【note】小説家もエッセイストも望まないのに、書き続けるのはなぜか。
なぜだろう、わたしは【存在する理由】がほしかったからだろうか。
毎日更新は525日を機にやめた。
これは宣言して、そのとおりにした。やめた理由を記事にして多くの方に読んでいただいた。
でも続けている。
マイペースに。途切れることなく、発信軸は変化させながら。
noteはもちろん、毎日じゃなくって全然よかった。いつでもそこにいた。アプリをひらけば、お友達が書いている。(勝手ながらそう呼ばせていただいている。)
お友達じゃなくても、大好きな書き手さんがいる。
毎日更新はしないけど、しなくても、書く。
途切れさせることないから、きっとこの人いつもnoteにいるなーって思われている。(よかった)
プロになるわけじゃない。小説家もエッセイストも目指しているわけじゃない。
じゃあなぜ書き続けるのか。
noteの創作大賞からはいつも見ていたnoterさんが作家としてデビューしたり、夢が広がる。
noteの波は普段穏やかなのに、わたしは創作大賞の時期は、そのムードにすっかりやられてしまう。そんなへっぴり腰は、プロになろうと努力することにはきっとあまり向いていないでしょう。
小説を書いていることも同じだ。趣味として書いている人もいれば、創作サイトで順位がつけられる中で作品を投稿している人もいる。読んでほしい熱意がびりびりと伝わる。
圧倒され、気後れする。わたし、ここまでできない。
正直気後れして、もどかしい。わたしはのほほんと書いて、たまに有料noteを書くだけで精いっぱいだ。
まあ、本音はわたしひとりが生活の大黒柱なのに、作家を目指すの!なんて言っている場合じゃないからだ。すぐにお金を定期的に稼がないといけない。
じゃあ、何でコンテンツで発信を続けているのだろうか?
何かしらの受賞、公募で選ばれたいから?やっぱり生計の一部でも書くことで得たいから?
受賞してプロになるなんて、どれだけ遠い道のことだろう。もちろんプロになりたい人はそれも込みで考えていることだろう。
悲しいかな、才能の一面もある。目指し続けられることに、尊敬の念しかわかない。
じゃあわたしは書くことへの熱量がたりないのか?うーん、わからない。
同じnoteで書いていても、みんな環境が違ってやれることが違うのは当たり前なんだけど。結果を出せてない自分にずっと焦っているのかもしれない。
特段、受賞歴もない。一次選考どまりが多いし、そもそもそれすらないことも。
ああ、そうか。自分を認めてほしい?
存在の証明か?
読まれれば、スキやたコメントが増えれば、受賞の数が増えれば。
自分の存在がそっと誰かに肯定されるから。うん、当たり前だ。立派な成果、結果だもの。
書いていることは孤独だ。でも、noteの場で仲間ができて、交流するうちに、「書く」ことが孤独でなくなった。
気づいたら、自分自身が抱えていた日常の「こどく」の部分が小さくなった。
書いて昇華していたからかもしれないね。仕事で無力感を感じることが多くてひねくれていたわたしが、「大丈夫」と自分にも他人にも言えることが増えた。
実はね、noteを書き始めたくらいからなんだ。気持ちを言葉に置き換えて発散できるようになったから。
感情の言語化、って難しく言わなくても、そう、言葉にしておくことってすごく人間の理性にとっても大事なんだなって思っている。
いつまでかわからない。
noteってやめどきがないから。書くことが毎日、になると日常の一部になる。
そしてそれを、わたしはとても愛している。
プロにならなくても。収益化できなくても。受賞できなくても。意味はそこにないのかもしれない。そんな甘い道じゃないから。
わたしは正直、まだまだ表現が陳腐でくやしいけど。自信をなくすことは多々だ。
わたしの毎日はここにあるんだって叫んでるのかもしれない。
プロにならなくても、あなたがnoteを書き続ける理由はなんですか?夢をえがいている先があるからですか?
今日もお付き合いいただきありがとうございます✨

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