テディベアのバッグチャームとレジメンタルのネクタイ
あれこれ調べ物をしていたら深夜0時半になってしまった。まだ書くことは決まっていない。
さて、どうしよう。
今年も残すところあと10日ほどとなった。早いものだ。
ポップアップや出張続きの忙しい日々からは少し解放されたものの、まだ“年末感”はあまりない。 自分のことでいっぱいいっぱいで、周りを見る余裕がないのだろう。
今日の夕方、用事があり新宿伊勢丹に立ち寄った際、いつも以上に多くの人で賑わっているのに驚いた。はて、金曜の仕事終わりというのは毎度こんなに混雑するものなのか…?と思っていたが、何のことはない、クリスマスに向けた買い物に皆様勤しんでいらっしゃったのだ。
そんなことにも気づけなかった私は、なんだか“蚊帳の外”にいる気分だ。世界は私を抜きに回っていて、私ひとりが、それをその外側からぼんやりと眺めている。眺めてはいるものの、内側でどういったことが行われているのかは、ぼやけていてよくからない。
人々はどんなプレゼントを贈るのだろう。外にいる私には皆目見当もつかない。
遠い昔、まだ私が“蚊帳の内”にいた時のことをふと思い出した。私は大学生で、ひとつ年上の彼女がいた。
当時の私はその子にもっと私の方を向いてほしくて、たくさんの贈り物をしていた。
必死だった。とある年の彼女の誕生日、「Bond No.9の“Scent of Peace”っていう香水が欲しいの」とリクエストされた際、当時どこぞの有名な誰かが使っていたとかそういった理由で、東京中の取扱店から忽然と姿を消していたその香水を、探しに探して、銀座の百貨店に残っていた最後のひとつを手に入れたことがあった。おかげで今でも、Bond No.9の“Scent of Peace”は、私の中で思い出深い香りだ。
探し出すのが大変であっても、具体的にリクエストをもらっている場合はまだマシだった。私自身の手と足で彼女のお気に召すものを探し出さなければならない時はもっと大変だった。それは彼女がそう簡単に満足しないタイプだったからではなく(今思い返すと、彼女はどんなものでも喜んで受け取れる素直さを持ち合わせていた。そしてそれは、私にとってはあまりポジティブなポイントではなかった)、彼女に対する適切な愛情表現を“試されている”ように感じていたからだ。プレゼントの内容、金額、センス、等々…私はこの世の中にあるありとあらゆるものの中から、相手に気を遣わせないギリギリのラインを攻めながら、彼女の喜びを最大化することを自らに課していたのだ。
あるクリスマスの日、私は彼女へのプレゼントで、Pradaのバッグチャームを贈った。テディベアモチーフのそれは、私の中で最も「適切な愛情表現」だったように思料する(ところで、今もこのバッグチャームは販売されているが、私の記憶の中の値段の数倍になっているようだ…)。あれこれ贈り物をしたはずだが、しっかり記憶に残っているのはこのプレゼントくらいであることを鑑みると、それだけ彼女の反応もよかったのだろう。
今日は不思議だ。筆をとった時は「買い物と知性」について書こうと思っていたのに、書き進めるに従って埋もれかけていた記憶が掘り起こされ、当初の想定とは全く違うことをしたためている。
たった今、ずっと忘れていたことを思い出した。先の話の続きだ。
そのバッグチャームがよほど嬉しかったのだろう、彼女は2月の私の誕生日に、プレゼントをくれたのだ。私の記憶が正しければ、それが最初で最後の彼女からのプレゼントだった。
中身はネクタイだった。濃いグレーを基調としたレジメンタルだったはず。
どういう背景で彼女がネクタイを私に贈ったのかは全く思い出せないが、ひとつだけ確かなことがある。
それは、私はそのネクタイを、一度もつけることがなかった、ということ。
そのネクタイを受け取った時に、私の中で何かが大きく崩れ落ちる音がした。
もちろん受け取る時は喜んだが、表面的に見れば、彼女がきっと一生懸命選んだであろうプレゼントを、後になってそれを無下にした私は、「最低の男」に写るだろう。そしてそれは概ね間違っていない。
ただその時に私が本当に感じたものは、彼女と私の、相手に対する気持ちの“大きさの違い”だったのだ、と今になってわかる。それはそれぞれのプレゼントそのものではなく、そこに至るプロセスや、知性、そして感性といったものが、各々の気持ちのその“大きさの違い”を浮き彫りにしたのだと思う。
それからどれくらいの後に私たちが別々の道を歩むようになったのかはよく覚えていないが、いずれにしても私たちの関係は継続しなかった。私はその予感を、ネクタイを受け取った時に抱いていたはずだが、見て見ぬふりをした。それがいいことだったのかは、今でもよくわからない。
もしあの時、無理にでもネクタイをつけていたら、私たちの関係は変わっただろうか。もしかしたら変わったかもしれない、それも、いい方向に。ただ一方で、本当にそれをしてしまっていたら、私はきっと、私ではなくなってしまっていただろう。
客観的には私はダメな男であろう。それは私自身も認めざるを得ない。
それでも私は、当時から私が私でいるために、様々なものと闘っていたことを知れて、ほんの少しだけ嬉しかった。あの頃の私のおかげできっと、今の私が私であるのだ。
ありがとう、15年前の私。
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