奈良と京都の宮殿を巡る旅【2024-4】❻三輪山の神秘部と卑弥呼の古墳と山辺の道
京都から再び奈良へ戻る(何だかなぁ)
この前日は京都駅前のホテルに泊まっていまして。
(親切にもホテルも飛行機も全部姉が予約したゆえ、奈良は軽視される結果になったようです←ちょっと嫌味モード苦笑)
姉と姪っ子は京都観光。私は一人再びの奈良です。
実は「奈良に旅行」と誘っておきながら、蓋を開けたら奈良1泊(しかも初日は移動のためほぼ回れず)、京都2泊の京都旅行になっておりまして。
ちょっとケンカして、1日別行動することになったのです(笑)

奈良線 7:15京都駅発 奈良8:21着に乗ります。
前夜1時間かけて奈良から京都に来てホテルに泊まり、
朝早く京都を出て1時間かけて奈良に行くという(ほんとはめんどくさい)

桜井線王寺行に乗り換えます。
8:38に奈良駅を出て9:02に三輪駅に着きます。

ここから徒歩15分ほどで大神神社に行けるのでアクセスはとても良い。

神主さんや巫女さんが忙しそうに歩き回っていました(*^_^*)

少彦名神を祀ります。
朝のおかげか、めちゃくちゃ気がいい。
三輪山の登山口はこの道を10分ほど歩いた先にある狭井神社境内にある。
念願の三輪山を登る

こちら狭井神社はご神体の三輪山のあしもとにあるためか、
めーーーちゃくちゃ気持ちいい(笑)

色々と禁止事項などもあるため、しっかり説明を受ける。
神社から叱られるとかではなく、
めちゃくちゃ怖い三輪山の神様に叱られるらしい(怖い気はしませんでしたが)


あの注連縄を潜って階段を上って行きます。
登山用の杖があったのですが、邪魔になるかもと持たずに行きました。
ひとつだけお伝えします。
「あったほうがいいよ」
(山で見聞きしたことや山の様子は他言無用なのですが、せめてそれだけは伝えさせてもらいます笑)
9:40頃 登山開始し、11:30降りてきました。
2時間から3時間みたいなことを読んでいたので、それくらいのスケジュールでいたのですが。2時間かかりませんでした(苦笑)

飛鳥から平城京へ続く古代最古の道
日本史上(記録上)最古の道、日本現存最古の道として知られる。
奈良盆地の東南にある三輪山の麓から東北部の春日山の麓まで、盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に走る。
古代、最古の、道。えっも!!
歩きたい一択。
全部歩きたいけれど、大神神社から箸墓古墳に向かう道あたりまで歩くことにします。
大神神社→檜原神社→兵主神社(相撲神社)→箸墓古墳
を巡る予定。檜原神社は山辺の道沿いにありますが、ほかのふたつは道から15分とか20分ほど歩きます。

んーーと、どこかで見た覚えが…
高尾山1号路登山口にあった看板!

たいして中身を読まずに高尾山フォルダーに保存してた。
拡大してみた↓
たしかに「山辺の道」とある~。知らずに東海自然道を歩いている。
(お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、コンプリートしたくなる癖がありまして。やば)

それでは途中からだけれど、大海人皇子(推し)が通ったかもしれない(その時代には存在していた)山辺の道を歩くぞぉ。
(あまりにも楽しかったので、別でレポート書こうかな笑)

えっと、不安しかない。なんか、なんか。
(ここで大丈夫?と思っていたけれど、次々とハイカーさんたちに会い、安心する。

何かお店がある(山辺の道を歩き始めてまだ5分笑)

目の前にこんなにもおいしそうな「花もり野菜膳(そーめん付)」が!
(山辺の道 花もりさん)
元伊勢の檜原神社と相撲発祥の地 相撲神社などを巡る


元伊勢として知られる「檜原神社」到着。
途中で玄賓庵(げんびあん)や修行場?のような場所も見学。
長くなるので割愛しますが、とても風情があるの。

宮中に祀られていた天照大神をこのようなところに留めていては祟りがある的な(表向き)理由から崇神天皇は娘の豊鍬入姫命に命じて、天照の新たなる御鎮座の宮を見つけるたびに出させます。
その最初の候補地がこちらだった、ということ。

