その人を止めているのは、大きな壁ではない——頭の上の小石を取り除くために、人事ができること
オフィスで、仕事をしていた。
パソコンに向かって資料をつくり、時々Slackを確認する。
少し離れたところでは、何人かが打ち合わせをしていた。
「それなら、こっちの進め方の方がいいかもしれませんね。」
「一度、先方に確認してみます。」
そんな会話が聞こえてくる。
別の場所では、黙々とパソコンに向かっている人がいる。
誰かに相談している人もいれば、少し難しい顔をして画面を見つめている人もいる。
いつもと変わらないオフィスの風景だった。
それぞれが自分の仕事を持ち、それぞれの役割を果たそうとしている。
その様子を眺めながら、ふと不思議な感覚になった。
みんなの頭の上に、小さな石が乗っているように見えた。
もちろん、本当に石が乗っているわけではない。
僕の頭の中に浮かんだ、ただのイメージだ。
大きな岩ではない。
その人を完全に押し潰してしまうような、重たいものでもない。
少しだけ気になる。
動こうとすると、わずかにバランスを崩す。
前を向こうとすると、その存在を思い出してしまう。
そんな小さな石だった。
たとえば、「自分には、まだ早い。」という思い込み。
「失敗したら、どうしよう。」という恐れ。
「以前、うまくいかなかったから。」という過去の記憶。
「自分は、こういう人間だから。」と、いつの間にか自分で決めてしまった限界。
誰かから言われた、何気ない一言かもしれない。
自分よりも活躍している人を見て、勝手に感じた劣等感かもしれない。
あるいは、周囲の期待に応えようとするあまり、少しずつ積み上がってしまった不安かもしれない。
一つひとつは、小さなものだ。
それがあるから、仕事ができないわけではない。
日常生活を送れなくなるわけでもない。
目の前の業務は、ちゃんと進められる。
頼まれたことにも応えられる。
周囲から見れば、何の問題もないように見える。
でも、その人がもう一歩前へ出ようとしたとき、その小石が邪魔をする。
「やってみたいです。」
そう言いかけて、やめる。
「僕は、こう思います。」
そう伝えようとして、周囲の顔色を見る。
「この仕事を任せてください。」
そこまで言葉が出かかったのに、最後には、「必要であれば、やります。」という表現に変わる。
たった一つの小石が、その人の突き抜ける瞬間を少しだけ遅らせている。
そんな気がした。
以前、ある人と話していたときのことを思い出した。
その人は、十分に力のある人だった。
周囲の状況をよく見ている。
相手が困っていれば、自然に手を差し伸べられる。
仕事も丁寧で、任せたことは最後までやり切る。
僕から見れば、もう少し大きな役割を担ってもいい人だった。
「次は、どんなことをやってみたいですか。」
そう聞いた。
少し考えてから、その人は答えた。
「今の仕事を、ちゃんとできるようになりたいです。」
「今も、十分できていると思いますよ。」
「いや、まだまだです。」
「何ができるようになったら、“できている”と思えますか。」
そう聞くと、その人は黙った。
しばらく考えてから、小さな声で言った。
「分からないです。」
「分からない?」
「はい。自分でも、どこまでいけばいいのか分からなくて。でも、まだ足りない気がするんです。」
その言葉を聞いたとき、僕は少し苦しくなった。
向上心があることは、素晴らしい。
自分はまだまだだと思えるから、人は学び続けられる。
できているつもりになった瞬間に、成長が止まってしまうこともある。
ただ、「まだ足りない」という感覚が、自分を前に進める力ではなく、自分に許可を出さない理由になってしまうこともある。
もう次へ進めるのに、進まない。
十分な力があるのに、自分にはないと思っている。
周囲から期待されているのに、「迷惑をかけるかもしれない」と一歩を引いてしまう。
「もし、今より大きな仕事を任されたら、どうしますか。」
僕が聞くと、その人は笑いながら答えた。
「怖いですね。」
「やりたくないですか。」
「やりたくないわけではないです。でも、自分にできるかどうか。」
