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とても悲しい父の話

今日これからここで書くことは、多くの人にとってあまり心地よい話ではないだろう。それを百も承知の上であえて記すのは、母との残された時間の中で起こった出来事と、それに伴って生じた感情というこの「作用・反作用」を、包み隠さず残したいという私の個人的な願望に拠っている。


今朝、父が私の家に来た。

10時に我が家に来るように伝えていたのに、9時半過ぎに父は私の家の呼び鈴を鳴らした。

「お母さんをありがとうね」

父の言葉は、私にはいつも空虚に響く。心がこもっているようには思えないのだ。私は返事をしなかった。


ところで、ここ最近のnoteを読んでいて、そもそもこんな疑問を抱いた人がいるのではないだろうか。

「なぜ母の在宅介護が、彼女の旦那のところではなく息子の家なのだろう」と。

ふたりは離婚も別居もしていない。それでもこのような状況になっている原因を端的に表現するならば、「父の人間性」となろう。具体的なことはあえて書かないが、母は父にうんざりしきっているのだ。

この「父の人間性」に関しては、母と父の間だけでなく、当然私たち子供と父の関係にも影響を与えていた。つまり父は、彼自身の人間性により、時間をかけて少しずつ、私たちから信頼を失っていき、あるところで完全にそっぽを向かれてしまった。私の妹はずっと前から父と絶縁状態だし、私もここ数年、父と一言も口を聞いていない。時たま父から送られてくるメッセージに私も妹もろくに返事をしたことがない。

母が退院する際、つまり治療を放棄して最期を迎える場所を選ぶ際、彼女は父と一緒にいることを拒否し、私のところで最期の時を過ごすことを強く望んだ。


母がいる部屋へと父を通し、私は掃除やら洗い物やら母のお昼ご飯の準備やらに取り掛かった。一応父が母のところにいれば、最低限の面倒は見てもらえるだろう、と私はたかを括っていた。

これが大きな間違いであった、と後々気付かされることになる。


母としばらく話したのち、父は私が家事をしているところへと来た。

「色々助かってるよ。大変だろう」

私は返事をしなかった。

「夜仕事が終わってから裕太の家に来て、少し手伝おうかと思うんだけど」

と父は言った。

「来たってどうせ何もできないじゃん、邪魔だから来ないで」

私は冷たく返した。そして私はこう続けた。

「ふとさ、思い出したことがあるんだよね。俺の大学合格報告の親戚周りを家族4人でしていた時のことなんだけど。移動中の車の中でさ、お前俺に合格祝いのプレゼントを差し出してきたんだけど、何を渡したか覚えてる?」

「いや…全く覚えていない」

父は落ち着きなく、台所の計量カップを手にしながら言った。

「お前の使い差しのコピーカードだよ。大学のコピー機で使えるやつ。1,000円分も残ってなかったんじゃないかな。その時俺が何を思ったか、多分お前にはわかんないんだろうね」

「うん、わからん」

「侮辱されてる、って思ったよ。別に高価なものが欲しかったわけじゃない。たださ、大学の合格祝いにコピーカードを差し出してきた時、最初は冗談だと思ったよ。お前さ、何もあげないのと、使い差しのコピーカードを渡すのと、どっちの方が“まし”なことなのか、わかんないんでしょ」

父は黙った。

「この前のお母さんの誕生日、スーパーで買ったプリンあげたんだってね、90円引きの。聞いたよ、お母さんから。お前は分かってないんだろうし、今後も理解することはないんだろうけど、俺たちがお前に対してこういう態度になってるのって、そういうことの積み重ねだからね」


私たちはこの後もしばらく議論を続けたが、それは砂漠の真ん中で喉が渇いて死にそうな人に、フランス語における接続法の用法を、ストラディバリウスを使って説明するよりも無価値だった。彼は彼の行いの意図のみを主張し続け、私は彼の行いがもたらした結果のみを提示し続けた。


彼は諦めたのだろう、また母のところへと戻った。私は作業を継続した。


しばらくして、ふと「嫌な予感」がした。母の部屋から何の音もしないのだ。

気になって母の部屋へ行く。

と、その入口付近の床に座り込んでいる母と、それを立ったまま黙って見下ろしている父がいた。

それがどういう状況かを理解するのに、ほんの少しだけ時間がかかった。

「どいて!邪魔!」

私は父に向かって叫んで、急いでティッシュとタオルを用意した。

母は、トイレの場所がわからなくなり床の上で用を足してしまった。それは今までも何度かあったことなので、私としては何の驚きもなかった。

私がショックだったのは、それを父が、何もせずにただ黙って眺めていたことだった。母のベッドから粗相をしてしまった場所まで、若干ではあるが距離がある。だから彼女の移動の間にトイレへと導くなり、私を呼ぶなりできたはずだ。百歩譲ってそれができなかったとしても、トイレではない場所で用を足している人を見かけたら、多少は慌てて何かしらするのが普通だと私は思っていた。

それが、父は足元の母を、何の感情も読み取れない顔で見下ろすだけだったのだ。

父を母の部屋から追い出し、床を片付けて、オムツとパジャマを取り換え、母をベッドに寝かしつけた後、父のところへと向かった。

「ね、お前何もできないでしょ」

「でもこういうことを何回か繰り返したらできるようになる」

「無理だよ、できるようになんてならないよ。だって変われない人じゃん。俺たちは今まで、何度もチャンスを与えてきたけど、何もできるようにならなかったでしょ?酒やめた?この前言われたでしょ、お母さんに、『まず子供たちを振り向かせたいのなら、酒をやめるところからだよ。その覚悟を見せてみたら?』って。でも毎日楽しく酒飲んでるんでしょ?」

「うん…」

「それにさ、介護は毎日新しい問題が起こって、素人の俺がその都度適切に対応しなきゃいけないんだよ。毎回“結果”を出さなきゃいけないの。『何回かやったら』なんて、悠長なこと言ってられないんだよ」

父は、何も返せなかった。

父を残し、私は母のもとへと向かった。


母は落ち着いて休んでいた。母にはもう、父が「何もしてくれなかった」ことに対して失望できるほどの期待もなかったようだった。それは逆に、私を安心させた。


父には帰ってもらうことにした。荷物をもって玄関のところへ来た父は、私に向かって、

「長居してすまんかったね」

と、いつもの軽い口調で言った。

「最後の最後までがっかりさせてくれたね」

とそれに対して応えるのが精一杯だった。


父が去った後、私の部屋のテーブルの上には、彼がお見舞いにと持ってきた、萎れかけた菜の花がぽつんと置かれていた。


菜の花と共に残された私は、誰かにただ無条件に抱きしめてもらいたい、と強く強く思った。


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