たまには海で日がな読書を
梅雨の終わり、平日に有休をとって、淡路島へ行ってきた。
それもあこがれの、「温泉旅館2連泊」である。
一泊でももちろん、温泉はうれしい。うれしいのだけれど、私はなにぶん貧乏性なもので、滞在時間がいくら短かろうと、折角来たのだからこの宿を余すところなく楽しまなければ! という欲が出てしまう。結果、一日目のチェックインから翌日のチェックアウトまでの時間を、なんだか入浴と食事を巡るスタンプラリーのように感じてしまうことがあるのだ。
もう少しゆっくりと過ごすことができればいいのになあと常々思っていたので、今回の旅行はとても楽しみにしていた。
で、連泊により勝ち取った「中日(野球チームではなく、なかび、です)」、すなわちまるまる一日の自由時間を何に使ったかというと、読書。
折角レンタカーも借りていることだし、どこか観光に行こうか、と当初は言っていたのだけれど、一日目に宿に着き、目の前に広がる松林と海を見てしまうと、よそに出かける気がすっかり失せてしまったのだった。

二日目の朝は、カーテン越しにもまぶしいくらいの日の光で目が覚めた。
いそいそと朝風呂に入り、山盛りの朝食を平らげ、徒歩圏内にあったイオンでレジャーシートとビーチサンダルを買って、準備完了。地方都市におけるでっかいイオンの有難さを再認識する。
旅館近くに戻ると、快晴の下で海がきらきらと輝いていた。
今日はいくらでもこれを眺めていられるのだ! と思うと、俄然うれしくなる。
砂浜に落ちる松林の影を狙ってシートを敷き、その上に座ってひたすら本を読む。
あまりに日差しが強いので、そうは言ってもすぐに暑さで退散する羽目になるのでは、と思っていたのだけれど、海風が通る木陰は涼しくて、いくらでもそこにいられそうな快適さだった。

間に合わせで買った安物のレジャーシートはごく薄く、砂浜の感触がそのまま伝わってくる。あたたかく柔らかな砂はお尻に絶妙にフィットして、まるでクッションのよう。シート越しにつま先を軽く潜らせると、膝を立てて座った姿勢をしっかりと支えてくれる。オーダーメイドの座椅子に腰かけたような座り心地である。
気が向くとたまにサンダルをつっかけて、波に足を浸しに行く。
くらげが怖いな、と思いながらも(実際、浅瀬に打ち上げられている透明でぷるぷるしたものを目撃した)、海開きにはまだ早い時期の、冷たくて澄んだ水がつぎつぎ足にじゃれかかってくる、その楽しさときたら!
髪や肌が潮風でべたべたになっても、歩いてすぐの旅館に戻ればすぐにお風呂でリカバリできるのも有難い。お昼ごろまで本を読んだり浜遊びをしたりした後、一度温泉にじゃぶりと浸かって、湯上りに近くのビアガーデンもどきで大きな紙コップに入ったビールを飲みながら、パエリアやらソーセージやらを食べた。普段は飲まない甘いお酒がなんだか無性にほしくなって、ラム・コークも飲んだ。
ほろ酔い気分で浜辺に戻って、また読書。
目を落とした文庫本の、クリーム色のページの上で、木漏れ日がさらさらと揺れる。波の音に混じって、ときおり驚くほど近くでとんびが鳴く。ぴゅいー、ぴょろろろ、ぴー、ぴょろろろ、ぴゅいろろろろろ。髪をまとめた首筋に風を感じながら、それを聞く。
時折目を上げると、すぐそこには穏やかに凪いだ海の青さときらめく波打ち際。その向こう、沖に見える白いものは波頭なのか、海鳥が羽を休めてでもいるのか。
どちらでも構わない、ただ幸福だ、とそう思った。
結局夕方ごろまでそこにいて、本を二冊読んだ。
先日京都に出かけた時に買った、井上荒野「あちらにいる鬼」と村田沙耶香「生命式」。どちらも面白かった。いずれ感想を書きたい。
もともとあまり旅行を頻繁にするほうではなくて、その分たまの旅行には観光の予定を詰め込みがちな人間だったのだけれど、たまにはこういう、怠惰な過ごし方をする旅もよいものだなあと感じた。
やっていること自体は家にいるときと変わらないながら、何倍もリフレッシュできた気がする。またそのうち、海辺の街に出かけたい。
