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あのこは貴族、ゆるやかな連帯を愛おしむこと


足腰にはわりと自信がある方だ。通っていた大学が山の上にあり、混雑したバスのにおいがとても嫌いで、原付を乗りこなす自信もなかったから。
毎日、最寄り駅から約30分、坂道(というよりは舗装されたこぎれいな山道、ときどき猪が出る)を歩いて通っていた。足が痛くならないヒールの選び方にも、いやおうなしに習熟した。高台にあるキャンパスから臨む港町の夜景は珍しいものでもなかったけれど、やはり見るたびに少し高揚した。

だから冒頭、タクシーの車窓越し、雨に滲んでひかる銀座の街並みと、それに見向きもしない、倦んだ表情を浮かべる白い顔を見て、すとんと腑に落ちた。
これは確かに、違う世界に住むひとだと。

松濤に実家を持つ生粋のお嬢様華子と、猛勉強して合格した慶應大学を家庭の経済事情で中退した過去を持つ地方出身の美紀。まったく違う環境を生きる二人の人生が一人の男性をきっかけに交錯するお話、とくれば、なんだかそこにはキャットファイトの予感が漂う。もしくは、違う世界を生きる二人の、それをものともしない深く尊い友情の気配が。

でも、そうはならない。そもそも、小説であれば全体の2/3を読み終わるまで、映画であれば残り45分を切るまで、美紀と華子は顔を合わせない。
だからそこまでの長い時間を掛けて丁寧に丁寧に描かれる二人の日常を見ているうちにわたしたちは、いやおうなしに透明な膜で隔てられたレイヤーの存在を感じることになる。
それは例えば交通手段の違いであり、お正月の過ごし方であり、さりげなく描写される服飾品の固有名詞であり、(映画版でとても秀逸だと思った場面なのだけれど)同じような赤いスカートを穿いた姿に対して漏らされる家族の感想で、そんなものを見るたびに、その膜は少しずつ硬度を増していく。

その後やっと、それぞれの階層が共有する限られた場所のうちのひとつ――華子にとってはおそらく慣れ親しんだ日常遣いの、美紀にとってはおそらく、少しテンションを上げたいときに来る――で二人は静かに言葉を交わし、意気投合するでも憎み合うでもなく、初めての邂逅はあっけなく終わる。各々の人生にたしかな爪痕を残して。
あのシーンにおいて美紀からは諦念を、華子からは憧憬を感じたけれど、それらはきっとあの文脈では、おおまかにいって同じものだった。

その場をへて二人が出した結論は、もしかするとお互いが出会わなくても変わらなかったかもしれない。華子と美紀が同じレイヤーで見いだした女友達を見ていると、そんな気がしてくる。
わたしが映画館でぼろぼろと泣いてしまったのは美紀と平田さんの自転車2人乗りのシーンだったし、最後に華子が見せた弾けるような笑みは本当に胸を打ったけれど、それを共有するのは結局、古くからの付き合いがある逸子なのだ。

それでも、と、祈るような気持ちで思わずにはいられない。
それでも、あの邂逅は二人にとって救いであったと。
まったくバックボーンの違う人間同士、たぶんお互いの言うことを本当に理解できることなんてこの先ないのだろうけれど、それでも彼女たちはゆるく連帯する。タクシーから飛び降り、救いを求めるように呼び掛けることができるし、ベランダの錆び付いた手すりに凭れながら、一本数十円のアイスキャンデーを相手に差し出すことができる。
エンドロールからその意味をずっと、今まで考えている。


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