TESEをやめたあと|無精子症の夫婦が話し合った 精子提供・養子・子どものいない人生
※これは私たち夫婦の体験談です。医療的な判断は人それぞれ異なるため、治療や検査については必ず医師にご相談ください。
TESEを受けないと決めたあと、
私たちの前に残ったのは、検査や治療の話ではありませんでした。
残された選択肢を、どう生きるか。
その話でした。
精子提供を受けるのか。
養子を迎えるのか。
子どものいない人生を生きるのか。
文字にしてしまえば、たった三つです。
でも、その三つはどれも軽くありませんでした。
どれを選んでも、
それまで思い描いていた人生とは違う場所へ向かうことになる。
その現実を前にして、私は初めて気づきました。
「子どもが欲しい」という願いは、
治療の話だけでは終わらないのだと。
授かれなかったあと、
夫婦がどんな人生を生きるのか。
どんな家族のかたちを引き受けるのか。
そういう話に、変わってしまうのだと。
このnoteには、
TESEを受けないと決めたあと、
私たち夫婦が「他の選択肢」についてどう話し合ったのかを書いています。
精子提供。
養子。
子どものいない人生。
そして、その途中で夫が差し出した、
もうひとつの選択肢。
それは優しさの形をしていて、
私には少し残酷でした。
このnoteは、医療的な正解を示すものではありません。
どの選択肢を勧めるものでもありません。
ただ、当事者としてあの夜に何を感じたのか。
何が閉じていくように見えたのか。
そして最後に、何を残したのか。
その過程を、できるだけ嘘なく書いた記録です。
たとえば、こんなことを書いています。
- 夫が「自分と血が繋がっていない子を育てる自信はない」と言ったとき、私の中で何が起きたか
- 精子提供という同じ言葉を前にして、夫婦でまったく違うものを見ていたこと
- 夫の兄弟から提供してもらう案が一瞬だけ出て、すぐに消えたこと
- “選んだ”というより、“残った”に近かった子どものいない人生
- 夫が差し出した「離婚」という優しいのに苦しい選択肢
不妊の話では、
どうしても「どう授かるか」に焦点が当たりがちです。
でも実際には、
授かる方法の話ではなく、
授かれなかったあとに夫婦がどんな人生を生きるのか、
という問いに変わっていくことがあります。
私はその変化を、あの夜に初めて知りました。
静かな話し合いでした。
大きな声を出したわけでもなく、
泣き崩れたわけでもありません。
でも、静かだったからこそ、
その場にある本音から逃げられませんでした。
残された選択肢を前に、夫がぽつりと言いました。
「……自分と血が繋がっていない子を育てる自信はない」
その言葉を聞いたとき、
私はすぐに分かってしまいました。
それは養子の話だけじゃない。
精子提供の話にもつながっている、と。
同じ選択肢のことを話しているはずなのに、
私たちは別々のものを見ていました。
その違いが、言葉にならないまま胸に残りました。
そして私は、その瞬間に感じてしまったのです。
「私が自分の子を産む」という可能性も、
ここで静かに閉じていくのだと。
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無精子症の夫婦|診断から決断まで
自宅検査から始まった私たち夫婦の、無精子症という診断と、その先の決断までの記録です。 「何を選び、何を手放し、どうやって前を向こうとしたの…
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