祖父との文通はFAXだった。
FAXついたか?よめたか?
祖父はいつでも確認の電話をしてくる。新しい文明の利器は、当時60代の祖父を興奮させた。
あれはわたしが何歳だったのだろうか。家庭用FAXはやかましい音をたてて、祖父の達筆な孫へのラブレターを吐き出していた。
今は平成の遺産となっているかもしれない。現にわたしの娘たちは生のFAXが使われているのを見たことがない。
おじいちゃん、それじゃFAXの意味ないよ。
くすくすと笑いたい気持ちをこらえて、着いたよって電話で返事をした。
まだ若かりし祖父は、いつでもわたしの喜ぶことが一番で、孫との文通を心から喜んでくれていた。
「元気か?」「学校は楽しいか」「友達はできたか」
そんな言葉をファックスででかでかと書いては送ってきてくれていた。
そして必ず「確認」の電話をする。
祖父は自分たちが元気かということより、いつもわたしたちの体のことを気をつかってくれていた。
亡くなる1か月前にわたしと話した最後の電話が「からだに気をつけるんやで」だったんだから。
気づけば、そんなファックスがわたしたちの家にたまった。
わたしははじめ、FAXというものからカタカタと流れてくる祖父の丁寧な文字がめずらしくて嬉しくて、慣れない文字を一生懸命書いた。
げんきだよ。おじいちゃんも元気?
学校ではともちゃんとなかよくなったよ。
初孫だったわたしは、いとこの中でも思い入れがあったのだと思う。
たばこを何回言ってもやめない祖父は、いつも換気扇の下でたばこをすっていたので、ステテコにもしなびた白シャツにもしっかりとたばこのにおいがしみついていた。
たばこのにおいは祖父のにおいだった。
祖父のひざはわたしたちの特等席だった。将棋も好きだった祖父だが、さすがに将棋自体のルールを幼いわたしたち姉弟が一緒にするのは難しいと思ったんだろう。つみきくずしのように将棋の駒を積み上げて、それを1枚1枚抜いてくずれたら、わきをくすぐられる。
弟と競い合うように、祖父に甘え、ひざを「ずるい!」と取り合った。
わりと大きくなるまでふたりともひざに乗っていたのではないか。重たかったろうに、いつもにこにこして嬉しそうだった。
世界でいちばん優しい人だった。
一度好きといったお菓子をずっと出してくれる祖母が、にこにことビスコを持ってきてくれる。
なんて甘い記憶なんだろうか。
「おじいちゃん、もうファックスいらないよ。わたしも、学校忙しいしさ」
「…そうか」
小学生の低学年だったろうか、いやもう少し大きかったかもしれない。あの寂しそうな声を通り過ぎてしまうのではなかった。
年に2回は帰省していたが、わたしたちが地方に引っ越したこともありめっきり会う回数も減ったのだ。
FAXを送り、電話をして孫の声をきく。
わたしが思うよりもっともっと、祖父には大きな意味があったのだ。

わたしの帰りたい場所は、あの甘い場所かもしれない。
無条件に自分が受け入れられ、やさしい眼差しで見つめられる場所。
どんな自分でもいいのだ、受けとめてもらえるのだと思える場所。
どんなにわがままを言っても「いいんだよ」とうなずいてもらえる場所が。
大人になると、思ったより肩に力が入ったまま生きていることに気が付く。
ねえ、おじいちゃん。
もう一度だけ、「わたしは元気だよ」って伝えさせてほしい。
がんばってるよ。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。。
6月の祖父の命日に間に合ってよかったです。
#わたしの帰りたい場所 へあてて。

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