【エッセイ】解説『嗚呼、なんと美しきこの世界』
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◆はじめに
本記事は2026.01.17に投稿した『嗚呼、なんと美しきこの世界』の解説エッセイです。
ネタバレを含みますので、まだお読みでない方は自己責任でお願いします🙇
以下、ネタバレを含みます。
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◆【解説エッセイ】『嗚呼、なんと美しきこの世界』
――美意識の『直感』と『理性』。私が何度も目を逸らしてきたもの――
この物語『嗚呼、なんと美しきこの世界』は、スマホアプリ『書く習慣』のお題【美しい】に対して寄せた掌編作品である。
【美しい】
それは形容詞である以上、必ず比較対象を伴う。基準となるものがなければ、形容詞はたちまち無意味な通過点に成り下がる。
となれば、この物語に求められるものは『比較』だ。各々がどこに美の基準を置き、その直感に基づく感覚的な美と、理性に基づく社会的な美の間でどのような物語が生まれるか。
しかし、いざ物語を書き進めると、胸の中にざわざわとしたものを感じ始める。
――この物語をどう書き進めればいい?
プロットに息詰まったからというわけではない。
書き進めるほどに、自分がこれまでいかに闇から目を逸らしていたかを思い返さずにはいられなかったからである。
この物語には、分かりやすい悪として、金と権力を持ち、欲望のままに自然を切り刻むギャラリーのオーナーを登場させた。
だがこの女を悪として書きながら、私は何度も思ってしまった。
この女を断罪する資格が、果たして自分にあるのだろうかと。
この物語に登場する人物は、もれなく欲にまみれている。主人公の男も例外ではない。
彼は、女が自分の技術以上に、自身の若さや肉体を求めていることを理解している。
女の容姿に生理的な嫌悪感を抱きながらも、彼は誘惑を拒むことはない。むしろ名声を得るために彼女を利用しようとさえしている。
主人公は決して悲劇に巻き込まれた被害者ではない。自らの欲を天秤にかけ、軽いほうを切り捨て続けた者である。
一見すれば美意識に正直な男のように見える。しかし、その裏にある彼の名声に対する欲求は、果たしてその美意識に影響しなかったと言えるだろうか。
物語の中で描かれる凄惨な光景はいささか誇張されていると思うかもしれない。
自然が破壊され、動物が蹂躙される場面を書きながら、私も「これはやりすぎだろうか」と何度と考えた。
だが同時に、どこかで思っていた。
これより酷いことは至る所で起こっている。そして、男はそんな状況でもシャッターを切るはずだ、と。
美しいと感じたものに、どれだけの闇があるとしても、すでに放たれてしまった感情に嘘はつけない。
書きながら自然と出てきたこの一文が、つまるところこの物語の核である。
それは、自分自身への言い訳だったのかもしれない。
感じてしまった闇に対して『理性』で否定することはできる。
だが、『直感』的に感じた美しさをなかったことにはできない。そして自分も含めて、人は往々にその感情を守るための後付けを探す。
――この闇は必要な闇だ。
あるいは、
――これは美しくない。
と直感を無理やり否定するだろう。
折り合いのつけ方は、結局、感情を抱いた本人にしか決められない。
オーナーの女が曝け出す欲望は、露骨で、執拗で、分かりやすい。
「ヒト・カネ・モノは余るほどある。舞台もこちらで手配するわ」
この台詞を書きながら、私は彼女を怪物として描いているつもりでいた。だが書き進めるほどに、その自信は揺らいでいった。
美しいものを見たい。自分の理想を形にしたい。そのために、持っているものを使う。それは、どこまでが許され、どこからが越境なのだろうか。
私は兼ねてから考えている。
この世に本質的な善悪もなければ、正誤もない。そこには解釈と理解があるだけだ。
当然、彼女は自分を悪だとは思っていない。彼女は自分の美意識に従い、それを実現することを正義だと信じている。それを悪と呼ぶことができるとすれば、他者に犠牲を強いて夢を追うものは少なからず悪だと言えてしまう。
この物語で、最も無責任な者は誰なのか。
書き終えた今になって私が思うのは、写真を鑑賞する側にいる人間だ。
人は今この瞬間も、模倣された自然に歓喜し、動物の死骸に舌鼓を打つ。深いところからは目を逸らしながら、自らの薄い皮膜のような美意識に酔いしれる。
贅沢を謳歌する裏で、どれほどの犠牲が払われ、どれほどの破壊が行われているのか、そんなことは私の意識の及ばぬところと白を切って静かな顔をする。
無責任であることもまた、完全な悪ではない。彼らは与えられたものに自らを投影し、それを直感と理性のフィルターを通して解釈しているにすぎない。
いったん解釈が成立してしまえば、裏側で何が起きていようと、闇を知らなければ、安心して美に浸ることができる。
仮に倫理に反する気配を感じ取っても、それを意識の外に追いやることで、自分の感性は守られる。
この構造は、決してフィクションの中だけの話ではない。かく言う私も、その輪の外に立てているわけではない。
この物語は、作られた美しさを肯定もしなければ、否定もしない。
ただ言えることは、私たちが目にしているものは、一つの側面に過ぎないという事実である。
別の側面を知ってしまったとき、自分がこれまで抱いてきた『美しさ』の基準を、否定しなければならない瞬間が訪れるかもしれない。
そのとき、どうするのか。
目を逸らすのか。それとも、矛盾を抱えたまま生きるのか。はたまた直感を否定する方向に向かうのか。
故にこの物語では、断罪もしなければ、救いも用意しない。それは各々が解決しなければならない問題に他ならないからだ。
嗚呼、なんと美しきこの世界。
そして、それはあまりに醜く愛しい、人間らしい美しさだ。
あなたが世界に感じる『美しさ』の基準を、一度疑ってみるのもいいだろう。
それでも変わらない『美しさ』は、あなたが生涯で最も大切にすべき人生観なのだろう。
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