"また今度ね"を繰り返していたら、大切な時間は少しずつ過ぎていた。
「パパ、あそぼう」
「また今度ね」
そう、答えた、瞬間、娘は、もう、靴を、履くのが、上手に、なっていた。
いつの間にか、そうなっていた。
仕事から、帰ってきて、疲れている、日は、決まって、「また今度」と、言った。
休日も、たまった、家事を、片付けている、間に、「また今度」に、なった。
その、一回一回は、特に、大きな、ことじゃ、なかった。
たった、一日、遊べなかっただけの、こと。
そう、思っていた。
ある日、娘の、靴を、見た。
いつのまにか、サイズが、変わっていた。
一人で、靴紐を、結べるように、なっていた。
「いつの間に」
そう、思ったけど、その、「いつの間に」の、間、ずっと、そこに、いたのは、自分だった。
ただ、ちゃんと、見ていなかった、だけだった。
仕事も、大事だった。
生活を、支えるために、必要な、ことだった。
「また今度」には、ちゃんとした、理由が、あった。
それは、今も、変わらない。
ただ、その、理由が、正しい、分だけ、「また今度」が、続けやすかった。
「今度」は、いつか、来ると、思っていた。
でも、娘の、成長は、待っては、くれなかった。
「また今度」と、言っている、間にも、靴のサイズは、変わり、話す、言葉は、増え、昨日と、今日の、娘は、もう、少し、違っていた。
その、変化に、気づいた、夜、少しだけ、早く、仕事を、切り上げてみた。
娘と、一緒に、靴を、履いて、近所を、歩いた。
特別な、ことは、何も、しなかった。
ただ、一緒に、歩いただけだった。
それでも、その日のことは、なぜか、よく、覚えている。
「また今度」は、これからも、言うと、思う。
すべてを、今、やることは、できない。
ただ、その、「今度」が、本当に、来るのか、時々、確かめたいと、思うように、なった。
最近、"また今度ね"と、言ったのは、いつでしたか。
その、"今度"は、もう、来ましたか。
読んでくれてありがとうございます。コメントで、あなたの「また今度」のことを、少しだけ聞かせてもらえたら嬉しいです。
