Photo by
okinawa_omiyage
パン屋の朝
まだ夜が完全に明けきらぬ街の片隅。
パン屋の窓に、ひとつだけ灯りがともる。
外は静まり返り、遠くで新聞配達の自転車が坂を下る音がかすかに響く。
店の中では、粉をこねる音と、生地を叩く手の動きだけが、一定のリズムを刻んでいる。
小麦の香りが少しずつ空気に溶けていく。
発酵を待つ間、店主は時計にちらりと目をやる。
午前四時を少し過ぎたころ、窓の外がほんのり赤く染まり始めた。
夜と朝の境目。街全体が息をひそめるような時間だ。
やがて、オーブンの中でパンが膨らみ、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。
その香りは扉の隙間から路地へと流れ出し、まだ眠る街の空気に混ざっていく。
トラックのエンジン音、新聞受けに落ちる紙の音。
それぞれの「朝」が少しずつ動き出す。
店主は焼きあがったパンを並べながら、配達用の袋を準備する。
喫茶リヒトへ届ける分も、いつもの場所にそっと置く。
あの店の朝も、きっとこのパンの香りとともに始まるのだろう。
そんなことを思いながら、店主はコーヒーをひと口すする。
カウンターの向こう、赤く染まった空が少しずつ白んでいく。
開店の時間。扉のベルが小さく鳴り、常連の客が入ってくる。
「おはようございます」
まだ眠たげな声に、店主は笑顔でうなずく。
焼きたてのクロワッサンを手にしたお客の頬が、ふっと緩む。
その笑顔を見るたび、店主は小さな安堵を覚える。
パンを焼くことも、届けることも、特別なことではない。
ただ毎日、同じように、変わらずに。
けれどその「変わらなさ」が、誰かの一日を始める合図になる。
今日もまた、パンの香りが街に朝を知らせていく。