「できると分かっている仕事だけをしていたら、できることは増えないですよ。」
少し強い言い方だったかもしれない。
その人は、黙って僕の顔を見ていた。
僕は続けた。
「もちろん、無責任に任せたいわけではありません。困ったときには一緒に考えます。ただ、今のあなたに足りないのは、能力よりも、自分に対する許可なのかもしれないと思っています。」
「自分に対する許可、ですか。」
「自分が前に出てもいい。失敗してもいい。助けを求めてもいい。まだ完璧ではない状態で、次へ進んでもいい。そう自分に言えるかどうかです。」
その人は、すぐには答えなかった。
「難しいですね。」
そう言って、少しだけ笑った。
その場で何かが劇的に変わったわけではない。
翌日から急に積極的になったわけでもない。
人は、一度話しただけで変わるほど単純ではない。
それでも、しばらくしてから、その人がこれまでとは少し違う仕事に手を挙げた。
「やってみてもいいですか。」
その一言を聞いたとき、僕は嬉しかった。
ただ、そのときも僕が何かを変えたとは思わなかった。
僕がその人の小石を取り除いたわけではない。
「あなたの頭には小石が乗っていますよ。」
そう伝えただけなのかもしれない。
その存在に気づいた本人が、自分の手でそっと取り除いた。
僕にできたのは、そのきっかけをつくることだけだった。
人事の仕事をしていると、制度をつくることがある。
評価制度を考える。
研修を企画する。
採用をする。
配置を考える。
面談をする。
働き方を整える。
どれも大切な仕事だ。
でも、制度だけで人が突き抜けるわけではない。
研修を受けたからといって、翌日から別人になるわけでもない。
会社がどれだけ機会を用意しても、本人が一歩を踏み出さなければ何も始まらない。
最後に自分を動かせるのは、自分だけだ。
これは、冷たい言葉にも聞こえる。
「結局、本人次第です。」
そう言ってしまえば、会社や上司や人事が責任を手放すための言葉にもなる。
僕は、そういう意味で「本人次第」と言いたいわけではない。
小石を取り除けるのは、本人だけだ。
でも、その人が小石の存在に気づくための機会は、周囲がつくれる。
安心して話せる時間をつくる。
自分の考えを言葉にする問いを投げる。
少し背伸びをすれば届く仕事を任せる。
失敗しても、もう一度挑戦できる環境を整える。
「あなたならできる」と、根拠を持って伝える。
結果だけではなく、踏み出した一歩を見る。
誰かと比べるのではなく、その人が昨日より少し前へ進んだことを伝える。
それが、人事としてできることなのだと思う。
小石を無理やり取ってはいけない。
本人が大切に抱えているものかもしれないからだ。
失敗への恐れは、過去に大きく傷ついた経験から生まれたものかもしれない。
人前で意見を言えないのは、以前、勇気を出して話したときに否定されたからかもしれない。
新しい仕事を避けるのは、怠けているからではなく、「期待に応えられなかった自分」を見るのが怖いからかもしれない。
周囲からは小さな石に見えても、本人にとっては、自分を守ってきた大切な石であることもある。
だから、勝手に取ってはいけない。
「そんなこと、気にしなくていいよ。」
「もっと自信を持てばいい。」
「考えすぎじゃない?」
そんな言葉で簡単に片づけてはいけない。
気にしなくていいと言われて、気にしなくなれるなら、最初から悩んでいない。
自信を持てと言われて持てるなら、誰も苦労しない。
人事がすべきことは、その人の頭の上に手を伸ばし、勝手に石を投げ捨てることではない。
「そこに、何か乗っていませんか。」と問いかけることなのだと思う。
「本当は、どうしたいですか。」
「何がなければ、一歩を踏み出せそうですか。」
「できないと思っている理由は、本当に今も変わっていませんか。」
「もし失敗しないとしたら、何を選びますか。」
「誰の許可があれば、動けますか。」
そして、最後に伝える。
「その許可は、自分で出してもいいんですよ。」
答えを与えるのではない。
本人が、自分の中にある答えを見つけるまで待つ。
時間がかかることもある。
