#5 奇跡を願った誕生日、告げられた「稽留流産」
不妊治療をやめてからは、妊娠のことを考えないようにしていました。
通院もやめて、基礎体温も測らなくなって。
気持ちは少し楽になっていたと思います。
そんな日々を過ごしていた26歳の頃。
生理が1週間遅れていました。
まさかと思いながら妊娠検査薬を使うと、陽性反応。
信じられませんでした。
その後、産婦人科で小さな胎嚢を確認。
※胎嚢とは、赤ちゃんが育つためのお部屋のことです。

「やっと妊娠できたんだ」
嬉しくてすぐ主人に報告。
ふたりで嬉しくて喜び泣きました。
でも数日後、鈍い下腹部痛と血の筋が入ったようなピンク色のおりものが出始めました。
慌てて産婦人科へ電話すると、「今は安静にして、様子を見ましょう」と言われました。
検索魔になっていた私はすぐに調べてしまいました。
出てくる言葉はどれも流産。
それでも、
「頑張れ、きっと大丈夫」
そうお腹に向かって話しかけていました。
次の診察では、胎嚢は少し大きくなっていました。
「頑張ってくれてる」
そう思えて嬉しかった。
でも先生から言われたのは、
「そろそろ心拍が確認できてもいい時期だけど、まだ確認できない」
さらに、
「2週間後に心拍が確認できなければ流産になります」
と言われました。
その2週間はとても長かったです。
出血も止まり、下腹部痛も落ち着いていたので、
「大丈夫かもしれない」
そう思いたかった。
そして迎えた診察の日。
その日は、私の27歳の誕生日。
「どうか奇跡が起きてほしい」
そう願いながら診察室へ入りました。
でも、奇跡は起きませんでした。

先生から告げられたのは、
「胎嚢の中に赤ちゃんの姿が見えないです」
「残念ですが、稽留流産です」
なんで。
なんで。
それしか考えられなくて、ものすごく泣きました。
別室へ案内され、手術の説明や同意書を渡されました。
全然頭に入ってきませんでした。
そんな時、看護師さんが言ってくれたんです。
「お母さんのせいじゃない」
「赤ちゃん、忘れ物を取りに行ったのかもしれないね」
「少し慌てんぼうさんだったのかな」
自分を責め続けていた私には、その言葉がすごく救いでした。
自然に流産するのを待つ方法もありましたが、負担が大きいかもしれないとのことで、数日後に手術を受けることになりました。
「子宮内容除去術」
手術当日、まず子宮の入口を広げる器具を入れられました。
これがかなり痛かった。
その後、手術着に着替えて、点滴を受けながら時間を待っていました。
初めての手術。
初めての全身麻酔。
すごく怖かった。
数を数えていくうちに、だんだん意識が遠のいていきました。
少しの間だったけど、本当にありがとう。
次に目が覚めた時には、全部終わっていました。
痛み止めで軽いアレルギー反応が出たらしく、周りを少しバタバタさせてしまっていたみたいです。
麻酔が切れるまで、ぼーっと天井を見ていました。
お腹が熱く感じて、不安でした。
たぶん気持ちの問題もあったんだと思います。
部屋でひとりになった時、
「ああ、ダメだったんだ」
そう思って、また泣きました。
日帰りで手術を終えて帰宅した後も、下腹部の違和感が続いていました。
気持ちも完全に落ち込んでしまって、しばらく寝込んでいました。
妊娠って幸せなことだと思っていました。
なのに私は、苦しくて、泣いてばかりで。
「こんなに辛いなら、もう諦めよう」
本気でそう思いました。
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