諸説あるけど、これも掘り下げたいテーマです(*^_^*)

神社のまん前に「檜原御休処」と言う名の茶屋がある。
(旅の途中で店を見つけると入る人なんだと思ったでしょ?
正解)

何か文句でも?
一期一会なんだから、食べたいときに食べるのが旅だろうがああ。
(という長い言い訳)

(歩きながら、「待ってくださいよ、大海人様ぁ」とか言いながら馬で追う従者と、
「相変わらず遅いな、先に行くぞ」と爽やかに笑う大海人皇子が浮かぶファンタジー脳)
山辺の道のあちこちに万葉集の歌碑があり、その名前を見てはいちいち、ひゃあああとなる(本人の何かじゃなくて後世に建てた歌碑だっていうのに)

天武の長男で、天武亡きあと、義母の持統天皇時に太政大臣となって彼女を支えた。
高市皇子の長男・長屋王の話とか書きたいけど割愛(笑)

ここから一度山辺の道を右折し、寄り道します~
ここは相撲発祥の地。
そして、埴輪を考案したことでも知られる出雲系の野見宿禰(子孫には菅原道真公)が最初の勝者。
出雲も、「相撲発祥の地」とされて、出雲大社に出雲出身の野見宿禰の社があります。
垂仁天皇の時代、当麻蹴速という、ものすごく強いものと出雲の国に野見宿禰というすごい力持ちがいると聞いた天皇が、天皇の前で力比べをさせようということになりました。このころの相撲は、現在のものとは違い、蹴ってもよかったようです。結局、お互いに足の蹴り合いになり、野見宿禰が勝ちました。これが相撲のはじまりと言われています。
ちなみに古代ローマのコロッセオ的なイメージで、相手が〇ぬまでする勝負のようでした(怖っ)

あんまり宣伝している感じなかったけど、宮跡って、宮殿があった場所のことでしょ?
しかも景行天皇ってヤマトタケルのお父さんでしょ??
扱いが地味じゃない???(祠ちっちゃ!!)
ヤマトタケルや景行天皇のことと纒向に関してはもっと深めたいことがいっぱい。
やっと現地に来れたと胸がいっぱいになるぅ~

ここが、「邪馬台国は奈良」説の舞台なんですよ~



相撲神社は実は兵主神社の摂社。
この、兵主神社こそが、わざわざ登ってきた本当の目的地です(*^_^*)
ではその穴師坐兵主神社へ向かいます。相撲神社からさらに5分ほど奥にあります。結構な山道で、途中にオレンジの畑があり、ほんとうにこっちであっている?と不安になりながら進むと、ありました~

旧鎮座地は「弓月岳」であるが、比定地には竜王山・穴師山・巻向山の3つの説がある。(穴師坐兵主神社 - Wikipedia)
この、弓月です。私のペンネームも遊ぶ月でゆづきですが、弓月は、渡来人秦氏の祖とされる弓月君と同じ。
秦氏は出雲系ともされ、出雲系の野見宿禰が祀られていることもあり、ここと秦氏につながりがあるのでは??と思ってきたのです。

高尾山に登った時に最初に見かけてググって覚えました。
花言葉の友達が多い、私を認めてでなんか切なくなった記憶が(笑)
参拝したくらいでは、秦氏との関りなどわかるはずもなく。
お得意のテロリロリーンと降りてきた話は、ヤマトヒメだった気がするので、秦氏は関係ない感じ。まあ、いっか。先に進みます。
次なる目的地は「箸墓古墳」で、ここは山辺の道を三輪から天理に向かう時に左側に下がっていくとあります。

景行天皇陵に行きたい!
ちょっと寄り道しよっと(一人旅ってまじでいい!)
ちょっと寂しいつわものどもがゆめのあと

ヤマトタケルの祖父にあたる垂仁天皇(相撲発祥させた人)の宮殿。

さびしいいいい。


これからヤマトタケルについて色々調べたいので、よろしくお願いいたします。
さてさて、いよいよ卑弥呼の墓とされる、箸墓古墳に行きます~
ちなみにこのレポートみんな興味ある話題だった?(;^_^A
次
目次
