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生きづらさの答え合わせ|高学歴発達障害



ふと手に取った一冊の本


最近、仕事のことでずっと悩んでいた。
集中できない、仕事や人の話が頭に入らない、同じミスを繰り返す。
「ちゃんとやらなきゃ」と思っているのに、頭が真っ白になって、手が止まったり他のことを考えてしまったりする。

そんな中、本屋でふと目に留まった一冊があった。
『高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生』。
なぜか、自然に手が伸びた。

読み進めるうちに、自分と重なる部分がどんどん出てきて、涙が出そうになった。


子どもの頃の私はちょっと変わってた


・靴下の気泡や服の感触に強い違和感があった(感覚過敏)
・ベルトをしてサスペンダーをしないと落ち着かない
・太陽の光さえ不快に感じた
・幼稚園の頃からかんしゃくを起こしやすかった
・映像や音が頭の中で延々と再生されて、疲れてしまう
・食が細くて、野菜や肉が苦手だった
・3歳ごろまで言葉が遅れていた

小学校では、昼休みになぜか友達の引き出しの中を整理するのが好きだった。人と一緒に遊ぶより、何かに没頭する方が安心できた。そんな時私が不思議と惹かれたのが、画家のゴッホの伝記だった。小学生の頃から何度も読み返していたのは、孤独や不器用さに、どこか自分を重ねて「共感できた」からだと思う。彼自身、勉強の事、人間関係や気持ちを表現する事、特性に悩んでいた。特に印象的だったのは、ゴッホが同じく小学生くらいの時に粘土で象を作っている際、母親に褒められた時に強い怒りとともにそれを拳で潰したこと。

外面とのギャップに苦しむ

中学時代、私は毎回の定期テストで3位以内に入っていた。
高校は地元の進学校には学力推薦で入学。周囲からは「真面目」「優秀」と思われていたと思う。

けれど実際は、短期集中でなんとか乗り切るタイプ。試験前に一気に詰め込んで、過剰に集中して、結果だけは出していた。
これは本の中で書かれていた「過剰集中的な勉強スタイル」とまさに重なった。

でも、大学受験ではうまくいかなかった。地道な積み重ねが求められる勉強には向いていなかったのだと思う。
「計画的にコツコツ」なんて無理だった。
授業中は上の空。髪の毛を触り続けたり、別のことを考えていたり…。
数学の文章題や国語の長文も苦手で、気まぐれに解く順番を変えたり、集中が切れたりすることが多かった。

理系科目は壊滅的だったけど、英語や社会は好きだった。
理系科目は暗記でどうにか乗り切ったけど、根本的には理解できていなかった部分も多かった。今思えば、ディスカリキュリア(算数障害)の傾向があるのかもしれない。

「習うより慣れろ」が、私には合っていた


社会人になったばかりの頃、海外の大学院進学を考えていた時期もあった。
でも、講義を受けるよりも、実際に経験した方がずっと頭に入るため私は座学よりも“実践で覚える”タイプだと気づいた。ただ学歴ロンダリングしたかっただけだった。

自分のキャリアも、まずはやってみて、肌で感じて、そこで考える方が合っている。正解を求めて悩むより、映像や人との会話から学ぶ方が得意な私は、体験から学ぶというプロセスが、ようやく自分の中でしっくりきた。

今の仕事でつらいこと

今は経理の仕事をしている。でも、数字の扱いやマルチタスクが本当に苦手。

・集中が突然切れる
・頭が真っ白になってしまう
・ルーティンなら”こなせる”けど、応用が効かない
・質問にうまく答えられない

「自分はこんな単純なこともできない」と、思い詰めることもある。
「仕事ができない」と見られている気がして、つらい日も増えてきた。
7月末にはこの仕事を辞めるつもりだ。
今の仕事とは真逆のもっとクリエイティブなことの方が自分の強みが生きると思うし、著書の中でも同じような方が多くいた。

日常生活でも、ちょっとした困りごとがたくさん


・部屋がすぐに散らかる
・コップに水が少しだけ残ったまま、いくつも放置してしまう
・一度部屋を出ても忘れ物に気づいて戻るのを繰り返す
・勉強や資格の勉強も続かず、飽きてしまう
・ギリギリにならないと動けない
・予定に遅刻しがち
・同じ曲を何度も繰り返し聞く

興味の対象も、ころころ変わる。
ある時は英語の勉強に夢中になり、またある時は転職活動、アート、読書、海外旅行にハマったり。でも、一時は興味が離れてもこれらの対象はずっと好きでまたハマったりする。

最近ようやくわかった。
このペースでしか、生きられないんだって。
「ボタンがずれている」「ズボンが前後逆」そんな小さなことも、毎日のように厳しく注意された。けれど、私はまったく改善できなかった。

今思えば、それもひとつの“特性”だったのかもしれない。感覚への鈍感さなのか、注意力の偏りなのか。こだわり抜くところは、人一倍こだわる割にその他のことになるとこのようになる。ただ当時は、「だらしない子」「努力が足りない」と見なされ、自己肯定感はどんどん下がっていった。

「休日に好きなことをする」が、1番自分らしい


最近は、アートやカフェ巡りが私の癒し。
自分の興味を休日に少しずつ広げていくこのスタイルが、私には合っている。仕事では頑張りすぎてしまうからこそ、プライベートで自分を回復させる時間がとても大切。自己効力感を高めて仕事とのバランスを保っている。

そして、そうした体験の中で、人との出会いや新しい発見から学ぶことが、私にとっての「成長」だ。


「普通」にできない自分を責め続けてきた


家庭環境も影響しているのかもしれない。
親は過干渉で、進路も就職も親の意向に合わせる形になった。
「好きなことを絞らせてもらえなかった結果、何もかも中途半端になった」と感じることがある。興味のあることにはとことんのめり込むタイプなので、私立大の科目を絞っての受験だとそこそこ良い大学に行けたのではないかと今でも思う。

それでも、自分を知るところから始めたい



『高学歴発達障害』という本に出会って、初めて思った。

「私はダメなわけじゃない。特性があるだけなんだ」と。以前、そういった特性があるのかも、と親に言ったこともあったがそういう括りで片付けて逃げたらダメだと言われた。本にでてくる事例では、きちんと病院で診断を受けて、状況に応じて薬物療法をし、改善した例が挙げられている。一度受診してみて、このモヤモヤした気持ちに明確に名前をつけてもらった方が気持ち的にも、今後の方向性的にも良いのかもしれない。

今の経理の仕事は、今年の7月末で辞めるつもり。これからは、自分の特性をきちんと知って、向いている働き方を探していきたい。

「どうせまた投げ出すんじゃないか」
「そんな甘いこと言ってられないよ」

そんな声が頭の中に響くけど、この本に出てきた人たちも同じような悩みを持って、少しずつ前を向いていっていることが心の拠り所となった。

最後に

『高学歴発達障害』という本が教えてくれたのは、
「あなたはダメなんじゃない。特性に合わない環境にいたんだよ」というメッセージだった。

仕事に悩んでいる人、
自分を責めがちな人、
色んなことが中途半端だと感じている人へ。

私の“できなさ”が、誰かの安心になれば嬉しいです。

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