早起きは三文の徳、なんて、誰が決めたんだろう

「早起きは三文の徳」——昔からよく聞く言葉だけど、その“三文の徳”って、具体的に何なんだろう。

僕はずっと、そう思っていた。

だって、早く起きても眠いし、寒いし、徳どころか損ばかりじゃないか、なんて。
でも今は、その考えが少し変わった。
いや、「何が徳か」に気づくようになったのかもしれない。

午前4時。僕の朝はそこから始まる。
スマホで短編小説を書く。頭の中に浮かんだ言葉たちを、一つひとつ拾い集めていく。
家族が眠っている静けさの中、自分の声がいちばんよく聞こえる時間だ。

書くことに限らず、何かに集中できる時間を確保するという意味では、これは誰にとっても“徳”になるだろう。
日中にそれをやろうと思えば、通知が鳴る。子どもが話しかけてくる。会議がある。仕事が降ってくる。

静かな時間の確保。それが、ひとつ目の徳。

朝食の支度、夕飯の仕込み、洗濯、ゴミ出し。
家族の一日を支えるための家事を、朝のうちに終えておく。
何かを「やらなきゃ」と思いながら仕事をしたり、子どもと接するのは、案外ストレスになる。
「もう終わってる」という状態で一日を始められることは、想像以上に心に余白をくれる。

これは、二つ目の徳。

そして、子どもたちが起きてくる時間になる。

「パパ、おはよー」
「今日のごはん、なに?」
そんな声に笑顔で応えられる自分がいる。

心に余裕があると、人に優しくなれる。
家族に対しても、部下に対しても、そして何より、自分に対しても。

これが、三つ目の徳。

つまり、早起きがもたらす“徳”とは、目に見える報酬ではないのかもしれない。
誰かに褒められることもなければ、昇給するわけでもない。
だけど、心の中には確実に残る。

——静けさ。
——余白。
——ゆとり。
——誰かのために何かを準備できる時間。
——自分と向き合うための、余計な音のない時間。

「報酬」や「成果」を、外から与えられるものだと定義すれば、早起きは損だと思うかもしれない。
でもそれが、自分の内側に積み重なる“感覚”や“習慣”だとしたら、早起きはたしかに、徳そのものだ。

何を“徳”とするかは、人によって違う。
けれど、何かを「整える時間」があること。
その時間があるという事実そのものが、現代ではとても贅沢なことなんじゃないだろうか。

朝の静けさの中で、短編小説を投稿する。
その行為もまた、僕にとっては心の整理であり、誰かとの静かなつながりだ。

——今日も、いい一日になりますように。

まだ外が明るくなる前に、僕はそう祈る。
三文の徳は、人それぞれ違っていい。
気づけるかどうか、それだけの違いなのかもしれない。


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