記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

寄る辺なさのなかで生きている|『あなたの四月を知らないから』を読んで

「引っ越そう、思うねん」と、母は言った。
大学4年生の夏、私が全国転勤のある会社に就職を決めてから、しばらく経ってのことだった。

かつては祖母と3人で住んでいた、古色ゆたかで部屋数だけは豊富な、エレベーターのない団地の5階。私が独立すれば母はその家に一人で住むことになってしまうから、思い切って次の春に出来上がる予定の、新築マンションに移りたいのだという。
団地ここやと職場も遠いし、階段もしんどいし、ローン組むのもこの年齢トシが最後のチャンスやと思うしなあ――。

大きな窓や、まっさらなフローリングや、ぴかぴかのシンクを備えている(と母から聞く)新居へ越すための準備を進める数カ月、私はずっと、うっすら不機嫌だった。思春期に入ってからというものの嫌で嫌で仕方なかった畳と砂壁の自室を引き払って、こぢんまりとした真新しい一室に自分のベッドを置いてもらえるというのに。

当時の私は不機嫌の理由を、せっかく内定を得て遊びまわれると思った矢先に延々と引っ越しの準備をしなくてはいけなくなってしまったせいだ、と自認していたけれど。
本当は、実家という自分の拠り所を失ってしまうような不安ゆえだったのだろうなあ――と、『あなたの四月を知らないから』収録の『大阪城は五センチ』を読みながら思った。

恋人もおらず仕事も冴えない三十九歳の由鶴の支えは一千万円の貯金だけ。家族から家の購入を勧められる中、片思い中の“宇治”とは3月で会えなくなることを知り……。恋・お金・家、彼女が選ぶ人生とは。創作大賞2024(note主催)朝日新聞出版賞受賞作。

https://publications.asahi.com/product/25278.html

そんな風に、十数年前の出来事をつい思い出してしまったのは、たぶん物語の中の会話たちと、「家」の描写が理由だ。地元で慣れ親しんでいたそのものの、あまりに自然な関西弁で、あまりに自然な軽口がすらすらと繰り広げられる、そんなあまりにも関西な舞台の上で描かれるさまざまな「家」たち。

たとえば真新しく、なんだか居場所のない、兄家族と両親との二世帯住宅。たとえば年下の同僚が確固たる意志と計画性で購入した、「未来を描くための紙」としての新築マンション(私は同僚こと多部ちゃんが主人公・由鶴に家を買ったことを告白するときの浮かれたやりとりが、初めて読んだときソファの上で足をバタバタさせてしまったくらい、本当にほんとうに好き)。たとえば旅人のように軽やかな風情の家主・マカロニさんが取り仕切る、いかにも自由で風通しの良い、サブスクリプションで住める家。
それらの家の間をゆらゆらと漂いながら、由鶴もまた、自身がこれから住む家について考え続ける。

引っ越しとは縁のなかった子どものころの私は、幸運なことに、家というものは何があっても揺るぎのない、盤石なものだと思っていた。あの古い団地からいつか離れることを、想像さえしなかった。何があってもそこに帰れば安心だ、と信じてやまなかった。

年を重ねるごとに、実際はそうではない、ということがわかってきた。実家が地縁のない場所に引っ越すことはあるし(私の実家のように)、住む顔ぶれが変わることもある(由鶴の実家のように)。住み慣れた家をやむを得ない事情で手放さなければならなくなることもあるし、そもそも家という空間が必ず安心に満ちた場所かというと、全くそうとは限らない。

かみさま、と、由鶴が唱えるシーンが、物語の中で何度かある。
彼女と同じ気持ちからではないかもしれないけれど、同じように唱えたくなる瞬間が、思えば私にもあるのだった。年を取って、分別がついて、盤石なものなど――家に限らず――何ひとつないということを、生活の中で不意に突きつけられるたび。あまりの寄る辺のなさに身震いしては、思わずそう唱えたくなってしまう。

唱えても答えは返ってこないから、盤石ではまったくないにしろそれに似た幻想を持たせてくれそうなものを、そのあとつい、数えてみる。たとえば家。たとえば家族。たとえば預金通帳に並んだ数字。由鶴もそうなのだろうか。いっせんまんえん、の響きを背骨のように抱きしめて、あまりにも寄る辺なく、あまりにも長い人生を生きようとしていたのだろうか。

そんなふうにだんだん、由鶴のことを他人とは思えなくなってくるから。
物語の終盤、大阪城の最上階で微笑む由鶴、拠り所だった「一千万円の貯金」の一部を目の前に具現化させて、そうっと指でなぞる由鶴の様子は、心からうれしい。
揺るぎないものなんてない人生の中で、由鶴自身も揺らぎながら惑いながら、それでも積み重ねてきたもの。札束の厚みをなぞる指に伝わる感触、仲の良い同僚と桜を見に行く約束、誰かと食べる筍を思いながら楽天市場のカートに入れる七輪。流氷の上に突っ伏すように打ちのめされるように、「この人から好きになられたい」と願ったそのひととの恋がかなわなくともなお、また恋をしたい、何かを慈しみたいと、『ひろびろとした気持ち』で思えるこころ。ありがとう、元気でね、と願えるこころ。

由鶴がいとおしい、と思う。あなたみたいになりたい、とも、ありがとう、とも思う。寄る辺なさのなかで生きるからこそ見えてくるものものを、あなたのように積み上げていきたい、と。
私も、由鶴の四月を知ることはないけれど。彼女が新たな家で始める生活が、豊かでしあわせなものであるように、心から願う。

***

私が東京で社会人生活を開始してから、最初の神戸への帰省。
まったく慣れない家路をたどって新たな実家に帰りついた娘を迎え、母は自慢げにこう言った。
「な、ここやと新神戸駅からめっちゃ近いやろ。あんたが東京から帰ってきやすいやろな、思てここにしてん」

そう言いながら張り切るあまりカレーとステーキを同時に出すような母と、慣れてみればかなり便利かつ愛しの飼い猫のいる家(団地はペット禁止で魚以外の生きものを飼えなかった)を、私はおそらくずっと、愛し続けるのだと思っている。揺るぎないものなどない、と、理性では知りながらも。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集

この記事が受賞したコンテスト