最後のコトバ
古いアパートの一室。
5人家族にとっては狭すぎる2DKの台所では、冷え切った空気と、ぐつぐつと煮立つ煮干しの匂いが漂っていた。
昼のパートを終え、夜のパートへと向かうまでのわずかな時間。
私の記憶の中の母は、いつもそこに立っている。
背中越しの
「おかえり」
を聞こえないふりをして、共用の机に向かい受験勉強を始める。
私が幼かったころ、父は不器用で、厳格で、曲がったことが嫌いな人だった。
私はそんな父を世界の誰より尊敬していた。
悪さをすれば、厳しい言葉と時に実力行使で「正しさとは何か」を教え、
叱り終えると泣きじゃくる私を大きな腕で抱きしめてくれた。
何かが変わり始めたのは、父が40を過ぎた頃だろうか。
無口なのは相変わらずだったが、夜に出歩くようになり、酒の匂いを漂わせ、機嫌の波をまとって帰宅するようになっていた。
休日には一人本を読むことが多かった父は、午前中から外出し、夕暮れを過ぎても帰らない日が増えた。
パチンコ屋に入り浸り、スナックで大酒を飲んでいたことを知ったのは、私が高校受験を控えた頃のように思う。
父は生活費までをも使い込んでいた。
母は語らなかったがパートを掛け持ちするようになっていたから察していた。
決定的だったのは、母にタンスの書類を探すように頼まれたときだ。
見てはいけないと思いながらも、好奇心なのか違う何かだったのかわからないが、母の名前が書かれた封筒に手を伸ばしてしまった。
そこには、
スナックの女性との浮気、妊娠、堕胎費用と慰謝料の請求。
そのお金を、私の学資保険の解約金で支払うこと
が書かれていた。
サイテーな男だ。
感情を抑えきれずに母を責め立てた。
「なぜあんな男と一緒にいるのか?早く別れればいいのに」
母は、ただうつむいたまま、哀しい目で無言を貫いた。
大学進学を機に、地元を離れ、両親とも疎遠になっていった。
低所得世帯として、入学金や学費は全額免除だったし、生活費くらいはアルバイトでなんとかなっていた。
就職のタイミングで地元戻ることになったが、母へ電話一本連絡をしたのみで、居場所を教えることもなかった。
どこで聞いたのか、月に一度、母から手紙が届くようになり、そこには、1万円札1枚と、短い手紙が同封され、近況を知ることができた。
(普通郵便で現金を送るのは違法だよ、かあさん。)
誰もいない部屋、心の中で呟きながら、母の気持ちを想うと少し泣けた。
父は体を壊したらしい。
大酒飲みがたたってか、肝硬変だという。
お酒を隠しても見つけ出し、捨てれば買ってくる。そんなことを繰り返しているようだ。
時は流れ、私も40を迎えようとしていた。
社会がいかに理不尽で、正しさが通用しないかを理解した。
心は疲れ、葛藤は深まり、少しずつ病んでいった父の気持ちが少しだけわかるような気がした。
だけれども、そんな気持ちには気づかないふりをしなければ、心は折り合いがつかない。
向きあうことが怖かったのかもしれない。
ある日、仕事を終え帰宅すると、母から着信があった。
父は入院していたらしい。
容態が急変したからすぐ病院へ来てほしいと。
ベッドに横たわる父は、やせ細り、年齢よりも老け込んで、小さく見えた。
声にならない声を絞り出し、口にした言葉は、私の名前だった。
私の手を握る父の手は震えていた。
私の名前。
それが父が最後に発した言葉だった。
私には子どもがいない。
だから子を想う親の本当の気持ちを知らない。
ねえ父さん。
教えてくれよ。
今ならわかってあげられるよ。
ねえ父さん。
教えてくれよ。
僕は されてたのかな。
一年に一度だけ父に会いに行く。
いつの日か、一緒に酒でも飲もうな。
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