燻製ホタルイカと♂の哀しい宿命
──おっ!
思わず、そういう声が出てしまうときといえば、ウォッシュレットが中心核に直撃したとき。そして、新物のホタルイカがスーパーに並んでいるのをみつけたときだ。
これから食べものの話をしようというときに、なぜトイレを引き合いに出したのかは私にも解らないし、はばからずに──便所の話をしてしまったことを、心から謝りたい。
それはさておき、スーパーで見つけた今季初のホタルイカに狂喜しつつ、手に取ったパックには「特選!新物!ボイルほたるいか」と書いてある。それを見て、ふと思った。しらす、桜えびなどは「釜揚げ」と表記されるのに、なぜホタルイカだけボイル呼ばわりなのだろうか。「ゲットことなき」と言うようなものじゃないか。「降って地固まりレイン」と言うか?「マウンテン塵積」と言うか?ここは日出る国の日本だ。ホタルイカもボイルせずに釜揚げさせてくれよ。頼むから──釜揚げ....させてくれよ。
──失礼...取り乱してしまった。
ちなみに、釜揚げは釜茹でと混同し誤用しがちだが──
釜揚げとは、大釜で小魚や海老を塩茹ですることで、釜茹でとは、地獄のアトラクションのひとつだ。よく似た言葉だが、ニュートンと牛丼くらいちがう。気をつけて悔い改めていこう。
釜茹でとは、大きな釜で熱せられた湯や油を用い、罪人を茹でることで死に至らしめる死刑の方法である。
さて、当然のごとく連れて帰ったホタルイカだが、酢味噌で酒のあても悪くない。しかし、燻製家として、やはりそれを燻さずにはいられない。宇宙から地球をみたガガーリンが「青かったッス」と言わずにはいられなかったようにだ。
さっそく、下処理をしていこう。

ホタルイカの眼球、クチバシ、軟骨を、ひとつひとつ丁寧に取り除いていく。もちろん除かなくても食べられるが、口当たりが良くなって圧倒的に美味しくなる。ただし、この小さなホタルイカの下処理はなかなかに骨の折れる作業だ。細かな反復作業に恍惚を覚える私のような倒錯者にはお茶の子さいさいだが、タイパコスパを追う時短主義者にとっては、ホタルイカ5杯目くらいで泡を吹いて昏倒する可能性が高い。覚悟しておけ。
下処理を終えたら、漬け込みダレを作る。今回は煮切り醤油で沖漬け風にしていこう。
・醤油 150ml
・清酒 100ml
・本みりん 100ml
・生姜 少々

清酒と本みりんを火にかけてアルコールを飛ばし、粗熱を取って醤油、すり下ろした生姜を加える。
フリーザーバックに入れたホタルイカに注ぎ、冷蔵庫でひと晩漬け込む。
翌朝、ざるに取ってタレを切り、燻製器にセットして55℃で15分程度、温熱乾燥で結露対策をしてから燻煙にかける。しっかりと温まり、ホタルイカの表面の煮切り醤油が乾いたくらいが目安だ。

ヒッコリーの燻材に泥炭を少々加え、それらを30分ごとに足しながら、55〜60℃で2時間ほどの燻製にした。
──そろそろ頃合いだろう....
などと、薄気味の悪い台詞を呟きつつ、燻製器からホタルイカを取り出す。

なかなかの仕上がりに満足しつつ眺めていると、曼荼羅がごとく並んだホタルイカに吸い込まれそうになる。無限回廊のような──その渦に飛び込めば、きっと宇宙の真理に辿り着ける気がするのウフフ──などと、くだを巻いているヒマはないので先へ進もう。


ご覧のとおり、燻製後は30〜50%は縮んでいる。ただでさえ小さなホタルイカが更に縮んで慨嘆したくなるが、水分が抜けて旨味が30〜50%増幅しているので安心してくれ。
2mの大男たちをバッタバタと薙ぎ倒してきた180cmに満たない鉄人マイク・タイソンを思い浮かべて欲しい。小さくてもなお旨味を炸裂させるホタルイカと──似ていなくもなくもないかもしれなくもないだろう?

