期待するな!!第2章
第2章:無常を受け入れると期待がやわらぐ
「前はもっと優しかったのに」
「昔はすぐに気づいてくれたのに」
人との関係の中で、そんなふうに相手の変化を感じたとき、胸の奥に小さな寂しさが宿ることはありませんか?
私にとって、そんな「期待と寂しさ」を初めて強く意識したのは、小さな頃のクリスマスの朝でした。
幼い私が感じた「なぜ私にはくれないの?」
当時、友達はクリスマスになると「サンタさんがプレゼントをくれた」と嬉しそうに話していました。
目を輝かせながら、どんなおもちゃをもらったのか、朝どんなふうに枕元で見つけたのか──みんなが話すその光景を、私は羨ましく聞いていました。
私は毎年、心の中で願っていました。
「今年こそ、サンタさんが私にも来てくれますように」と。
けれど、どれだけ願っても、朝起きたとき枕元にプレゼントが置かれていたことは一度もありませんでした。
「どうして私にはくれないの?」
「サンタさんは、私には来てくれないの?」
幼いながらも、期待した分だけ心が沈んだ、あの静かな寂しさを今でもはっきりと覚えています。
あれは「期待が叶わない」という現実との出会いだったのだと思います。
変化は、私たちを戸惑わせる
大人になってからも、私たちは日々の中で小さな期待を抱いています。
信頼していた人の態度が冷たくなった。
いつも話していた友人との距離が、なんとなく開いてしまった。
職場で仲が良かった同僚が急によそよそしくなった。
そういった小さな変化が、気づかぬうちに心の負担となり、「このままでいてほしかった」という思いが、やがて怒りや寂しさへと変わっていくのです。
変わってしまったことを責めたくなる気持ち
「なぜ変わってしまったの?」
「どうして前みたいに接してくれないの?」
そう感じたとき、私たちはつい相手を責めたくなります。
でも、その裏には「変わらないでいてほしかった」「いつまでも同じ関係でいたかった」という、静かだけれど確かな期待があります。
仏教の教え「諸行無常」
仏教ではこの世界のすべては変化し続けるという教えがあります。
それが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。
花が咲き、やがて枯れていくように。
春が終わり、夏が来て、秋が過ぎ、冬が訪れるように。
人の心も関係も、すべては常に移り変わっていくのが自然の姿なのです。
変化を「異常」と思うから苦しくなる
私たちはつい、変化を「おかしいこと」だと思ってしまいます。
「子どもが素直だったころに戻ってほしい」
「配偶者が優しかった昔みたいになってほしい」
「親が元気だったころのように会話したい」
そう思えば思うほど、今との違いに戸惑い、受け入れられず、悲しくなるのです。
でも、本来、変化こそが自然。
変わることに理由があるのではなく、「変わっていくものなのだ」と心に置いてみると、少しずつ気持ちにゆとりが生まれていきます。
「そういう流れなんだ」と捉えるだけで軽くなる
もしも、変化を「誰かが悪い」から起きたのではなく、
「ただの流れ」であると受け止められたら、私たちは人を責める気持ちから少し自由になれるのかもしれません。
気持ちがすれ違うこともある。
昔と同じようにはいかない時期もある。
でも、それを無理に戻そうとせず、「今はそういう時期なんだね」と認めてあげる。
その視点が、関係を壊すことなく、逆にやさしく繋ぎ直してくれることがあります。
自分自身への期待もやわらぐ
無常という考え方は、自分自身にも向けることができます。
「前はもっと頑張れたのに」
「昔の自分ならこんなことでつまずかなかった」
そんなふうに自分に失望する日があるかもしれません。
でも、それも変化の一部です。
体力が落ちたり、気力が続かなかったり、集中できなかったりするのは、何もおかしいことではない。
「今の自分にできるペースでいい」
「変わったって、それが今の私」
そう認められたとき、自分に向けた期待がそっとほどけていき、自分に優しくできる力が育っていくのです。
「変わっても、大丈夫」と言える強さ
期待を手放すことは、冷たいことではありません。
むしろ、変わっても大丈夫だと思える関係性のほうが、ずっとあたたかく、信頼に満ちているのだと思います。
変化することを責めず、コントロールしようとせず、ただ「今はこういう流れなんだ」と受け入れる。
それはまるで、流れる川の水に逆らわず、ただ共に歩くような生き方です。
