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誰でも出来ることを、誰にも出来ないくらいやる難しさ

「誰でも出来ることを、誰にも出来ないくらいやれ」

先日、聞いた言葉だ。ご本人いわく「誰かの受け売り」らしいのだが、私の心にはずっしりと重く残った。

一見すると、よくある自己啓発的なスローガンや「継続は力なり」の言い換えに聞こえるかもしれない。しかし、この言葉の本当の凄みと真価は、むしろ「それを愚直に実行することの圧倒的な難しさ」にこそ潜んでいる。

なぜ「誰でも出来ること」を続けるのが、これほどまでに難しいのだろうか。



「誰でも出来ること」という罠

「誰でも出来ること」とは何だろう。
挨拶をする、約束を守る、日々の業務を丁寧にこなす、毎日1歩ずつ前に進む、デスクを整頓する、情報をインプットし続ける……。

どれも特別な才能や高度な資格が必要なわけではない。文字通り「誰でも出来る」ことばかりだ。

しかし、人間には「飽き」があり、「慣れ」があり、時には「慢心」や「疲労」が襲ってくる。最初は高いモチベーションで始められたことでも、1週間、1ヶ月、1年……と時間が経つにつれて、日々の忙しさや優先順位の波に飲まれ、いつの間にか立ち消えてしまう。

1日で100歩進める力を持つハイパフォーマーであっても、それを3日でやめてしまえば、ただ毎日1歩ずつ愚直に歩み続けた人の「1年で365歩」には遠く及ばない。

「誰でも出来ること」だからこそ、人はそれを過小評価し、簡単に後回しにし、そして簡単にやめてしまうのだ。


「できた」ではなく「やれたか」という過程の価値

ビジネスの世界や日々の仕事において、私たちは常に「結果」を求められる。当然、プロとして結果にこだわることは不可欠だ。

しかし、結果にはどうしても「運」や「時期」「他者との巡り合わせ」といった、自分ではコントロールしきれない要素(不可抗力)が絡んでくる。どれほど完璧な準備をしても、望んだ通りの結果が出ないことだってある。

だが、「やったか、やらなかったか」「自分を裏切らずにやり切れたか」という過程だけは、100%自分自身の意志と行動に支配されている。

結果が出なかったとき、他人のせいや環境のせいにすることは容易い。しかし「自分はやれるだけの過程を積み重ねたか?」と問われたとき、胸を張って「誰にも出来ないくらいやり切った」と言えるかどうか。

そこに、その人の「信念」や「根性」、そして人としての真の強さが表れるのだと思う。


「圧倒的な量」が「質の変化」を生む

「誰にも出来ないくらい」という領域まで一つのことを愚直にやり抜いたとき、何が起きるか。

最初は誰もが出来るような当たり前のことだったはずが、圧倒的な量の積み重ねによって、やがて誰にも真似できない「圧倒的な強み(ピカイチの領域)」へと昇華する。

スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも、真のプロフェッショナルと呼ばれる人たちは、一見すると地味で誰もが知っている基礎や習慣を、狂気とも言えるレベルで継続している。

「特別なことをする」のではなく、「当たり前のことを、誰も到達できないレベルまでやり続ける」。

これこそが、再現性の高い本物の実力をつくる唯一の道であり、同時に最も過酷で、最も難しい道のりなのだと思う。


おわりに

結果がすぐに付いてこないと、自分の歩んできた道に不安になることもある。
「こんな地味なことを続けていて意味があるのだろうか」と迷う夜もある。

それでも、自分自身で「やると決めたこと」を、誰にも出来ないくらい愚直にやり切る。
運に左右される「結果」に一喜一憂するのではなく、自分自身でコントロールできる「過程」にすべてを注ぎ込む。

「その難しさ」を噛み締めながら、今日もまた愚直に、目の前の1歩を踏み出していきたい。頑張っていれば、そのプロセス自体が絶対に自分を裏切らないはずだから。

と、自分で書いてみたもののどうしても人は自分に甘い。
自分自身に鞭を打つことは、誰にでもできることではないかもしれない。



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