その背中を、追いかけて——弟を乗せて、姉を見守る午後
ベビーカーの中で、陽潤(はるん)がぐずりもせずに手すりを握っていた。
朝陽(あさひ)はすでに自転車にまたがり、出発の合図を待っている。
——よし、今日は、このふたりを連れて交通公園へ行こう。
1週間前、朝陽とふたりでこの場所を訪れたとき。「身体が覚えてるよ」という僕の言葉どおり、朝陽は見事に自転車を乗りこなし、交通公園をぐるぐる回っていた。
カーブも信号も、もう怖がることはない。スピードを調整して、曲がるタイミングもつかんでいる。あの日、僕は確かに思った。
——もう、ここには朝陽が僕の手を必要とする道はないな、と。
だからこそ、今日は陽潤も連れてきた。
もちろん、朝陽が初めて補助輪なしで挑戦したあの日なら、ベビーカーを押しながら付き添うなんて、現実的ではなかった。転びそうになった瞬間、咄嗟に手を伸ばせるように横について走る必要があったから。
けれど今は違う。
僕がいちいち横についていなくても、朝陽はひとりでちゃんと走れる。何かあっても、自分で立て直せる力がある。
その成長が、弟を連れてこれる理由になった。
「じゃあ、行ってきまーす!」
ピンクの自転車が、風を切るように走り出す。
僕は、後ろから陽潤を乗せたベビーカーを押して追いかける。交通公園の中では、自転車と歩行者がそれぞれのコースを回れるように設計されているから、無理なく見守ることができる。
朝陽がスピードを出す直線ゾーン。
それを見て、陽潤が「あー!」と声を上げた。
小さな手が、前方の姉を指さしている。
「すごいね、朝陽おねえちゃん。かっこいいね」
僕がそう声をかけると、陽潤はニコッと笑った。言葉にならない表現の中に、確かに“刺激”を受けているのがわかる。
姉の背中は、弟にとっていちばんの教材だ。
ベビーカーを押しながら歩いていると、いろんなことに気づく。
たとえば、前は危なっかしかったカーブも、今は余裕をもって曲がっている。坂道の前でスピードを調整し、緩やかに上っていく様子。交差点では、しっかりと左右を確認してから進む習慣もついていた。
「すごいな……もう、“練習”じゃないんだな」
ひとつひとつの動きに、安心が宿っていた。もう、交通公園の中で僕が朝陽を助けなければならない場面は、おそらくひとつもない。
そのことに、ふとした嬉しさと、ほんの少しの寂しさが混じった。
陽潤は、終始ごきげんだった。
ベビーカーに乗ったまま、姉を目で追いかけたり、前を通り過ぎるたびに「あ!」と叫んだり、まるで「次は自分の番だ」とでも言いたげな様子だった。
「まだもうちょっとかかるけど、陽潤もそのうちね」
そう声をかけながら、僕は思った。
——こうやって、姉の背中を見ながら育つんだな。
——姉の成長が、弟の刺激になって、弟の存在がまた姉を強くする。
家族って、不思議なリレーみたいなものだ。
誰かが先にできるようになる。それが誰かにとっての希望になっていく。そして、希望を見せたほうも、「見られている」ことでまた背筋が伸びる。
朝陽は、1時間ほどで何周もコースを回ってから、ふと立ち止まって僕の方へ戻ってきた。
「パパー、陽潤は退屈してない?」
「全然。ずっと朝陽のこと見てニコニコしてるよ」
「そっか。じゃあ、あと2周して終わりにするね」
その“自分で終わりを決める”という言葉に、僕はまたひとつ成長を見た。
“もっとやりたい”気持ちもあっただろう。
でも、“弟もいる”という全体を見た判断だったのかもしれない。
交通公園を2周し終えると、朝陽は自転車を下りて、僕の横に並んで歩きはじめた。
「陽潤、がんばってた?」
「うん。いい子にしてたよ」
「えらいな〜。今度、自転車貸してあげよっか」
その言葉を聞いて、陽潤はなぜかうれしそうに「あー!」と叫んだ。
家に帰る道すがら、ベビーカーを押す僕の横で、朝陽が歩いていた。歩幅を合わせてくれることが、なんだかとても嬉しかった。
小さな子どもを連れていると、「先回りすること」が必要になる場面がある。逆に、「後ろから支えること」もたくさんある。
でも、こうして“横に並ぶ時間”を過ごせるようになると、「育つって、こういうことかもしれないな」と思える。
手がかからなくなるのが、成長ではない。どんなスピードでも、隣で一緒に歩けるようになることが、成長なんだ。
帰宅後、3人でそのままお風呂へ。
湯船に浸かりながら、朝陽が言った。
「今日、陽潤と一緒に行けてよかった。なんか、うれしかった」
「パパも嬉しかったよ。ふたりが一緒にいてくれる時間、宝物みたいだった」
「陽潤がさ、大きくなったら、いっしょにこげるかな?」
「うん、きっとね。そのときは、朝陽が見てあげてね」
「うん、まかせて」
いつか本当に、ふたりが並んで自転車をこぐ日が来るのかもしれない。そのとき、僕はどこを歩いているんだろう。後ろから見守るのか、横で並走するのか。もしかしたら、見送るだけの日が来るのかもしれない。
でも、どんなときも——
僕の中には、今日のような日が、ずっと残り続けるんだと思う。
姉の背中を見つめる弟。
弟を乗せて、姉を見守る僕。
それぞれが、それぞれのスピードで進んでいた。
その午後の光の中で。
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