【掌編小説】崩壊の種
「現代社会、地域社会、国際社会、社会福祉、社会性、社会主義、あとは、反社会的が出たな。他にないか?」
教師は黒板に大きな文字で「社会」がつく言葉を書いている。最後の「反社会的」という言葉が出て、数分が過ぎた。もう充分だろうと、教師が自分に頷いたとき、一人の生徒が手を挙げた。
「お、まだあるか?」
教師が手の動きで、生徒に立って発言をするように促した。
「社会復帰」
「お前じゃん」
間髪入れずに隣の生徒から言われ、教室は笑いに包まれたが、教師は三度、手を叩いて笑いを制した。
「インフルエンザから復活したのは社会復帰とは言わんだろ。ま、色々『社会』のつく言葉が出てきたが、最初に説明したように『社会』というのは人の集団であって、その集団内では、意識的であろうが、無意識的であろうが、その社会に属する人は互いに影響し合う」
教師はそう話して、書き並べられた言葉をそこで一旦区切るように、黒板に長い縦線を引いた。
「じゃあ、英語で『社会』は何と言う?」
教師が、先ほど「お前じゃん」と茶化していた生徒を指した。
「societyです」
「あ、そうだな」
教師が頭を掻いていると、その「society」と答えた生徒はニヤついた笑顔を浮かべていた。教師の狙いを分かった上で、わざとそう「正解」を答えているのだ。英語ではなく社会科の教師が困っているのを見て満足したのか、その生徒がもうひと言加えた。
「形容詞では『social』ですね」
「最初からそう言ってくれよ」
教師は苦笑いしながら「ありがとう」と生徒に着席してもらい、黒板に書いた線の左側にカタカナで「ソーシャル」と書いた。
「じゃあ、次の質問は予想できていると思うが、『ソーシャル』のつく言葉を言ってみてくれ」
生徒たちは教師のその言葉が終わる前に、顔と身体を自分の周りにいる生徒の方に動かし、生徒同士でその答えを言い合っている。
教師は特に誰かを指名することなく、その場で上がっている言葉ふたつを板書した。
――ソーシャルメディア
――ソーシャルネットワークサービス
そのふたつの言葉を書き終えると、教室も静かになっていった。どうやらそれ以外には何も思い浮かばないようだ。
「ソーシャルメディア。そうだな、メディアって言葉を説明できる者はいるか? 二年の時に教えたぞー」
不思議なことにこういう時、つまりは、発言する行為が成績には直接関係ないが、授業のスムーズな進行のために発言が必要な時、どのクラスにも二、三人その発言者役をする生徒がいる。その生徒間でアイコンタクトがあり、ひとりの女子生徒が手を挙げることなく立ち上がり、口を開いた。
「手段、媒体、といった意味ですが、大衆に向けた一方的なメディア展開。新聞、雑誌、テレビ、ラジオを使ったマスメディアとは違い、ソーシャルというのは互いに影響し、作用しあう社会の中での双方向的な」
頭の中に浮かぶ言葉を考えながら並べて発言していた生徒を、教師が「ちょっと待った」と、ジェスチャーを加えて止めた。
「『媒体』だけで良かったのに、それ以上言われると先生の仕事がなくなる」
教室が笑いと、女子生徒に向けた拍手と、「さすがっ!」と冷やかす声で再び賑やかになったが、今度は教師もすぐにはその騒ぎを止めず、自然と収まるのを待った。
「さて、じゃあ今日の本題だが、もうひとつみんなの口から出た言葉のソーシャルネットワークサービスとは」
次々と挙がりだした手に、教師は両手を前に出し、なだめるような動きをして手を下ろさせた。
「その言葉の意味だけではなく、実際の役割を君たちがよく知っているのは分かっている。会員制、つまりはサービス利用にユーザー登録が必要なソーシャルメディアのひとつで、主にユーザー間、あるいは広くユーザー内でコミュニケーションをとる、言いかえれば情報を発信するサービスだな」
教師はそこまで言うと黒板の方に振り返り、大きく「SNS」と赤いチョークを使って書き、さらに、黄色のチョークでアンダーラインを二本引いた。
「さて、予習はこれくらいにして、そろそろ映画を観ようか。知っているかと思うが、この映画は、旧アメリカ合衆国第四十九代、つまり最後の大統領が合衆国崩壊直後に出した本が原作だ」
教師がリモコンを手にすると、黒板の前に黒いモニターが降りてきて、映像が映し出された。
――「SNSに蒔かれた恐怖の種:世界崩壊の始まり」リンダ・ディクソン
SNSという充分に肥えた土壌に、その小さな種が蒔かれたのは、必然的な時代の、社会の流れだった。
自国第一主義を唱えることが時代遅れになりつつあったとき、熟しきった種子である自動翻訳システムが、ネットワーク上にオープンソースで置かれた。既に各国でAI用に膨大な言語データが蓄積され、また、AIによってさらに多くのデータが蓄積されていた状況にあって、翻訳の精度は飛躍的に上がり、スピードもほぼリアルタイムと呼んで差し支えのない速さになっていた。
南北朝鮮の統一、中国からのチベット、ウイグル、香港、台湾の完全な政治的脱却。東アジアでの大きな流れは、一気に世界公正主義を広めさせ、中国、旧北朝鮮の制限無きSNSへのアクセス権は、新たな平和な時代を照らす光になると見られていた。
「私の言葉が、全世界の仲間たちに歪んだフィルターを通さず、同時に伝えられる社会の進歩に感動を抑えきれない」
