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民意のはなし

 2013年にフジテレビで放送されたドラマ『リーガルハイ』はずっと大好きで、数えきれないほど見返してきました。TBSの安住アナウンサーのように、古美門研介の台詞を憶えているわけではないのですが、社会に対して時にシニカルに、時にストレートに問いかけられる課題の数々は十年後の今も通ずるものばかりで、何度観ても考えさせられます。

 この番組で特に印象に残っているのは、第9話の醍醐検事の演説と、それに対する古美門の返答です。オムニバス形式で物語が展開された第一期と異なり、第二期は安藤貴和が巻き起こした事件に対して、他の事件や新たな登場人物がいろいろと痴話喧嘩を繰り広げる中で少しずつ展開が進んで行きました。安藤貴和は、複数人を殺人した容疑で死刑判決が下されます。しかし、この死刑判決は新たな証拠や証言がある中でのもので、その控訴審で古美門とパートナー弁護士の黛真知子は新たな証拠を突きつけます。

 ただ、醍醐検事はテレビや新聞といったメディア、もしくは群衆による“民意”をもとに、あくまでも安藤貴和の死刑を主張。世論はエスカレートし、古美門の事務所に直接攻撃を行う者が現れ、ついには街中で遭遇した黛を襲うまでに発展します。それでも、醍醐検事は“民意”こそが正しいのだと、あくまでも自らの主張を貫こうとします。

 ぜひ本編を観ていただきたいので返答はここに書きませんが、古美門研介の主張は十年経った今、より痛切に響くものだと思います。

 古くは世論調査に始まり、現代のメディアではよく投稿数やハッシュタグ、署名などによって民意を測ろうとする方がいますが、その民意は果たして必ずしも正しいものなのでしょうか。仮に、民意が暴力や圧政を正当化したとして、その民意を民意として政治や運営に反映させても良いものなのでしょうか。

 正義という言葉は、非常に脆い概念です。ほとんどの場合、多面的な正義が存在します。あらゆる角度から俯瞰しようとして、私たちはなんとか個々の立ち位置を設定しているのではないでしょうか。少なくとも、自分のことを「正しい」と信じることについて、私はより批判的に捉えた方が良いと考えています。そして、多数決こそが、民意こそが正義であるという考え方にも。

 どんな正しさでさえ、それが数や過熱によって膨れ上がった時、止まらない存在になってしまう。簡単には止められない怪獣に膨れ上がってしまう。

 だからこそ、民意は怖いのです。膨れ上がった時の民意は、誰も結末をコントロールできませんから。ゆえに、容易に操ろうとも、民意や多数決を絶対的な正義だといって、相乗りしようともしてはいけないのです。

 2023.6.10
 坂岡 優

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