わかっていても、できない日もある——それでも向き合う日常の中で

「わかったよ」

そう言ったのは、朝陽(あさひ)だった。まだランドセルの角に手をかけたまま、顔を少し背けながら。

でも、その「わかった」は、きっと“わかってない”という合図なんだろうなと、僕はもう気づいていた。

ここ数日、朝陽を叱る場面が続いていた。

「今、何て言ったっけ?」
「それ、前にも言ったよね?」
「なんで、また同じことを……」

そんな言葉を、何度口にしただろう。朝陽はそのたびに「ごめんなさい」「わかった」と答える。でも、数時間もすればまた繰り返す。

叱って、仲直りして、また叱って——。

気づけばそれを2〜3回、同じ日に繰り返していた。朝陽の中に“わかってる”はあっても、“できる”が追いついていないのかもしれない。だけど、親である僕の中には「なんで、さっき言ったことができないの?」という苛立ちが積もっていく。

そして、ある日の夕方。リビングで再び同じことで注意したとき、僕はもう疲れきっていた。

「もう、ほんとに、どうでもよくなっちゃうよ」

言ってしまったあと、自分でも胸の奥がざらりとした。叱る言葉じゃない。責めるでも、正すでもなく、ただ放り出したような——。

朝陽は何も言わず、ただ静かに泣き出した。

ポロポロと涙が落ちる音が聞こえてきそうなほど、無音の時間が流れた。

僕は、その場にしゃがんで、そっと朝陽を抱きしめた。

「……ごめん。パパ、ちょっと疲れちゃった。でもね、わかってほしいことがあるんだ」

朝陽の頭に手を添えながら、言葉を選ぶ。

「朝陽が、もし仮に“悪い子”になったとしても、パパはずっと味方だよ。でも、周りの人たちが“応援したくなる子”になれたら、それってきっとすごくいい人生になると思うんだよね」

朝陽は小さく頷いた。まだ涙は止まらない。

「だから、パパは叱ることもあるんだ。朝陽が誰かに応援されて、幸せに生きていけるようにね」

朝陽の泣き声が、少しだけ大きくなった。

だけど、それはきっと、心に届いた証だと思った。

「わかった」

その言葉は、さっきの「わかった」とは、少し違っていた。

その夜は、少しだけ一緒に布団に入って、朝陽の手を握ったまま眠った。

何も話さず、ただ「ここにいるよ」と伝えるように。言葉よりも、そばにいるという感覚を大事にしたくて。

眠りに落ちる直前、朝陽がポツリと言った。

「パパ、いつもありがとう」

その声に、胸が詰まりそうになった。

ありがとうを言うのは、こっちなのに。

陽潤(はるん)の方はというと、最近ぐんぐんと成長している。

表情がとにかく豊かで、「これ楽しい!」「これイヤ!」という感情が全身から伝わってくる。言葉はまだ話せないけれど、「あー」とか「うー」とか、何かを伝えたい気持ちは確実に増してきている。

最近は「ぱぱ、ぱぱ、ぱぱ」と言うようになった。

意味は、まだわかってないだろうな。でも、名前のように口にしてくれるその響きが、なんだかうれしい。

仕事から帰ってきて、玄関を開けた瞬間、「ぱぱー!」と走ってくる朝陽の声と、奥の方から聞こえる陽潤の「ぱぱぱ!」の声。どちらも僕にとっては、何よりの癒しだ。

陽潤を抱っこしていると、小さな手が僕の耳をつまんだり、髪を引っ張ったりする。

「こらこら、痛いよ〜」

なんて言いながらも、つい笑ってしまう。

言葉のキャッチボールはまだできないけれど、表情や仕草で会話をしているような感覚。

そのひとつひとつが、日々の宝物だ。

僕は今、朝陽と陽潤の“間”にいる。

小学生と、1歳児。言葉が通じる子と、通じない子。でも、どちらも僕にとっては、同じくらい大切で、同じくらい成長の途中にいる。

朝陽には、「なぜそれをやってはいけないのか」「どうして叱られるのか」を、言葉で説明できるようになってきた。

でも陽潤には、説明も通じない。笑うか、泣くか、拒否するか、抱きついてくるか。その反応だけが、今のすべてだ。

——だからこそ、僕は考える。

どう接するのがいいんだろう?
どう声をかければ、伝わるんだろう?
どうしたら、傷つけずに導けるだろう?

正解は、ない。

マニュアルも、ない。

ただ毎日、目の前の子どもたちと向き合いながら、僕自身が「どんな親でいたいか」を問い続けている。

親って、こんなにも不器用で、こんなにも心が揺れるものなんだなと、今になって思う。

子どもの言動にいちいち傷ついたり、喜んだり、悩んだり。

叱ったあとに後悔したり、寝顔を見て涙が出たり。

でも、そんな揺らぎの中にこそ、「ちゃんと向き合っている証」があるんじゃないかと思う。

朝陽も、陽潤も、僕を試しているわけじゃない。ただ、彼女たち・彼らなりに、この世界を生きているだけだ。

わかっていても、できない日がある。

何度も失敗する日がある。

でも、そういう日も含めて、「それでも信じて向き合ってくれる存在」がいること。それが、子どもにとっての“安心”なんじゃないかと、最近は感じている。

夜、陽潤を寝かしつけたあと、キッチンで片付けをしていると、朝陽がトコトコとやってきた。

「パパ、今日もありがとう」

ああ、今日もまた言ってくれるんだな、と思った。

「こちらこそ、ありがとう」

そう返して、朝陽の頭をなでた。

言葉にできないこともある。うまく伝わらない日もある。

でも、毎日の繰り返しのなかで、それでも僕たちは少しずつ通じ合っている。

——そんな気がした。

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湯鶴の裏方より

このnoteでは、湯鶴というひとりのパパの日常をもとに、仕事・育児・人生にまつわる物語を綴っています。

無料物語では、子どもとの時間で考えたことや、仕事をする中で考えていることなど、毎日のなかにあるささやかな気づきを描いています。

でも実は——
誰にも言えなかったことや、少し勇気がいるようなことは、有料物語で綴っています。

湯鶴がこれまで向き合ってきた葛藤や選択。
その背景には、言葉にならなかった想いがあります。

僕は、湯鶴の“裏方”として、そのひとつひとつを記録してきました。

有料物語は1本100円。
ですが、マガジン(500円)を購読していただければ、これまでに公開された有料記事も、これから追加される物語もすべてお読みいただけます。

子どもを育てること。
働き続けること。
自分のままで在り続けること。

どれかひとつを選ぶのではなく、どれも大切にしていきたい。うまくできない日があっても、それでも今日を重ねていく。そんな湯鶴のまなざしと向き合いながら、言葉を編んでいます。

もしも、どこかで心に触れる瞬間があったなら、マガジンをのぞいていただけたら嬉しいです。

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スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。

たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。

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