会えなくても、そばにいる気がした
その晩、家の廊下に人が通る気配がした。
はっきりしない。
ただ、空気が少し動いたように感じた。
そこに、祖母の温度が一瞬だけ混ざった気がした。
祖母は病院にいる。
そんなはずはないのに、「もしかして?」が消えなかった。
その頃の僕は、矢面の毎日に立っていた。
トラブルが続き、毎日お客さんに怒られる。
家庭もうまくいかず、揉め事が増えて、家の空気が硬くなる。
逃げ場がなくて、息が浅くなる。
そして身体が限界を知らせてきた。
顔面神経麻痺になった。
鏡の中で、僕の顔が思うように動かない。
激痛で、夜もまともに眠れない。
僕の身体が、僕のものではないようだった。
そんな時期に、祖母が危ないと知らせが来た。
祈るしかなかった。
仕事の合間にも。
布団に入ってからも。
ただ、無事でいてくれと願い続けた。
少し持ち直したと聞いたとき、胸の奥がほどけた。
あの安堵があったからこそ、夜の気配が際立ったのかもしれない。
翌朝、祖母が亡くなったと連絡が来た。
言葉が入ってこなかった。
身体だけが重くなった。
葬儀が終わって、いったん落ち着いた頃に、寂しさが来た。
遅れて刺さってくるものがある。
ただでさえ、仕事も家庭も体調も崩れていた。
このままでは耐えられないと思った。
だから、祖母に縋った。
こんな時、祖母ならどんな言葉をかけてくれるだろうか。
もう一度会いたいと願った。
会うために、感じるために、手当たり次第に集めた。
祖母の写真を何度も見た。
祖母が母に送った綺麗な石を譲り受けて、肌身離さず持った。
祖母の生まれ年の硬貨を手に入れて、ずっと掌に入れていた。
欲しかったのは証明ではない。
ただ、祖母の空気。
優しさと温かさと穏やかさ。
その温度だった。
ある日ふと、気づいた。
祖母の姿は見えない。
それでも僕は、ずっと祖母を意識している。
感じようとしている。
それは、感じられるなら、そばにいるのとほとんど同じなのではないか。
そう思った瞬間、胸の内側が少し緩んだ。
それからは、前よりも祖母を感じやすくなった気がする。
一人ではない。
そばにいてくれている。
そんな感覚が、身体を支えた。
これは証明の話ではない。
人は「実際に会っている時」だけじゃなく、記憶を思い出したり、誰かを強く想ったりするだけでも、安心したり、身体が緩んだりすることがある。
だから僕は、"会えた/会えてない"の判定より、祖母の温度を感じて実際に救われた、という事実を大事にした。
これは僕の体験で、僕の結論だ。
後日、親族から祖母が僕にお金を遺していたと聞いた。
当時はお金にも困っていて、ありがたく受け取った。
現実の手触りで届くやさしさに、また息ができた。
いつもそばにいると感じている祖母に、お礼を伝えた。
しばらくして、別の気持ちも出てきた。
ずっと祖母を引き留めて悪いなと思った。
このままだと、祖母も落ち着けない気がした。
思い切って、感じるためのアイテムを全部処分した。
「心配かけてごめん。もう大丈夫。」
「もし本当に助けが必要な時が来たら、その時はまた感じる。それでいい。」
祖母はもういない。
けれど、温度は残る。
「あなたなら大丈夫」は、言葉というより空気として、今も自分の中にある。
必要な時に思い出せる。
それで十分だと思っている。