さて、燻製後のホタルイカは、潰したにんにく、鷹の爪と保存瓶に入れてオリーブオイルで封をする。瓶のなかて蠢くホタルイカ──集合体恐怖症の人には吐き気を催す光景かもしれないが、エイリアン愛好家の私には夢のような瓶だ。ぎゅっと胸に抱きしめてから、冷暗所で1週間寝かせる。
──1週間後──

【材料】 2〜3人分
・パスタ 250グラム
・燻製ホタルイカ 好きなだけ
・EXVオイル 好きなだけ
・にんにく 好きなだけ
・鷹の爪 2〜3本
・菜花 100グラム
・レモン 半分
・イタリアンパセリ 好きなだけ
・鯖の塩辛 大さじ1
・バター 10グラム
※パスタの茹で塩、黒胡椒 適量
※ホタルイカは燻製でないボイル物でも◎
⚪︎にんにくは潰して芯を抜く
⚪︎鷹の爪はへたを取り種を抜く
⚪︎菜花は下茹でし、水で締めてよく絞っておく
⚪︎レモンはワックスの無い国産のものをさらに粗塩でよく洗い、半分に切って皮をすり下ろしレモンへの愛があまって滲んだ涙を指で拭って果汁が沁みて悶絶しておく
⚪︎イタリアンパセリはみじん切りにする(大葉やパセリでも◎)
⚪︎鯖の塩辛は細かく切っておく(アンチョビや酒盗、魚醤でも◎)
燻製ホタルイカに菜花にレモンにと、今回のパスタの楽しみはたくさんあるが、鯖の塩辛が味付けのキモだ。

原材料 鯖 食塩
という、実にストイックで男らしい原材料表示に、私の胸はズンドコと高鳴った。
決まり手 上手投げ
と同等の雄々しさである。隆々とした筋骨をそびやかして勝ち名乗りを受ける千代の富士がごとく威風だ。
少しつまんでみると、うまい──そして、おそるべき塩辛さだ。これに較べれば、アンチョビは「塩分控えめ」と言っていいだろう。鯖を塩漬けにしたのではなく、塩を鯖漬けにしたと思わせるほどに。
ともあれ、このテのものはオイル系のパスタとの親和性がきわめて高いので、今回も期待できそうだ。

さて、さっそく調理していこう。
燻製ホタルイカを漬けていたオリーブオイルをたっぷりとフライパンに注ぎ、にんにく、鷹の爪を弱火で煮出して香りを出す。火が通ったらにんにくをほぐしておく。

鯖の塩辛を加え混ぜ、オイルとよく馴染ませる。あまりの芳しさに腹の虫がバウワウと吠えた。

続いて、半量のイタリアンパセリを加えて香りが立ったら、バター、茹で汁を投入してフライパンを揺すり乳化を促していく。

麺を入れる直前に、ホタルイカ、菜花を加え混ぜる。

そして、室伏広治に憧れた男の──ごく平凡な握力でレモンを搾る。
すこし硬めに上げた麺をよく絡め皿に盛り付け、イタリアンパセリ、レモンゼストをあしらって完成だ。

菜花にイタリアンパセリ、レモンゼストが散りばめられた皿の上をホタルイカが泳いで、いかにも春爛漫といったパスタになった。
フォークでひとつ、ホタルイカをつかまえて、パスタを巻きつけて口へ運ぶ。
な
ん
と
い
う
美
味
さ
な
ん
だ

ホタルイカの身とワタに燻香が馴染んで、濃厚で素晴らしい味わいだ。菜花のシャッキリとした歯触り、ホロ苦さ。やや強い鯖塩辛の風味と塩味に、バターとレモンがよく合って素晴らしい食べ合わせである。
会心のひと皿に、昼間からビールも進みに進んで、最後の──名残のフォークを置くころには、すっかりイイキモチのおじさんだ。食器も片付けず、ごろりとソファに転がる。妻はがらんどうな眼で私を一瞥し、皿を重ねはじめた。
──ふと思いだす。
食卓に並ぶホタルイカの、そのほとんどがメスであることを。
交接を終えたオス──その役割を果たし死んでしまうことを。
動物には、種を託し、生涯を終えるオスは少なくない。
たとえば───
交尾後に生殖器がちぎれて絶命するオスのミツバチ。
交尾後に摂食され妻と我が子に命を捧げるオスのカマキリ。
無邪気に笑う娘と食器を下げる妻を見ていたら──なんだか急におそろしくなって、
──あ、おれに洗いモン任せてよ....
などと、慌てて媚びへつらう♂なのだった。
