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大きさより、流れ

僕はときどき、世界を「量」と「大きさ」で測ってしまう。

お金の額。

成果の数。

体力の残量。

それが増えるほど安心で。

減るほど不安になる。

そして、足りないなら増やせばいい。

そういう物差しで、ずっと生きてきたのだと思う。

けれど、その物差しが最近。

いまの自分の現実と、まっすぐに直結してしまった。


僕はいま、とある事情でお金の収支が破綻している。

入ってくるものより、出ていくもののほうが多い。

数字だけ見れば、続かない状態である。

それでも。

この状態で生きながらえて、もう丸2年になる。

誇りにしたいわけではない。

ただの事実として、そこにある。

一時的な綱渡りというより。

この破綻が「構造として続いている」感覚のほうが近い。


では、なぜ続いているのか。

成立条件は、支援が流れ込んでいるからだ。

家族から。

知人から。

お金として。

物資として。

言葉として。

知識として。

その都度、形を変えて届く。

そして、その流れが止まっていない。

この事実が、僕の見え方を少し変えた。

量の物差しでは、破綻している。

流れの物差しでは、破綻していない。

少なくとも、循環は生きている。

僕は受け取るだけで、何も返せていない日もある。

それでも、ほんの小さくでも返せる日がある。

助けてもらった人に、短い返信を返す。

誰かの相談に、知っていることだけを渡す。

できる範囲で、手を動かす。

その小ささは、たぶん「大きさ」とは別の次元にある。

流れというのは、そういうものなのかもしれない。

僕はこの2年で、「現実を説明する物差し」が入れ替わった気がする。


大きさより、流れ。

うまくいって見える人は、量が大きいというより。

流れが整って見えるのかもしれない。

お金だけではない。

情報も。

頼り方も。

休み方も。

差し出し方も。

どこかで詰まると、全体が重くなる。

だから結果が欲しいとき。

大きくするより、詰まりをほどくほうが早い気がしている。

少なくとも僕はそう感じた。

この物差しで、しばらく世界を見てみたい。

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