだろう」。
同様に、そこにも理屈はないのかもしれない。
生きた証は時間や距離を越える。
すべては、つながっている。
臆病ながら、真っ直ぐ人生と対峙するナズナを演じる綾瀬はるかの佇まいは儚げで美しく、終盤は映る度に泣いてしまいそうだった。
娘に「変な人」と言われるどこか夢うつつな空気感、少しズレた会話のリズムは、彼女の心に今も強く残る何かの存在を感じさせる。
過去なのか未来なのか、どこか遠くを見ているような。
そういえば、こんな雰囲気の人いるなぁ。
信念、達観。脆さの中に確かにある芯の強さ。竹のような。
ストーリーテラーとしての夫の良一(妻夫木聡)の存在や台詞もハマっていたし、菅田将暉と並んで溢れ出す感情の出し方がとてもきれいだった。
他の役者さんも言わずもがな、役どころとその人が持つ雰囲気がよく合っていた。
大橋会長に上手く扮した音尾琢真が出てきたところで、実話を基にした物語であることを思い出す。
波打ち際、夕日、田畑といった美しい自然を捉えた背景映像と、それに合わせたピアノのメロディがアンニュイで、長い時間軸の中でのドラマを引き立て、支える。
大地や宇宙の存在は、関わり合いの中で生きる人間の営みを暗示しているかのよう。
顔に当たる朝日や綺麗な夕焼けなど、特に光の表現が繊細でとてもよかった。
俳優陣の快演はもちろんのこと、
伝えすぎない台詞、考える余白を残したカット、穏やかな速度で進行するストーリーなど、石井裕也監督だからこそ、この密度のヒューマンドラマをこの尺で、丁寧にかつ重みを持たせて描き出せていたように感じた。
個人的に、時系列を交差させながら事件を物語の中盤に置いた構成によって、登場人物に対する考察が徐々に深まっていく点や、事件のその先、全ては繋がっているという深遠なテーマへ収束させていく点に脚本の妙を感じた。
また、登場人物の視点の移り変わりがスムーズで、一人一人の人物像や機微な感情にもすんなり入っていけた。
人はなぜラブレターを書くのか。
たぶん、こんな感想も、口にして話してしまうとまとまらないし、ままならないし、伝えきれないと思う。
書くからこそ、伝えられるのかもしれない。
この映画を見て、すぐに書きたいと思った。
こんな臆病な僕だからこそ。
ありがとう、信介さんは、この映画を通じて、また一人の心を生きています。
※引用したセリフは思い出しながら何となくで書いているので、全然違う可能性があります。笑
