世界でもっとも孤独なクジラ
sunoで楽曲を作った。
リンクを貼りますが曲の宣伝ではなく、そのモチーフについての記事です。
アイキャッチ画像とタイトルを見れば、知っている人はすぐにわかるかもしれない。
世界で最も孤独なクジラのことを。
一般的なクジラは15〜25Hzの低い周波数で鳴く。ただ、52Hzという高音で鳴く特異なクジラがどこかにいる。
そのため、他のクジラにはその声が届かず、あるいは理解されず、世界で最も孤独なクジラと呼ばれている。
この曲は52Hzのクジラと、大切な人に声が届いた静かな喜びを書いた。
なぜわたしは、52Hzのクジラの話にこんなにも惹かれてしまうのだろう。
本当のところ、そのクジラが孤独だったのかはわからない。
そもそもクジラを、人間の感情で推し測ることはできない。
海の底でひとり泣いていたのか、案外たくましく機嫌良く泳いでいたのか、わたしたちには確かめようがない。
でも、それでも打たれてしまう。
誰の声も届かない深い海。
暗くて広すぎる世界。
たしかに発しているのに、誰にも受け取られない信号。
そういう言葉が並ぶだけで、胸のどこかが静かに反応してしまう。
たぶんわたしは、52Hzのクジラを見ているようで、実際には自分のことを見ている。
ちゃんと話しているつもりなのに伝わらなかったことや、誰かに届いてほしくて出した言葉が、何の反応もなく沈んでいったこと。
あるいは、場に合わせようとして、少しずつ自分の周波数を変えていったこと。
孤独というものは、ただ一人でいることではないのだと思う。
人の中にいても、自分の声だけが少しずれているように感じることがある。
その感覚に、52Hzという数字はあまりにもよく似合っている。
50というキリのいい数字でもなく、52。その少しだけはみ出してしまったような、どこにも馴染めない数字の佇まいが、うまく説明できない孤立感にピタリとはまる。
たった二桁の数字なのに、そこには物語がある。
わたしたちはたぶん、誰かに理解されることはない。
どれだけ近くにいる人にも、自分の深度のすべてを見せることはできない。言葉にした瞬間に失われるものもあるし、言葉にしないまま沈んでいくものもある。
それでも、声を出す。
52Hzのクジラに惹かれるのは、その孤独が美しいからではないのかもしれない。
孤独でも声を出していた、ということに救われるからだと思う。
そんなことを考えながら歌詞を書いた。
けれど、書き終えたいま、わたしはそのクジラが案外楽しくやっていた可能性も捨てきれずにいる。
人間が勝手に「誰にも届かない声」とか「深い孤独」とか言っているだけで、当のクジラは広い海をそこそこ機嫌よく泳いでいたかもしれない。
誰にも理解されていない悲しい存在ではなく、ただ少し変な声で鳴く、おもしろいクジラだったのかもしれない。
わたしは動物がわりと好きなのだが、理由はたぶんそこにある気がする。
人間のややこしい感情や理屈を、どうでもよさそうに生きたり死んだりしているところ。
こちらがどれだけ意味を読み取ろうとしても、動物はその意味の外側、あるいはもっと内側で、食べたり、眠ったり、泳いだりしている。
今日もそのクジラは、人間の孤独を勝手に背負わされることなく、ただ自分の周波数で鳴きながら、たのしく泳いでいるのだろう。