女性初の合衆国大統領となったリンダ・ディクソンは、自身のフェイスブックとツイッターでそう発言した。
その発言に対し、誰もがコメントを寄せられるのがSNSだ。どの国籍を持っていても、子供でも、年寄りでも。男女も、犯罪歴の有無も関係なく。
コメントの多くは、ディクソン大統領自身というよりも、彼女が発言した内容に共感するものが多かった。だが、いつまでも世界のリーダーを気取っているといった否定的意見も多くあった。
だが、それも大きな問題にはならない。
完全に全世界を繋ぐネットワークにおいて、国家元首の力は僅かでしかない。
時間・距離・言葉の壁が失われたネットワークの世界に、国境は存在しない。現実世界にも影響するほどSNSでの交流が広がると、物理的国境が揺らぎ始めた。国家を形成する要素の、国土が曖昧になってゆく。主権が全世界のユーザーに流れ込んでゆく。
ユーザー自身がどこの国民かも意識しなくなってきたときには、世界はある意味崩壊への道を進み始めた。
国籍はネット上のアドレスやアカウント名よりも価値を失ったが、各国の参政権、特に投票権の価値は上がっていた。
暴力への批判も当然のように高まり、その象徴的存在である核兵器、化学兵器などの大量破壊兵器の放棄が進み、「テキストは核よりも強し」という言葉が広がってゆく中、ディクソンは自身の国家を窮地に追い込む失言をした。
「我が合衆国には、歴史上唯一核兵器を実戦使用したという優位性があり、云々」といったものだ。
当然「優位性」という言葉に多くの非難が殺到した。
ディクソンは苦し紛れに、翻訳システムの不具合を言い訳にしたが、その言い訳もSNSこそ現実世界だと主張する、世界中の超進歩主義勢力からの批判を浴び、ついには合衆国を東西に二分する事態となった。
映画の序盤、SNSの発達で合衆国が世界の中での力を失ってゆく様子が描かれていたが、既に生徒の半数は眠気に襲われていた。
それも仕方のないことだ。この事件はことあるごとに崩壊の象徴として語られている。
そもそも、ディクソンによる著書、およびこの映画のタイトルに「世界崩壊の始まり」とあるが、合衆国を世界と同視すること自体が皮肉めいている。
合衆国崩壊前までよく目にしていたエンターテインメント業界での「全米ナンバーワン」は世界一を示す言葉ではない。だが、それがそうであった時代もあった。
この「世界崩壊」というのも、ディクソンに染み付いた旧時代の思考の表れだ。
映画が終盤に入り、超進歩主義勢力の実質的リーダーの二代目である日本人女性が本人役で登場すると、生徒たちは再びモニターに集中し始めた。
「世界平和とか、全人類平等とか、そんなのは難しすぎるって思いますよ。でも、公正っていうのは意外と簡単なんだなって。もちろん、前述のふたつと比べたらって意味ですよ」
モニターには、CGで描かれた大きな目を輝かせる少女が、身体を揺らしながら合成された高めの声でそう話していた。
これまでの人類の歴史で、多数のものを纏めるために生まれた新たな存在は、その他の存在を包括することなく、多数の中の新たな個として存在するだけになることが多かった。だが、ディクソンの言う「世界最大の恐怖」は、その恐怖を味わった者たちさえも抱え込んだ。
「この変化が進化なのか、後退、荒廃、失敗であるかは、後の時代が決めること。でも、今の私たちには、過去の全ての失敗を地球上全ての人間で共有し、教訓にできるという、これまでになかった力があります。公正に発言できる土壌があります。今から私が蒔く種が、恐怖の種となるか、希望の種となるか、それは、私たち自身がどう育てるかにかかっています」
エンドロールのあと、ディクソンの原作にはなかった言葉が映し出され、モニターは黒板の上に納まった。
再び黒板に書かれた文字たちが顔を出すと、教師が「国際社会」という言葉を丸で囲んだ。
「旧時代の『国際社会』は、本当の意味での『国際社会』だっただろうか?」
生徒たちに問いかける。
「しつこいようだが、『社会』というのは人の集団であって、その社会に属する人は互いに影響し作用しあう。この時に現れた超進歩主義のリーダーは、姿と名前を何度か変え、今でも存在している。彼女、あるいは彼、だった時期もあるが、彼女は人間じゃない。その思想、良心の集合体だが、彼女も我々に影響し、作用している。そんな現代の『国際社会』は、本当の意味での『国際社会』と呼べるだろうか」
答えを求めるための質問ではない。教師の意図は生徒たちに少しの間違いもなく伝わっていた。
「『国際』や『国』という言葉自体が曖昧になった今、これが国際社会の進化なのかどうかは、きみたちや、きみたちの子供の世代が決めることだな。大変なことだとは思うが、世界がひとつになる所を、先生は見てみたい」
教師が言葉を結ぶのを聞いていたかのように、チャイムが鳴る。
「きりーつ! れーい!」
日直が号令をかけ、全員がその号令に従って動くと、生徒のひとりが「先生も早く社会復帰してくださいよー!」と明るい声で教師に向かって言った。
その生徒の言葉に、片手を挙げ、笑顔を見せただけで気遣いに対する感謝の意思を返し、公正な意識の集合体である教師のCGは姿を消した。
この現代が、進歩と呼べるのか。それを決めるのは、きみや、きみの子供たちだ。
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