いつの間にか生活の一部になったnote
実は、
この一年は
私にとって穏やかに呼吸をすることさえ難しい時間だった。
10年かけて関係を育んできた人がいた。
その相手から、
心のない、尖りきった言葉で
終わりを告げられた。
一方的に。
一緒に描いてきた未来もあった。
何気ない日常も、
小さな約束も、
積み重ねた時間も。
当たり前のように続いていくと、
信じていた。
けれど。
相手には、
私には知らされていなかった事情や、
環境の変化、
心の揺らぎがあったのだと思う。
まるで、
それまでの二人の10年が
最初から存在しなかったかのように、
静かに切り離された。
重くのしかかる問いだけが残った。
どうして。
なぜ。
その日から、
理由もはっきりしないまま、
私は一年を過ごすことになった。
毎日生きることが苦しく、
それでも問いを抱え続けながら。
しばらく、何も書けなかった。
日記すら。
発言することさえ、
やめてしまいたいと思う日もあった。
言葉は、
人の心を深く傷つける。
その威力を、思い知った。
同時に、
言葉は人を救うこともあると、
その後再確認した。
このノートを教えてくれた友人が、
綿のようにやわらかい言葉で、
少しずつ、少しずつ、
傷んだところに触れてくれた。
強く引き上げるのではなく、
ただ、あたたかく包むように。
その時間の中で、
私はもう一度、言葉に触れはじめた。
内省すること。
自分の心を静かに見つめること。
そして、
誰かの文章に触れること。
丁寧に綴られた言葉の向こうにある世界に出会うたび、
自分の毎日の見え方が少しずつ変わっていった。
同じ朝なのに、
少しだけ色が違う。
同じ出来事なのに、
奥行きを深く感じる。
私は今日も、
画面の向こうで、
自分の内側と、誰かの世界に出会っている。
それが、
思っていたよりずっと、
私の日常を
静かで、味わいのある時間にしてくれている。
穏やかな心地よさ。
これが幸せなのだと、
静かに噛みしめている。