問いを投げても、何も返ってこないこともある。
せっかく機会をつくっても、手を挙げないこともある。
そのたびに、人事として無力さを感じる。
もっと強く背中を押した方がいいのだろうか。
こちらから役割を与えた方がいいのだろうか。
環境を変えた方がいいのだろうか。
そんなことを考える。
でも、誰かの人生を代わりに歩くことはできない。
こちらが正しいと思う方向へ、無理に連れていくこともできない。
僕にできるのは、きっかけをつくること。
問いを置くこと。
機会をつくること。
そして、その人が自分で小石を取ろうとしたときに、手を伸ばせる距離にいることだ。
オフィスを見渡す。
楽しそうに話している人がいる。
難しい顔をしている人がいる。
自信を持って仕事を進めているように見える人もいる。
でも、どれだけ堂々としている人にも、きっと何かしらの小石が乗っている。
もちろん、僕の頭の上にもある。
「もっとやらなければならない。」
「人事なのだから、誰かの役に立たなければならない。」
「期待された以上のものを返さなければならない。」
そんな思いが、自分を前に進めてくれることもある。
一方で、自分を必要以上に追い込んでしまうこともある。
他人の小石は見えても、自分の小石にはなかなか気づけない。
だから、人は誰かと話すのだと思う。
自分だけでは見えないものを、誰かとの対話を通して見つける。
言葉にすることで、その正体を知る。
「ああ、自分はこんなことを怖がっていたのか。」
「もう、この石は持っていなくてもいいかもしれない。」
そう思えたとき、人は自分の手で石を取る。
そして、顔を上げる。
そこから急に走り出す人もいる。
しばらくその場に立ち、初めて見る景色を確かめる人もいる。
別の道を選ぶ人もいる。
どれでもいい。
大切なのは、誰かに動かされたのではなく、自分で選んだということだ。
人事として、僕はそんな瞬間を増やしたい。
一人ひとりの頭の上にある小石を、僕が取り除きたいわけではない。
そもそも、取り除くことはできない。
でも、「もしかしたら、自分を止めているものがあるかもしれない。」と気づく機会はつくれる。
「少しだけ、やってみようかな。」と思える仕事を用意することはできる。
「失敗しても、ここにいていい。」と思える関係をつくることはできる。
そして、その人が自分の手で小石を取り除いた瞬間に、「やっぱり、あなたならできると思っていました。」と伝えることはできる。
人は、本当はもっと突き抜けられる。
今見えている姿が、その人のすべてではない。
少し自信がない人も、慎重すぎる人も、なかなか手を挙げられない人も、その奥にはまだ表に出ていない力がある。
その力を塞いでいるのは、大きな壁ではないのかもしれない。
ほんの小さな石なのかもしれない。
小さいからこそ、本人も周囲も、その存在に気づかない。
今日もオフィスには、いろいろな人がいる。
それぞれの仕事をしながら、それぞれの迷いや不安を抱えている。
僕は、人事としてその姿を眺めている。
誰の頭に、どんな小石が乗っているのか。
もちろん、見ただけでは分からない。
だから、話す。
問いを投げる。
機会をつくる。
そして、待つ。
最終的に小石を取り除くのは、その人自身だ。
それでも、自分の頭に小石が乗っていることに気づくきっかけくらいは、僕にもつくれるかもしれない。
その人が、自分でも想像していなかったところまで突き抜けていくために。
僕は人事として、そんなきっかけを創出していきたい。
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湯鶴の裏方より
スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。
たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。
▼おみくじをつくった背景については、こちらにまとめました。
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